スヴャトスラフ・リヒテル EMIレコーディングス(2)

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燃えるようで儚いベートーヴェンのソナタ

前回に引き続き、ウクライナ生まれの大ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルがEMIに遺した録音を集めたボックスについて、今回もお話しして参りたいと思います。

冒頭、リヒテルが弾くベートーヴェンのソナタ演奏が並びます。

これだけ高名でたくさんの録音を遺したピアニストであるにもかかわらず、何とリヒテルはベートーヴェンのピアノ・ソナタを全曲録音していません。生涯、自分の気に入った番号のみを弾く、というスタイルを貫きました。

特によく弾いていたのは、第1番、第7番、第8番「悲愴」、第12番「葬送」、第17番「テンペスト」、19番、20番、22番、第23番「熱情」、第29番「ハンマークラヴィーア」、第30~32番といったあたり。驚くべきことに、有名な「月光」は漏れているんですね。

反対に「テンペスト」は、リヒテルの代名詞と言って良いくらい、コンサートで良く取り上げています(1980年の来日公演でも充実した演奏を聴かせてくれました)。レコーディングにおいても、このボックスに収められている1961年盤が、古くからこの曲の決定盤として知られており、私も中学生の時にせっせと聴いたものです。

一聴してオーソドックスに聴こえるのですが、かなりテンポを我流に動かしています。第1楽章は冒頭主題が盛り上がって展開されるたびにリピート、という構造なのですが、分散和音に挟まれる#c-e-aの3音が、その都度、微妙に違うテンポや間合いで出現するのです。その度、緊張感の高い間を置いてアレグロ部に突入していくわけですが、このわずかなパッセージが、他のピアニストと比べて非常に極端に聴こえます。楽譜を見ると、フェルマータが入っていても休止はありません。

ベートーヴェンの「運命交響曲」の冒頭もそうですが、ベートーヴェンのフェルマータは非常に処理が難しく、演奏家の「色」が出やすい部分です。

※余談ですが、「運命」は、あのフェルマータをバッサリ切ってしまうとヤルヴィのように鋭角的な印象になり、長すぎるとワルターみたいにへんてこに聴こえます。やはりカラヤンの長さの取り方が日本人好みのような気がします。

リヒテルの「テンペスト」は、このフェルマータを非常にドラマティックに再現しているパターンと言えるでしょう。

その劇的な第1楽章と叙情的な第2楽章を経て、有名な第3楽章に移ると、音楽は大変な高貴さをそなえて盛り上がります。スクリャービンあたりをやるときのリヒテルのイメージから、この第3楽章もダイナミックに叩き壊すように弾くと思いきや、足取りは極めて穏やかです。さらに高音部のきらめくような、まるで宝石の如き美しさは喩えようがありません。

逆に、クライマックスの消えるような止め方は、地獄の深淵を見るような怖さに満ちています。こういう多面的な表情を、短い曲の中で自然に弾きこなしてしまう技術、そこがリヒテルの凄いところだと思います。ある意味、ホロヴィッツと双璧でしょう。

 

リヒテルが最も得意とするシューベルトの世界

2枚目は、リヒテルが得意とするシューベルトの2曲のソナタです。

ここでは「さすらい人」 幻想曲 ハ長調 D.760 と、ピアノ・ソナタ 第13番 イ長調 D.664 の2曲が収められています。

リヒテルは、シューベルト弾きの名人として知られ、ペーター・シュライアーや、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウと素晴らしい歌曲集の録音も遺しています。

「さすらい人幻想曲」も得意中の得意曲で、1950年代のソ連でのライブや、晩年のイギリスでのライブなど、いくつかの録音が遺っています。

これは1963年の録音ですが、冒頭の明るく朗々と歌うような入り方から、壮年期のリヒテルの覇気を感じます。半面、第2楽章の孤高の世界観は感動的でさえあります。愛おしむように弾かれる旋律はあたかも歌曲そのもののよう…。続く第3楽章で音楽は陽転しますが、モーツァルトのように内面に寂しさの炎を湛え、前へ前へと進みます。ラストの第4楽章は技巧的に相当難しいはずですが、リヒテルは難なく力強く弾いてみせ、壮麗に曲を閉じます。

第13番も素晴らしい。優雅でささやかで、可憐な佳曲。しかし、内省的で何かを孕んでいるようなところがあり、演奏家の力量によっては無限に広がっていくようなスケールと内容を持ち合わせています。

まさにこういう曲を弾いて、リヒテルの右に出る者はいないのです。

無垢な世界。誰もいない寒々とした雪景色に放り出されたような孤独感。第2楽章アンダンテではさらに陰影が深まり、聴き手は孤独から虚無の世界に引きずり込まれます。第3楽章は華々しい、とか軽快という言葉が似合う音楽で、事実、リヒテルもそういう音楽を創り上げているのですが、そこに哀しみに満ちたような音色が混じっていて、それがひょっこり顔を出した時のインパクトがものすごいのです。

ある評論家が、リヒテルはコンサートであざとく照明を消したりして、えせ宗教的な雰囲気で聴衆を騙していた、というような趣旨の文を書いていましたが、それがいかに的外れな見解であったか、この録音を聴けば明らかでしょう。

ともすれば退屈な音楽とか、内容に乏しいと貶されることもあるシューベルトのピアノ音楽から、これほど深い孤独の世界にテレポートし、魂の震えるような音楽を引き出すリヒテルの類まれな感性には、圧倒されるしかありません。

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