1月の試聴室 バーンスタインのドビュッシー

2018年メモリアルイヤーのバーンスタインとドビュッシー

2018年がメモリアルイヤーの作曲家と言いますと、クープラン(1668~1733 生誕350年)、グノー(1818~1893 生誕200年)、ロッシーニ(1792~1868 没後150年)と数多くいますが、一番注目されているのはドビュッシー(1862~1918 没後100年)かもしれません。

そのドビュッシーの音楽を、同じく生誕100年を迎える作曲家で指揮者のレナード・バーンスタインが振ったCDを本日は紹介したいと思います。

バーンスタインは、カラヤンと並んで20世紀後半をリードし続けた指揮者の一人ですが、彼が最も傾注して取り組んだのは後期ロマン派の作曲家、マーラーの音楽です。マーラーの交響曲全集については、世界初のセッション録音、全曲映像収録、ドイツ・グラモフォンへのデジタル録音というように、各々の時代のレコーディング・フォーマットに合わせて、また彼自身の解釈の円熟を迎えるたびに制作されましたが、そのどれもが驚くべき完成度の高さであり、また後の時代へ進むに従ってますます他の誰も真似できないような、主観的で激しい表現に深化していきました。「第9交響曲」など、その魂の叫びのような没入っぷりに戦慄すら覚えます。

そんなバーンスタインですが、マーラーと同時代を生きたブルックナーやドビュッシー、ラヴェルに対しては、驚くほど淡泊でした。カラヤンに負けじと、とにかくあらゆる曲を振りまくっていたニューヨーク・フィル時代は別として、ヨーロッパに拠点を置いてからは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シューマン、シベリウスのようなシンフォニーの王道にばかり、熱心に取り組んでいた印象があります。

そういえば、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスあたりも、もっと取り上げてくれたらよかったのに、と今になって思います。前者には「トリスタンとイゾルデ」、後者には「ばらの騎士」という天下の名盤がありますが、「指環」や「サロメ」を彼の指揮で聴けたら、どんなに良かっただろう!とついつい、ないものねだりをしてしまいます。

R.Strauss: Der Rosenkavalier
(タワーレコード オンライン)

ワーグナー: 楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲)<タワーレコード限定>
(タワーレコード オンライン)

ただ不思議なことに、バーンスタインは晩年になって突如、それまでほとんど取り上げてこなかったドビュッシーとプッチーニの音楽を、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団とレコーディングしています。プッチーニは歌劇「ラ・ボエーム」たった1曲だけです。

なぜ急にこういうチャレンジを行ったのかは謎ですが、ボエームで若くキャリアの浅い歌手を大胆に起用したことから推察するに、おそらく青年音楽家たちと、これまで彼にとって専門外の領域であった作品に、清新な気持ちで踏み込みたかったのかもしれません。

ドビュッシーについても、あれこれ取り組むのではなく、代表作3曲をギュッと1枚のアルバムに詰め込んでいます。

①管弦楽のための映像
②牧神の午後への前奏曲
③交響詩『海』

管弦楽:ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン

録音:1989年6月、ローマ(ライヴ録音)

※映像も発売されています。

実は、バーンスタインはニューヨーク・フィル時代の1960年にも「牧神」と「遊戯」、「夜想曲」をスタジオ録音しています。

それどころか、1962年には神秘劇「聖セバスティアヌスの殉教」の全曲録音までやってのけています。

ですから、ドビュッシーを毛嫌いしていたなどということは全くなく、むしろ若い頃は積極的に取り上げていた、と言って良いかもしれません(その証左に、レコーディング直前の定期演奏会で、4回も「殉教」を取り上げています)。

ただ、それ以降はドビュッシーとは疎遠となり、彼がフランス国立管弦楽団と共演を増やした時期に取り上げたのは、ベルリオーズやフランク、ラヴェル、ミヨー、オネゲルといった人たちの作品でした。

上記の演奏の出来から考えて、彼が89年までドビュッシーをさっぱり取り上げなくなったのは、本当にもったいないと言わざるを得ません。

ただ、最晩年に満を持して臨んだこの演奏は、本当にすごいと言うしかない渾身の出来栄えです。

「牧神の午後への前奏曲」。冒頭から気怠い雰囲気がとてもよく出ていて、スロー・テンポというより、タメる指揮です。それでいて細部の彫琢が見事というか、楽器の響きが非常に繊細。イングリッシュ・ホルンとハープが要所要所できわめて蠱惑的な響きをつくりあげ、そこに分厚い弦楽器の波が押し寄せる、ほんとうに素晴らしいサウンド。

「海」もまたとてもいい演奏。クリュイタンスみたいな百花繚乱咲き乱れる音のご馳走みたいな音楽ではなく、もっとオーケストラのバランスに気を配っていて、繊細でありながら、全強奏の時は太陽の光に照らされた大波に揺られているような感覚すら覚えます。

結構長い間、これだけの演奏がなかなか注目されなかったのは不思議です。ただ、ドビュッシー演奏の一つのあり方として、ぜひ耳を傾けて頂きたいと思います。

 

 

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