4月の試聴室 アーノンクールの「魔笛」

鬼才が再構築した斬新な「魔笛」の世界

モーツァルト: 歌劇 《魔笛》 K. 620(全曲)

ザラストロ … マッティ・サルミネン(バス)
タミーノ … ハンス=ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
弁者 … トーマス・ハンプソン(バス)
第1の僧 … アレクサンダー・マリ(テノール)
第2の僧 … ワルデマール・クメント(バス)
夜の女王 … エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ)
パミーナ … バーバラ・ボニー(ソプラノ)
第1の侍女 … パメラ・コバーン(ソプラノ)
第2の侍女 … デロレス・ツィーグラー(ソプラノ)
第3の侍女 … マリアナ・リポヴシェク(メゾ・ソプラノ)
パパゲーノ … アントン・シャリンガー(バリトン)
パパゲーナ(老婆) … エディット・シュミット(ソプラノ)
モノスタートス … ペーター・ケラー(テノール)
3人の童子 … シュテファン・ギーンガー、マルクス・バウアー、アンドレアス・フィッシャー(テルツ少年合唱団員)
鎧を着た第1の男 … トーマス・モーザー(テノール)
鎧を着た第2の男 … アンティ・スホーネン(バス)
朗読 … ゲルトラウト・イェッセラー合唱チューリヒ歌劇場合唱団

管弦楽:チューリヒ歌劇場管弦楽団
指揮:ニコラウス・アーノンクール
【録音】1987年11月 チューリヒ

モーツァルトのオペラ、いや彼の全ての作品の中でもとりわけ異彩を放っているのが、この歌劇「魔笛」K.620です。

メルヘンティックな世界、裏に潜むフリーメーソンの思想、芝居の前半と後半で善悪が全くひっくり返ってしまうハチャメチャな設定。いろいろな部分において今日でも物議を醸している作品ですが、そうした難点を感じさせないくらい、この「魔笛」には抗し難い音楽の魅力が備わっており、古くから多くの愛好家たちの心をとらえ続けてきました。

 

ところで、古くから「魔笛」の決定的名盤と言われてきたのが、上記のカール・ベーム指揮ベルリン・フィル盤です。と同時に、このディスクはこれまで多くの批判にもさらされてきました。

まず第一にベームの指揮がまじめ一本。オーケストラがウィーン・フィルハーモニーであるならば、音色が陶酔的に美しいのでそれほど目立たないのですが、ここでパートナーを務めているベルリン・フィルハーモニーはドイツ的な堅牢な音色で、いい意味での緩さがありません。

第二に「魔笛」のトリックスターであるパパゲーノをディートリヒ・フィッシャー・ディースカウが歌っていること。すごく立派な歌いっぷりで、ドイツ語の発音もあいかわらず完璧。まさに言うことなしなのですが、あまりに言うことがなさ過ぎて面白みに欠ける、というのが欠点です(何という贅沢!)。つまり、聴き手がパパゲーノに求める剽軽さに乏しく、「作られた道化」になっているのが、物足りなさにつながっています。

さんざんに書いてしまいましたが、ただベーム盤は「魔笛」を甘いメルヘンのご馳走にすり替えず、むしろザラストロ側に表象される、この曲の「オペラ・セリア」的側面に重きを置いているようで、となればいかにもベームらしさが充満した魅力的な演奏と言うことができます。私的には「魔笛」のベストではありませんが、一つの選択肢として評価したい音盤です。

 

1970年代に古楽器でバロック音楽を演奏する一大ムーヴメントを成功させたニコラウス・アーノンクール(1929年-2016年)は、1980年代になって今度はモーツァルトやベートーヴェンと言った古典派にチャレンジし始めました。

これに対して最大限の拒否反応を示したのがベームです。「彼のモーツァルトの音は美しくない!」と。

たしかにアーノンクールの、例えばト短調交響曲K.550などを聴くと、アーティキュレーションが激烈で、ほとんど現代音楽のような無機質な印象を受けます。しかし、映画「アマデウス」等の印象で悪戯っぽい神童と思われてきたモーツァルトの虚像をひっぺがし、音楽の革命家たる斬新な性格を浮き彫りにした彼の手腕と洞察力は素直にすごいと思います。

彼の「魔笛」は1987年にテルデック・レーベルにより制作されました。今日でこそヤーコプスとかクルレンツィスが喝采を受けているように、古楽器でモーツァルトのオペラを上演することは当たり前になっていますが、当時はかなり好奇と警戒の目で見られていたような気がします。何しろ指揮者が何をしでかすか分からないアーノンクールですから…。

ふつう、世間が爆演を期待している時は大概、実際の演奏は大人しくオーソドックスになる例が多いのですが、さすがアーノンクール、予想以上にやりたい放題でした(笑)。

しかし、このディスクの最大の聴きどころは、歌手が大変充実していることです。タミーノがハンス=ペーター・ブロホヴィッツ、パミーナがバーバラ・ボニー、ザラストロがマッティ・サルミネン。また端役にもワルデマール・クメントとかマリアナ・リポヴシェク、トーマス・モーザーのような大物が配されていて、今では考えられない豪華さ、かつ不足のない布陣が敷かれています。

さらに最大の聴きものは、夜の女王がエディタ・グルベローヴァであること!彼女の歌う超絶技巧アリア、「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」は、本当にすごい。声の伸び、高音の清澄さ、音の細部まできっちりコントロールする技術。オーケストラの厳しくダイナミックな伴奏と互角に張り合える歌いっぷりは圧巻です。

これら充実の歌手陣を支えるチューリヒ歌劇場管弦楽団と合唱団のレヴェルもまた、ものすごい高みに達しています。元々は古楽器集団ではないのですが、アーノンクールの薫陶を受け、完璧なピリオド・アプローチで演奏しきっており(楽器自体はトランペットのみナチュラル・トランペットを使用)、それでいてかつ魅惑的な音色も聴かせてくれるのですから、言うことがありません。

ただしこのディスクの欠点は、レチタティーヴォを省略して、女性のナレーションでサクサクと進行してしまうところです。アーノンクールのアイディアらしいのですが、これではパパゲーノのコミカルなやりとりの面白さなどがスルーされてしまいます。まあ、古典派のオペラのレチタティーヴォを冗長ととらえる向きにはこちらの方が良いと思いますが…。

2012ザルツブルク音楽祭 アーノンクール「魔笛」

チューリヒ歌劇場盤から25年後。楽会の異端児からいつの間にか最後の巨匠として崇められるようになったアーノンクールは、2012年のザルツブルク音楽祭で「魔笛」を上演、映像化に至りました。もう彼に残されている時間はわずかでしたが、それでもアーノンクールは「魔笛」に関して、「いつもやり足りていない思いにかられていました。私はだまだこの作品を理解する途上にいると思いますが、今回のザルツブルクの上演が、少しでも前に進んでいることを願うばかりです」と述べています。

最後までチャレンジの人であったアーノンクールによるこの2012年の上演も、なかなか仕掛けに富んだものです、特にラストではとんでもない結末が用意されています。チューリヒ盤と合わせて、余裕があればぜひ楽しんでみてください。

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