トスカニーニ ベートーヴェン 交響曲全集(1939) 前篇

貧しい音質から聴こえる炎のベートーヴェン

アルトゥーロ・トスカニーニ(1867 – 1957)といえば、イタリアが生んだ20世紀を代表する名指揮者です。生前はもちろんのこと、亡くなってからも永くフルトヴェングラーと人気を二分し、やれどちらのベートーヴェンが最高だ、またオペラならフルトヴェングラーこそ至高、いやトスカニーニだ!とレコード誌で毎号、騒々しい論争が繰り広げられるほどでした。

フルトヴェングラー関係の書籍を読めば、たいていトスカニーニが悪役となって登場します(笑)。2人が音楽と政治の関わりについて論争した件。憎くてしようがないフルトヴェングラーでもその実力は認めていた件。音楽ファンなら誰もが読んだことがあるこれらトスカニーニのエピソードは、この世紀の巨匠をまるでフルトヴェングラーの噛ませ犬のように印象付け、特に我が国でのトスカニーニの実力を貶める原因になっていたような気がします。

しかし、真摯にトスカニーニの録音に耳を傾けると、そこにフルトヴェングラーに決してひけを取らない、偉大な音楽が鳴り響いていることに気付くでしょう。例えばヴェルディのオペラでは音楽が躍動し、オーケストラはまるで歌手のように旋律を歌います。ためしに、パブリックドメインとなった下のヴェルディ「運命の力」序曲を聴いてみてください。

もう熱狂的と言って良い演奏です。現代でもアンコールでやられれば、聴衆はブラヴォーの嵐でしょう。トスカニーニの演奏は、フルトヴェングラーと全く違うアプローチで、まさに不滅の輝きと聴き手の本能をくすぐる面白さを兼ね備えているのです。

それから、今日でも信じられている誤解。トスカニーニが楽譜に忠実な指揮者と言うイメージ。これもまた昨今の評論家たちによって創られた偶像であり、そうした印象を取っ払って我々はレコードに耳を傾けなければなりません。

確かにトスカニーニは、19世紀ロマン派時代の頽廃感を濃厚に遺すフルトヴェングラーやメンゲルベルクの演奏解釈とは真っ向から対峙し、楽譜に書いてあることのみを再現しようとしました。しかし、それは当時トスカニーニのみが実現していたことではなく、他にもノイエ・ザッハリヒカイトの旗手、エーリヒ・クライバーやフェリックス・ワインガルトナー、フリッツ・ブッシュなど、より徹底したスタイルの巨匠たちがいたわけで、彼らに比べればトスカニーニの演奏はかなりデフォルメされています。

分かりやすい例でブラームスの「第1交響曲」。終楽章コーダの弦の加速(40:29~)はフルトヴェングラーばりで、さらにクライマックスの金管によるコラール(40:44~)には盛大にティンパニの強打が追加されています。まるでシャルル・ミュンシュがパリ管弦楽団と収録した有名な爆演に匹敵するような、はっきりと迫力や効果を狙った処理です。

他にもハイドンの「驚愕交響曲」、ムソルグスキー/ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」、ドビュッシー「海」など、他の誰からも聴くことのできないトスカニーニ語法によるユニークな演奏は数多くあります。そしてそのどれもが古びず、愉しく、熱狂と活力に満ちているのです。

まさにトスカニーニは聴けば聴くほど面白い指揮者。もっともっと今の若い方たちにも聴いてほしいと思います。

というわけで、今日はトスカニーニが1939年に手兵・NBC交響楽団と行ったベートーヴェン・チクルス。交響曲全9曲を収めたBOXを紹介することにいたしました。

トスカニーニは1950年代にもRCAレーベルで有名なスタジオ録音を完成しており、そちらも非常に素晴らしい仕上がりになっていますが、新天地アメリカでの再スタートにより気合を入れて臨んでいる巨匠の充実した凄演を聴きたいリスナーは、当然こちらの全集を選ぶべきです。

Disc 01
・交響曲第1番 ハ長調 作品21
・交響曲第3番 変ホ長調 作品55『英雄』
・フィデリオ序曲
録音:1939年10月28日、ニューヨークNBC8Hスタジオ

Disc 02
・交響曲第2番 ニ長調 作品36
・交響曲第4番 変ロ長調 作品60
録音:1939年11月4日、ニューヨークNBC8Hスタジオ

Disc 03
・交響曲第5番 ハ短調 作品67『運命』
・交響曲第6番 ヘ長調 作品68『田園』
録音:1939年11月11日、ニューヨークNBC8Hスタジオ

Disc 04
・交響曲第7番 イ長調 作品92
・エグモント序曲
・七重奏曲Op.20
録音:1939年11月18日、ニューヨークNBC8Hスタジオ

Disc 05
・交響曲第8番 ヘ長調 作品93
・レオノーレ序曲第1番
・レオノーレ序曲第2番
録音:1939年11月25日、ニューヨークNBC8Hスタジオ

Disc 06
・合唱幻想曲
・交響曲第9番 ニ短調 作品125『合唱』
ピアノ:アニア・ドルフマン(合唱幻想曲)
ソプラノ:ヤルミラ・ノヴォトナ
アルト:ケルスティン・トルボルク
テノール:ジャン・ピアース
バス:ニコラ・モスコーナ
合唱:ウエストミンスター合唱団
録音:1939年12月2日、カーネギー・ホール

