ブルーノ・ワルター EMI録音集(5)

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生命の危険の中、記録された凄絶なマーラー

全5回にわたって取り上げてきたブルーノ・ワルターEMI録音集。今回が最終回です。

ラストは、ワルターの元上司であり、ワルターが生涯をかけて取り組んだマーラーの音楽です。

Disc07
・マーラー:大地の歌
ケルスティン・トルボルイ(コントラルト)
チャールズ・クルマン(テノール)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・マーラー:リュッケルト歌曲集より 私はこの世に捨てられて
ケルスティン・トルボルイ(コントラルト)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

以上、録音:1936年5月

・マーラー:交響曲第5番ハ短調より第4楽章『アダージェット』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1938年1月

Disc08
・マーラー:交響曲第9番二短調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1938年1月

指揮:ブルーノ・ワルター

 

ワルターは1896年、仕事先のハンブルク歌劇場で、当時音楽監督を務めていたグスタフ・マーラーと運命的な出会いをします。猜疑心が深く、精神的に複雑なものを抱えていたマーラーですが、ワルターのことはいたく気に入り、部下というより親友として接しました。またワルターも、斬新な音楽を創出し、かつ指揮者としても傑出していたマーラーから、はかり知れないほど大きな影響を受けていきます。

その後、マーラーとともにウィーンへ転任したワルターは、ユダヤ系を示す「シュレジンガー」の姓を本名から省き、ブルーノ・ワルターと改名しての活動を始めます。マーラーは1911年に亡くなってしまいますが、ワルターはめきめきと頭角を現し、トスカニーニ、フルトヴェングラー、メンゲルベルク、エーリヒ・クライバー、オットー・クレンペラーと並び、当時を代表する指揮者にまで上り詰めます。

そうしたワルターの快進撃に暗雲が立ち込めたのが1933年。ヒトラー率いるナチス政権が誕生した年です。ユダヤ人のワルターは、ナチスから徹底した嫌がらせを受け、時には生命の危険さえ感じるような状況に置かれます。彼はオーストリアに逃れますが、1938年に同国はドイツに併合されてしまい、ここからも逃亡。スイスのルガーノに落ち着きますが、第2次世界大戦が勃発し、いよいよここも危ないとなり、1939年、ついにアメリカに渡ります。ワルターは以後、ヨーロッパよりもアメリカを本拠地に活動し、あの輝かしい名盤群を生み出していくことになりますが、そのきっかけは実に悲劇的な事情であったということです。

さて、本日紹介するマーラーの交響曲は、そのワルターがナチスと命がけで戦っていた1936年から1938年の時期に収録されています。この頃は、ウィーン・フィルにとっても大変な受難の時期にあたり、ユダヤ人奏者はことごとく追放され、ひどいケースでは強制収容所送りになったメンバーもいたそうです。

伝説のコンサートマスター、アルノルト・ロゼ(マーラーの妹の夫)もそのひとりで、彼は国外追放処分を受けただけでなく、愛娘をアウシュビッツで失うなど、悲惨きわまりない境遇の中で晩年を迎えています。

今回のマーラーの「第9」の演奏は、指揮がワルターなだけでなく、コンサートマスターをそのロゼが務めています。当然、ナチスの何らかの妨害はあったでしょうし、それによる緊張感はただごとではなく、一種異様な空気が古い録音の向こうから伝わってきます。

ところでロゼは、ヴィヴラートを好まない演奏家と伝えられており、この「第9」でも特有のうねりはありますが、ヴィヴラートは控えめです。ただ、彼が57年間、コンサートマスターとして君臨した当時のウィーン・フィルのサウンドは極上で、第1楽章の弦のすすり泣くような弦の響き、第2楽章の管楽器群のユーモラスな咆哮、そしてフィナーレの凄絶な没入ぶりは、貧しい音を通しても現代の我々の心を打ちます。

こういう名器を得て、ワルターの棒は冴えに冴えており、我が身の境遇を反映させてか、凄まじい指揮ぶりを実現しています。全体的には早めのテンポで、同じ没我型でもバーンスタインのやり方とは全く違うと言って良いかもしれません。1楽章もさることながら、やはり4楽章は凄い!の一言に尽きます。おそれくロゼと思われる、ピンと張りつめたヴァイオリンの独奏にハープやファゴットが重なるあたり、そして意外とさらりと過ぎる最大のクライマックスの直後の部分では、きわめて異様な雰囲気が作り上げられています。最後は、まさに死に絶えるように音楽はふわっと膨張し、空間の中に蒸発していきます。すごい!

この「第9」は、現代の指揮者による演奏とはかなり雰囲気が異なり、デュナーミクなどかなり独特なので、分析的な演奏がお好きな方にもぜひ聴いて頂きたいです。マーラー直伝の解釈であるとすればなおさらです。

では最後に、「大地の歌」にも触れておきましょう。

これは1936年の演奏です。オーケストラはこちらもウィーン・フィルハーモニーですが、この組み合わせなら、まずは1952年の天下の名盤を皆さん、想像されることでしょう。あちらも、名歌手キャスリーン・フェリアー、飄々たる演技派、ユリウス・パツァークの絶妙な歌唱が他を圧倒する見事さで、かつワルター&ウィーン・フィルのサウンドが最良の音楽を奏でる、というまさに極めつけの名演奏でした。

その15年前に当たるこの演奏では、ケルスティン・トルボルクとチャールズ・クルマンという2人の歌手がそれぞれソロを務めています。このご両名、現代ではほとんど忘れられた存在と言って良いでしょう。しかし、トルボルクは戦前のメトロポリタン歌劇場で活躍し、クルマンもヨーロッパでのワーグナー演奏の常連だったことが史料として残っており、たしかに声量が豊か。表現力も緻密です。

これを支えるワルターとウィーン・フィルがこれまた素晴らしい。第1楽章から音色の魅力は喩えようがなく、速めのテンポでぐいぐい押していきます。この辺りは晩年の好々爺のような音楽運びとはまるで違いますね。そして終楽章「告別」の天国的な弦の響き。グロッケンシュピール、フルートがもはや現世的ではない音を添え、音楽は静かに消えていきます。聴いた後、すごいものを目の当たりにしてしまった!という思いを抱きました。

以上、5回にわたってワルターの戦前の素晴らしい音楽を紹介してきましたが、このEMIのBOXに限らず、オーパス蔵やナクソスなど、様々なレーベルから優秀な復刻が出ていますので、ぜひいろいろなヴァージョンで楽しんでみてください。

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