ソロモンの弾くベートーヴェン

謎に包まれた名手 ソロモン

ソロモン・カットナー(1902年8月6日 – 1988年2月2日)は、イギリスの伝説的なピアニストです。

伝説的な、と申しましたが、なぜそう言われるかというと、彼は1956年、脳梗塞により54歳の若さで引退を余儀なくされたからです。

もし無病息災であったならば、彼はデジタル録音の時代まで現役を張っていたかもしれません。

ちなみに、ソロモンが生まれた翌年の1903年はピアニスト大豊作の年で、ホロヴィッツ、ゼルキン、アラウ、リリー・クラウス、といった面々が誕生しています。彼らの晩年までの活躍を考えますと、本当に惜しまれる引退と言わざるを得ません。

さらに悪いことに、ソロモンが引退した1956年の段階では、契約していたEMIがステレオ録音に消極的で、あまり質の良い録音は残されませんでした。そもそも、悪魔的なショーマンシップに長けたホロヴィッツや鉄のカーテンの向こうの巨人リヒテル、彗星のように現れた鬼才グールドみたいな各レーベルの看板ピアニストに比べ、彼のピアニズムはあまりに正統的であったため、EMIはそれほど力を入れていなかったように見受けられます。

そんなソロモンの名前を、わが国で最初に有名にしたのは、あの吉田秀和さんでした。

彼はソロモンの才能に早くから注目し、本やラジオなどで徹底して褒めました。現在でも「世界のピアニスト」という本でソロモンにページが割かれていることを確認できますし、長寿番組「名曲のたのしみ・ベートーヴェンの音楽と生涯」にて月光ソナタを担当したのはソロモンのレコードでした。

吉田さんが気に入ったのは、おそらくソロモンの誇張のない、客観的かつ正確な弾きっぷりに対して、だと思います。ただ、誇張のないと申しましたが、例えば「月光ソナタ」の第1楽章など、とんでもなく遅い。そのくせ、恣意的なあざとさを全く感じないんですよね。このテンポはこうあるべきという確信を持って弾いている。3楽章もアタッカで突入し、速いテンポで押しまくるのに、1音1音を大事に弾くので、しっかりした造形感が出て来る。すなわち、非常に個性的な弾き方をしているのに、いかにもイギリス紳士らしいオーソドックスな奏者という真逆のイメージを与える、玄人好みのピアニストと言えるでしょう。

 

Disc1(新リマスター)
● ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.73『皇帝』 (1955年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、メンゲス指揮

● ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37(1956年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、メンゲス指揮

Disc2
● グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 Op.16(1956年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、メンゲス指揮

● シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 Op.54(1956年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、メンゲス指揮

● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番ホ短調 Op.90(1956年録音)

Disc3(新リマスター)
● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 Op.13『悲愴』(1951年録音)
● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調 Op.27-2『月光』(1952年録音)
● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 Op.53『ワルトシュタイン』(1952年録音)
● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調 Op.81a『告別』(1952年録音)

Disc4(新リマスター)
● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 Op.57『熱情』(1954年録音)
● ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 Op.106『ハンマークラヴィーア』(1952年録音)

Disc5
● ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83(1947年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、ドブロウェン指揮

● チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23(1949年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、ドブロウェン指揮

Disc6(新リマスター)
● スカルラッティ:ソナタ ヘ長調 L.384(1948年録音)
● バッハ/ブゾーニ編:目覚めよと呼ぶ声あり(1948年録音)
● モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331(1952年録音)
● モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 K.576(1955年録音)
● モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491(1955年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、ハーバート・メンゲス指揮

Disc7
● リスト:ハンガリー幻想曲
フィルハーモニア管弦楽団、ジュスキント指揮(1948年録音)

● スクリャービン:ピアノ協奏曲嬰ヘ短調Op.20(1949年録音)
フィルハーモニア管弦楽団、ドブロウェン指揮

● ブリス:ピアノ協奏曲変ロ長調(1943年録音)
リヴァプール・フィル、ボールト指揮

ソロモン・カットナー(ピアノ)

 

熱情ソナタ・第3楽章の凄まじい追い込みと音の粒立ちの良さ、モーツァルトのソナタの淡々とした美しさ(それでも爆走する「トルコ行進曲」は聴きもの!)、過激な面白さはありませんが、この何とも言えない安定感と熱い表現の併存は一度聴き始めたら病みつきになります。

メンゲスと収めた古今の協奏曲の名演集も素晴らしい。「皇帝」は非常に録音もよく、絶頂期のフィルハーモニア管弦楽団の明るい音色をバックに、落ち着き払ったソロモンのピアノが実に綺麗に映えます。

ドブロウェンとのブラームスも好演。憂いに満ちた部分を強調するより、勢いを重視しています。例えば終楽章で、オーケストラが物憂げに第1主題を鳴らしてピアノがそれに応答するという箇所があるのですが、ソロモンは変にタメを作ったりせず、淡々と弾き進めます。それでも、ため息が出るほど音色が美しい、非常に印象的な演奏です。

少しマニアックなBOXですが、ぜひ聴いてみられてください。

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