12月の試聴室 クルト・モルを偲んで「ばらの騎士」

オックス男爵の第1人者、クルト・モル

2010年代に入って、昭和生まれのクラシック・ファンにとってヒーローであった演奏家たちが次々と世を去りました。

思い返せば1980年代の終わり頃も、カラヤン、バーンスタイン、ホロヴィッツ、ゼルキンと言ったビッグ・ネームが次々と逝去し、悲しい気分で満たされたことを覚えていますが、その当時「若き俊英」と持て囃されていたアーティストたちまでもが次々と天に召されてしまい、自分も年を取ったんだな、としんみりしてしまいます。

一例でしかありませんが、指揮者のアバド、マゼール、ブーレーズ、プレートル、マリナー、アーノンクール、ブリュッヘン、ホグウッド。ピアニストのチッコリーニ、クライバーン、中村紘子、声楽家のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ニコライ・ゲッダ、クルト・モル等々。

私の勝手な思い込みですが、過去の巨匠時代が終わり、その影を払いのけながら凄まじい努力で新しい音楽の可能性を切り開いていった方が多い気がしますね。古楽の雄であった3人の指揮者が一度に逝去されたことは痛恨の極みであり、時代の流れの速さを感じます。

今年2017年も、スクロバチェフスキやビエロフラーヴェク、そして我が国のバリトン界の重鎮で、教育活動や翻訳に多大な業績を遺した原田茂生さんがお亡くなりになられました。原田さんは「レコード芸術」の新譜評でもお馴染みで、その的確かつ理論的なのに分かりやすい語り口は、個人的に大好きでした。

あと、ドイツの有名なバス歌手、クルト・モルも2017年3月5日に惜しまれて亡くなっています。

モルは、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」の名キャラクター、オックス男爵の第一人者として、長く人気を博しました。カラヤン、クライバーの2枚の天下の名盤(映像)でも、この役の名演技を披露しています。

それにしても、歌唱力以上に演技力が求められるオックス男爵のスペシャリストとして長年君臨したのはすごいと思います。しかも、この作品の双璧の名盤できわめて印象的な存在感を示したのですから……。

ちなみに、このオックス男爵。個人的な意見ですが、きわめてヨーロッパ的なキャラクターで、日頃、儒教的概念と「和を以て貴しとなす」の寛容の世界に生きている我々日本人から見れば、異質な文化的背景を背負っている人物と言えます。

オックスとよく似ているのが、ヴェルディのオペラ『ファルスタッフ』に登場する主人公です。彼は高名な騎士でありながら、好色でバカげたことばかり言っている“オヤジ”で、劇中でメッタメタにやっつけられます。それは本当に酷い扱いで、何と洗濯籠に入れられたまま、川にぶん投げられてしまうほどです。それでもファルスタッフは笑われ嘲笑われながら、「世の中全て冗談だ」と、人生の酸いと甘いを達観して満足するのですから、まるで「阿Q正伝」の思考と言っていいでしょう。日本人がこうした人物を「通人」としてその粋な生き方を称賛するのに比べ、まあえらい違いです。

この「ばらの騎士」のオックス男爵も同じタイプのキャラクターで、ずんぐり太り、巻き髪の初老の貴族。ことあるごとに力の誇示はするものの、基本、粗野で冗談好きな気のいい“オッサン”です。

それが若いゾフィーにうつつを抜かしたがために少年・オクタヴィアンから負傷させられ、挙句にはそのオクタヴィアンが化けたメイドに恋をしてさんざんに愚弄される。それでも全てを察した後は、何も言わずに舞台から去っていきます。ファルスタッフに比べて、その背中に漂う哀愁とカッコよさにはまだ救いがあります。

他にもヨハン・シュトラウスのアイゼンシュタイン男爵とか、とかくヨーロッパのオペラにはこの手の人物が登場します。魅力あふれる好人物ながら、女性好きの軽さが顰蹙を買って、さんざんにやられるのがオチ。トリックスターというべきでしょうか。

日本の中間管理職のおじさんには見ていて辛い役回りですが(笑)、ただリアルな共感部分もあり、わが国ではタイトルロールを食ってしまうほどの人気があるのも事実です。

それだけにこうしたキャラを演じるにはそれなりの適性が必要です。フィッシャー=ディースカウのような哲学的な深み、教養の高さを感じさせる歌手では場違いですし、若くルックスの映える歌手では下品さや哀愁が出てきません。

生まれ持っての愛嬌と豪放磊落な雰囲気があって、しかも歌手として最高の技術を窮めてこそ挑戦できる役柄だと思います。

それをクルト・モルは備えていました。

第2幕の絶妙の歌唱力を伴ったワルツを聴きながら、名歌手・名優を偲びたいと思います。合掌。

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