ジョージ・セルのモーツァルト(2)

マイナー曲でこそ魅力が増すセルの棒さばき

前回に引き続き、ハンガリー出身の大指揮者ジョージ・セルと、彼の手兵・クリーヴランド管弦楽団によるモーツァルトの交響曲録音を収めたCD2枚組を取り上げます。

1枚目には、交響曲第28番K.200、第33番K.319、第35番K.385「ハフナー」、そして歌劇「フィガロの結婚」と「劇場支配人」の序曲が収められています。

この手のアルバムは通常、いわゆる後期6大交響曲(35番~41番、37番は欠番)に第25番K.183と第29番K.201がカップリングされることが多いのですが、セルは第28番と第33番という、わりかしマイナーな曲を選択しています。

ところが、このセルによる28番のシンフォニーに耳を傾けると、溌剌とした躍動感と繊細な響きにとことん魅了され、そのあまりの素晴らしさに聴き終わった後、なぜこの曲がマイナーなのか、と不思議に思ってしまうほどなのです。

よく指摘されるとおり、この演奏では第1楽章に新全集スコアに記載のないティンパニが加えられています。近年の古楽器スタイル、原点主義の観点から見れば噴飯ものでしょうが、20世紀初頭まで存在が確認されていた筆写譜には、たしかにティンパニのパートがあり、セルの恣意的な脚色とは違います。そして、このティンパニこそ音楽に芯を与え、ディヴェルティメント的なものとは別世界のシンフォニーという新たな時代の様式を主張しているのです。

次いで33番のシンフォニーは、カルロス・クライバーが偏愛していたことでも有名な曲ですね。そしてこの曲、第1楽章の展開部に聞き覚えのあるテーマが登場します!そう、同じモーツアルトの交響曲第41番「ジュピター」の第4楽章、ジュピター音型「ド・レ・ファ・ミ」が現れるのです。このジュピター音型は西洋音楽史一括りの中で脈々と受け継がれてきたものであり、ハイドンの「交響曲第13番」や「皇帝四重奏曲」、ブラームスの「第3交響曲」など多数の曲に出現します。

セルはこの「ド・レ・ファ・ミ」をこれ見よがしに強調するのではなく、展開部のワンフレーズとして淡々と処理し、決して音楽の流れを断ってしまわないよう、細心の注意を払っていますから、「ジュピター音型」が登場した後、再現部以降の書法の面白さもまた際立ってくるのです。

続く「ハフナー」は大変有名な曲で、比較盤も多数ありますから、セルがどういう解釈を見せるか大変楽しみではあったのですが、全体的にはオーソドックスな名演です。ただ非常に生真面目なセルが、こんなにユーモラスで愛嬌のある表現ができるとは少し意外でした。第4楽章とか早めのテンポでしっかりとリズムを刻み、いつもの凄まじい統率力を発揮していながら、各楽器の響きの面白さを最大限に引き出していて、現場の奏者たちは高揚感を持って演奏していたかも、と想像してしまいます。

それにしても、ここでのクリーヴランド管弦楽団のトランペット奏者が本当に上手い!モーツァルトの単純に見えるスコアから、祝典的な空気とちょっぴり悪戯っぽい諧謔性という対照的な要素を引き出しています。

 

円熟の後期交響曲をセルはどう振ったか?

さあ、いよいよ2枚目ですが、交響曲第39番変ホ長調K.543、第40番ト短調K.550、第41番ハ長調K.551「ジュピター」の、いわゆる後期3大交響曲が収録されています。これは、いずれもすごい演奏です。

まず第39番。私は以前、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニーの演奏を絶賛しましたが、このセルの演奏もなかなか素晴らしい。第1楽章は、あのバーンスタインの幽玄霊妙な歩みに比べてかなりイン・テンポですが、フルート、クラリネットの音色がこの世のものではないかのように美しく、冷たい寒色の音ながら限りない愛情に満ちた音楽を奏でます。

