ムーティ モーツァルト ダ・ポンテ オペラBOX

若きムーティの颯爽としたモーツァルト・オペラの醍醐味

W.A.モーツァルト

歌劇「フィガロの結婚」 K. 492 全曲

フィガロ:トーマス・アレン
スザンナ:キャスリーン・バトル
伯爵夫人:マーガレット・プライス
アルマヴィーヴァ伯爵:ヨルマ・ヒュンニネン
ケルビーノ:アン・マレー
バルトロ:クルト・リドル
マルチェリーナ:マリアナ・ニコレスコ
ドン・バジリオ:アレハンドロ・ラミレス
ドン・クルツィオ:エルネスト・ガヴァッツィ
バルバリーナ:パトリシア・パーチェ
録音:1986年9月


歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K. 527 全曲

ドン・ジョヴァンニ:ウィリアム・シメル
レポレロ:サミュエル・レイミー
ドンナ・エルヴィラ:キャロル・ヴァネス
騎士長:ヤン=ヘンドリク・ローテリング
ドンナ・アンナ:シェリル・ステューダー
ドン・オッターヴィオ:フランク・ロパード
ツェルリーナ:シュザンヌ・メンツァー
マゼット:ナターレ・デ・カローリス
録音:1990年9月 ウィーン、ムジークフェラインザール


歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」 K. 588 全曲

フィオルディリージ:マーガレット・マーシャル
ドラベッラ:アグネス・バルツァ
デスピーナ:キャスリーン・バトル
グリエルモ:ジェイムズ・モリス
フェルランド:フランシスコ・アライサ
ドン・アルフォンソ:ジョゼ・ヴァン・ダム
録音時期:1982年7,8月 ザルツブルク祝祭劇場

合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:リッカルド・ムーティ

このセットは超おススメです。特に今からモーツァルトのオペラを聴き始める方にはぜひ手に取って頂きたい。

このようなことを書くと、意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。なぜなら、いわゆる名盤ガイドでこのセットが推薦されることはほとんどないからです。モーツァルトのダ・ポンテ三部作と言えば、古くはベーム、今日ならクルレンツィスが決定盤的な評価を受けていて、いまさらなぜムーティ?と思われる方も多いかもしれません。

逆に、ムーティの1980年代のモーツァルトと言えば、わが国では特に宇野功芳氏あたりがケチョンケチョンにけなしていたため、聴きもせずに低評価を下している方は少なからずいらっしゃいます(その宇野氏は何故かムーティの振るモーツァルトの交響曲には好意的でしたが笑)。

しかし、まずはご自身で実際にお聴きになって確かめてみてください。悪手ですが、今ならYouTubeもあります。デジタルの高音質で、幸せだった時代の芳醇なウィーン・フィルのサウンドに忽ち魅了されることでしょう。

それではさっそく聴いて参ります。まずはフィガロ。

リッカルド・ムーティと言えば、今や押しも押されぬ巨匠ですが、1980年代は期待の俊英として、同郷のクラウディオ・アバドとしのぎを削りながら、魅惑的な名盤を次々と世に送り出していました。そのどれもが若いエネルギーに溢れ、直情的な剛毅さで押しながらも、イタリア人らしいカンタービレ、ドラマティックな表現で、聴く者を常に興奮に導いたものです。

このフィガロでも序曲から飛ばします。力強いフォルテ、朗々と歌いながら疾走する弦セクション。そして何より素晴らしいのは、歌手たちと緊密なアンサンブルを作って、全4幕全く弛緩するところがないところ。最近の円熟の極みにあるムーティの演奏も素敵ですが、猛者のウィーン・フィルを相手に自分の個性を押し通して臆さない若さ、勢いには痺れます。

そしてオーケストラに負けじと素晴らしい声を響かせる歌手たちも豪華!

特に絶頂期のキャスリーン・バトルの清廉な声は特筆もので、かつスザンナという一見、さっぱりした性格の女性の心理の機微を見事に表現しています。たくさんの女性が登場する「フィガロ」ですが、彼女が登場するたびに、「あっ、バトルだ!」と気付くほど、その歌いっぷりはさすがです。

バトルだけではありません。伯爵夫人を演じる往年の名歌手、マーガレット・プライスの存在感も十分。夫から軽んじられながらも、彼の愛情を取り戻すことだけをひたすら願う夫人の健気さ。それを見事に歌い上げています。プライスは、同時期にカルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」で可憐なイゾルデを演じたせいか、リリックなイメージが強いですが、「どこに行ったの、あの時の」などを聴けば、そのドラマティックで迫力ある歌唱に圧倒されます。

男性陣も優秀。トーマス・アレンのフィガロは、ヘルマン・プライの剽軽さには及ばないものの、このクセのある抜け目のないキャラクターを表現するのに全く不足ありません。ヒュンニネンも老獪でありながら愛嬌のある伯爵を存分に歌い上げており、素直な歌唱であるところに好感が持てます。

ただ何と言っても、これだけすごい歌手陣を支えるオーケストラの響きがあまりにも素晴らしく、いかに当時のウィーン・フィルが甘美な響きを有していたか、その技量には感心するしかありません。