管弦楽:NBC交響楽団
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ

1番はハッキリ言って退屈な演奏もこれまでたくさん聴いてきましたが、トスカニーニ盤はそんな演奏とは一線を画します。どのフレーズにも血が噴き出すような生命力が漲り、キビキビしたテンポで主旋律を歌い抜いているかと思えば、パッションの爆発する箇所では思い切りオケを鳴らします。ジャズで言えばスウイングしているようなノリです。

このような演奏ですから皆さんは特に終楽章を楽しみにされると思いますが、私のお薦めは第2楽章。中間部の木管の掛け合い、強靭だけど繊細な弦から紡がれる懐かしい響きは素晴らしい!

エロイカ・シンフォニーも勢いがあって心地よいですね。こんな演奏を聴かされた当時のアメリカの聴衆はさぞ度肝を抜かれたことでしょう。第1楽章など、フルトヴェングラーなら思索、停滞、沈潜、ひらめき、熱狂などがドラマのように交錯してクライマックスを形成していくのですが、トスカニーニは直情的なパッションで突き進むのみ。しかし決して単調なわけではなく、ベートーヴェンの革命的な仕事を明晰に我々に示してくれます。

葬送行進曲なんて、フルトヴェングラーと対極どころか、カラヤンやワルター、いや最近のティーレマンやネルソンスの誰とも違う、圧倒的なスケールと勇壮さを兼ね備えた凄まじさ。何だかショスタコーヴィチの交響曲のような雰囲気すら漂っています。「葬送ばかり強調するんじゃない、これは行進曲なんだ!」という巨匠の確信に満ちた声が聞こえてきそうです。

終楽章の冒頭も、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団に比べれば普通ですが、それ以降の変奏の鮮やかなこと!木管楽器がどんな速いテンポでもぶれない。弦が透き通るほど合っている。すなわち、アンサンブルとして非常に高いレベルに達しており、トスカニーニもたまにテンポ・ルバートをかけるなど一本調子ではない緻密な組み立てで、聴いていてこれほど面白い演奏はない、と言って良いでしょう。

前述のとおり、1枚目からすでにお腹がいっぱいですが、次のDisc02の偶数番号の組み合わせ、「第2」と「第4」についても賛辞が続きます。

いやはや、2番はこれぞトスカニーニ!というべき迫力とスピード感に満ちた演奏。ワルターのようにたおやかに奏でようなんてことはまるで思っていないように聴こえます(笑)。第1楽章はまさに指示通りのアレグロ・コン・ブリオの音楽。一気呵成にうなりを上げる弦楽器セクションのうまさは尋常ではありません。それは第2楽章も同じで、モーツァルトのディヴェルティメントのような清潔なフレージングで、旋律線を見事に浮き上がらせています。そこから3楽章、フィナーレへと猛烈な勢いで駆け抜けるのはお約束通りですが、どのセクションの小さな音型も疎かにしないトスカニーニ、また指揮者の要求に完璧に呼応できるNBC交響楽団の凄さにはもはや呆れるばかりです。

そして次の4番ですが、これがまた意外な演奏。全体的にはトスカニーニ節全開なのですが、第1楽章冒頭、何とライバル・フルトヴェングラーの戦中録音並みに、しずしずとしたテンポで序奏を弾き進めるのです。決してイン・テンポではありません。止まりそうになる箇所すらあります。それが変ロ長調の主題が出現すると一転、おどろおどろしいテンポを取ったりせず、リズムをきわめて明晰に刻む演奏に変化するので、聴く方は「えっ」となってしまいます(フルトヴェングラーは、ここでパトスの開放、ものすごい快速テンポで突き進んでいくのに!)。

この辺のストレートさが、フルトヴェングラーのトスカニーニ批判にも繋がったのでしょう。世紀の巨匠フルトヴェングラーは当時、トスカニーニのベートーヴェンを、テクストの行間を読まず、前後の有機的なつながりの意味を考慮していない、とばっさり切り捨てたのは有名な話です。

しかし、そんな批判をトスカニーニはあざ嗤ったでしょう。「楽譜に書いてあるのはアダージオの序奏からアレグロの主部への移行、変ロ短調から変ロ長調への変化だけだ、他に何があるのだ。」と。

さて、トスカニーニの「第4」の聴きどころは言うまでもなく終楽章です。

この曲にはカルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団による天下の名盤が存在しますが、演奏の方向はまるで違います。クライバーが現代的で、爽快なオーケストラ・ドライブの可能性を追究していたのに対して、トスカニーニ盤は古い表現を使うとまさに「トスカニーニ将軍率いる軍隊の凱旋」というにふさわしい。叩きを明確にし、ズシンズシンと重く深いリズムで聴き手を圧倒する、そんな演奏が展開されています。ぜひ聴いてみられてください。

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