続いて優しく愛おしむように弦が歌う第2楽章、2本のクラリネットと弦が天国的な美しさを聴かせるメヌエット、完璧なアンサンブルの第4楽章。セルと言えば、技術的な面にばかり関心が行きそうですが、虚心に耳を傾けると彼のモーツァルトの素直な美しさはきっと身に染みて来ると思います。この39番こそ、そういう聴き方にはうってつけの曲です。

40番は、前章のライブ盤とほぼ同じ解釈ではあるのですが、セヴェランス・ホールでのスタジオ録音ということで、響きの印象は若干異なります。

第1楽章から弦の音が非常に繊細で、ボウイングにも相当こだわりがあるのが聴き取れます。合奏の精緻さも尋常ではないのですが、ここまでやるか!と思わせるほど細部までデュナーミクを徹底しているのが凄いです。そこにぜひ注意して耳を傾けてください。ただイノセンスなスコア徹底主義ではなく、膨大な資料や演奏慣習、フルトヴェングラー並みに文学的な教養をバックボーンとして、セルがこの大名曲に取り組んでいる姿勢が分かります。

第2楽章は短いパッセージですが、フルートが異常に生々しい音を出し、この楽章の特異性、孤独な影を持った音楽であることをことさら感じさせます。

第3楽章はテーマにアクセントをしっかりつけ、音価もきちんととって進行します。それゆえに、トリオに入った瞬間、世界観が転換するというこの楽章の大きな特徴が素晴らしく引き立ちます。そしてホルンとクラリネットの玲瓏な音色が掛け合いながら、絶妙のルバートを織り込むところにセルの職人的な感覚を見ることができます。

フィナーレは、あまり間を置かずに開始。弦の美しさは筆舌に尽くしがたく、他では低弦と混濁して汚い音色になるところも彼らの場合はきちんと分離して聴こえます。最後の部分で明瞭に加速をかけるところは、このコンビの技術の悪魔的な凄さを感じますので、ぜひ注意して聴いてみてください。

このト短調は本当に何度聴いてもため息が出るくらいの素晴らしさ、聴くたびに新たな発見がある演奏なので、一度機械的なセルという、評論家の作り出したステレオタイプな比喩をかなぐり捨てて聴いてほしいと思います。

最後は41番「ジュピター」です。

とにかくクリーヴランド管弦楽団の弦楽合奏の精度の凄さに驚かされます。60年代のモダン・オーケストラが「ジュピター」を演奏すれば、かなりロマン的な響きというか、豊麗な音色になるはずなのですが、ここでの彼らは青年時代のディヴェルティメントのように透明でリリックな音で弾き切っています。

第3楽章がそういう彼らの美質の最高の結実というべきでしょうか、実に音が柔らかい。メヌエットのテーマは、ベームとかクレンペラーなら全編にドイツ風なアクセントをつけ、いかにも重たい感じがするのですが、セルは速いテンポで、しかも弦より金管にアクセントを強めに吹かせて、壮麗な音楽に仕上げています。

そして終楽章。技術的に相当難しいですし、フーガというものの本質を指揮者がよく知っていないと面白みのない演奏になってしまうのですが、やはりこのオケは一流ですね。様々な主題や変奏を一気呵成に一瞬の間も置かずつなげていき、コーダでは多様な声部を完璧に交通整理しつつ、祝典的なパッションの爆発を聴かせます。指揮者セルの凄さを見せつけられるようです。

この曲に関しては、いかにもドイツ風なアクセントたっぷりで、田舎臭いクレンペラーの演奏の方が好みなのですが、ピリオド・アプローチもまだ確立していない時代に、これだけ古典的で端正に彫琢された造形のモーツァルト演奏を実現したこのコンビには脱帽せざるを得ません。

たった2枚組ですが、中身の充実ぶり、得られるものは大変大きいので、ぜひご一聴を!

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