この「フィガロ」は、当BOXの中で最も万人から愛される魅力的な演奏だと思います。

続いて「ドン・ジョヴァンニ」。ムーティにとって、このオペラはまさに運命のオペラと言って良いでしょう。

なぜなら、当CDは1990年にウィーンで収録されていますが、そのわずか3年前、1987年のミラノ・スカラ座での舞台も映像としてリリースされており、さらに1999年に上演されたウィーン国立歌劇場での公演もDVDとして出ています。

すなわち計3度。カラヤンでさえ、同じオペラをここまで短期間に再収録はしていませんので、ムーティの偏愛ぶりは相当なものです。

それだけ指揮者の思い入れの強い作品だけに、上に挙げたどの盤も面白く一長一短ですが、私が推すのは2度目のウィーン・フィル盤、すなわちこのボックスに収められたものです。

序曲からものすごい圧力の音楽が鳴り響きます。テンポも速め。「フィガロ」に比べると腰が重く、音響の甘美さよりも、このオペラが内包するシンフォニックな部分をうまく引き出しているような気がします。

すごいのは終盤の地獄堕ちの場面。まるでヴェルディの「レクイエム」を聴いているようで、激しい音のぶつかり合いに聴き手が呑み込まれそうです。そこから息をつかずにフィナーレになだれ込み、ものすごい速さと勢いで押していくところがまことにムーティらしく、何度も聴き返したくなる爽快さです。

そんなオーケストラとやり合う歌手陣にも触れておきましょう。タイトルロールを担うのはウイリアム・シメル。といっても、オペラ歌手としての彼はそれほど録音に恵まれてこなかったので、失礼ながら知名度は高くありません。

彼のことをご存知の方は、おそらく映画俳優としてでしょう。2011年の「トスカーナの贋作」、2013年の「愛、アムール」で名演技を披露した、素晴らしい俳優として彼は広く知られています。

彼のドン・ジョヴァンニは、チェーザレ・シエピが演じたような天性の女たらしではなく、多少重みのあるキャラクターづくりに傾斜しています。最大の聴きどころはやはり例の地獄堕ちの箇所で、ヤン=ヘンドリク・ローテリング演じる騎士長との息を呑むやりとりは圧巻。ここを聴くだけでも、このボックスを買う価値があると言っても過言ではありません。

そして従者レポレロ役を務めるのがサミュエル・レイミー。たった5年前の1985年には、帝王カラヤンが振る同曲でタイトル・ロールに大抜擢され、その実力を広く知らしめたばかりなのに、この盤では正反対の性格のレポレロを見事に演じています。

女性陣も充実していて、特にドンナ・アンナのシェリル・ステューダーは、悲劇のヒロインという枠を超越し、ムーティの快速テンポによって生み出されるモーツァルトの音楽の生命力を見事に表現しています。

何度も申しますように、このディスクは歌手の個性ぶつかる華やかな演奏というより、ドン・ジョヴァンニというはみ出し者をめぐるドラマをよりシンフォニックに表現し、歌手もオケも指揮者の意図を汲んで一丸となった記録と言って良いでしょう。

それでは最後の「コジ・ファン・トゥッテ」はどうか?

この演奏だけは、1982年ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音になります。当時のムーティと言えば、わが国ではニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者として、チャイコフスキーやヴェルディのアイーダのディスクこそ知られてはいましたが、若くて勢いがあるくらいの認識で、同郷のアバドの方がはるかに高い名声を勝ち得ていました。

しかし、欧米ではすでにその才能が広く認められており、ユージン・オーマンディは手兵のフィラデルフィア管弦楽団の後任監督に若きムーティを指名しています。その後、このコンビは12年間にわたって黄金時代を築き上げていますから、オーマンディの慧眼はさすがというしかありません。

また、ヨーロッパでも栄えあるザルツブルク音楽祭での「コジ」上演の指揮者にムーティが大抜擢されており、その推薦者は誰あろう、帝王・ヘルベルト・フォン・カラヤンと言われています。戸惑うムーティは「モーツァルトのオペラは『フィガロの結婚』しか振ったことがないのですが」と泣き言を言いますが、巨匠が「だから頼むのだよ」と素晴らしい激励で切り返し、この歴史的公演は実現したと言います。

そして、その歴史的公演を収録したものがこのボックスに収録されたものです。一般的には、翌1983年公演を収めたDVDの方が再発を繰り返しており、そちらがよりこなれてもいますが、初めての大舞台に緊張するムーティの必死さが伝わってくる82年盤に粗削りな魅力を感じます。

こちらもマーガレット・マーシャル、アグネス・バルツァ、キャスリーン・バトル、ジェイムズ・モリス、フランシスコ・アライサ、ジョゼ・ヴァン・ダムと豪華キャストを取りそろえています。若武者の下によくこれだけ集まったな!と感心しましたが、よく見れば皆さんカラヤン・ファミリーですよね。同時期にカラヤンは「フィガロ」、「魔笛」、「ドン・ジョヴァンニ」を制作していますので、ひょっとしたら自分で指揮をしたいという腹積もりもあったかもしれません。

そういう状況ですから、ムーティにとっては非常に大きなプレッシャーのかかったのは想像に難くありませんが、結局「コジ」という一見ばかげていて、しかし男女の繊細な心理のアヤを、美しい音楽にのせて描き切るオペラの面白さをみごとに表現しています。細かいことを言えば、若干単調な個所も多く、そうした部分の克服は上記の「フィガロ」まで待たなければなりませんが、それでも十分なクオリティに達していて、歌手についてはメンバーがメンバだけに文句のつけようがありません。

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