10月の試聴室 アバド ワルシャワの生き残り

新ウィーン楽派を完璧に、わかりやすく表現するアバド

【収録楽曲】

アルノルト・シェーンベルク
◎ 語り手、男声合唱、オーケストラのための「ワルシャワの生き残り」 作品46

アントン・ウェーベルン
◎ 「音楽の捧げもの」から 6声のフーガ(リチェルカーレ)
◎ オーケストラのためのパッサカリア 作品1
◎ オーケストラのための6つの小品 作品6 (1909年オリジナル版)
◎ オーケストラのための5つの小品 作品10
◎ オーケストラのための変奏曲 作品30

指揮: クラウディオ・アバド
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:ウィーン国立歌劇場男声合唱団
語り手: ゴットフリート・ホーニク
録音:1989年5月、1990年4月、1992年4月  ウィーン、ムジークフェラインザール

 

現代音楽と言えば、中高年以上の方はどことなく距離を置いたり、難解に感じたりするきらいがあると思います。ましてや、新ウィーン楽派ともなれば、名前を聞くだけで拒絶感を示す方もいらっしゃるかも…。

とはいえ、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの音楽は、いまや100年以上も前に書かれた古典になりつつあります。これだけコンサートでベートーヴェンやワーグナーを聴きまくっている私たち。そろそろ20世紀の音楽に耳を傾ける時間を増やしても悪くはないかもしれません。

ちなみに20世紀においては、ピエール・ブーレーズが早くから熱心に新ウィーン楽派の音楽を採り上げていました。作曲家であり、冷徹な視線でスコアを掘り下げることのできるブーレーズの演奏は、専門家から当時最大級の賛辞を受けていて、現在聴いても決して古びない、緻密な表現になっています。

あと、若い音楽ファンの皆さんには意外かもしれませんが、古典派・ロマン派の巨匠というイメージのカール・ベームとヘルベルト・フォン・カラヤンの二人もまた、新ウィーン楽派の決定的名盤を世に送り出しています。

ベームはアルバン・ベルクと同時代人で(ベルク1885年~1935年/ベーム1894年~1981年)、実は友人の間柄にありました。「ヴォツェック」や「ルル」の2大傑作オペラの作曲過程においても、ベームが的確な助言を行っていたことはよく知られています。

また、シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」、ウェーベルンの「管弦楽のためのパッサカリア」のライブ録音も非常に有名で、ベームが若い頃には彼らの曲をさらに積極的に採り上げていたことでしょう。

ただ、ベームの本領はベルクにおいて最も発揮されたと言えます。難解かつ晦渋な作品群をウィーンやベルリンで何度も演奏し続け、ベートーヴェンのように当たり前に演奏される音楽に変貌させたことは、彼の最大の功績です。作者没後30年程度でそれを成し遂げたベームの叡智と職人ぶりには脱帽せざるを得ません。

ではカラヤンはどうでしょうか? 彼には大変有名な3枚組のディスクがあり、新ウィーン楽派の音楽の普及に大きな役割を果たしました。

初登場時、世間は大変驚いたそうです、「まさかカラヤンが新ウィーン楽派を演奏するなんて…。」

そして発売後、世間はその演奏のあまりの素晴らしさ、そして聴いたこともない美しい音響に再度、驚嘆させられました。実際に今聴いてみても、シェーンベルクの「浄められた夜」の美しさは尋常ではありません。ここで鳴り響く音楽は、ブーレーズのように徹底的に分析したものではなく、むしろカラヤンの音楽に翻訳されたもの。小難しい音楽理論なんてそっちのけ、聴き手はただひたすら美しい音響の世界に引きずり込まれます。

ベルクの3つの管弦楽曲も、絶頂期のベルリン・フィルハーモニーの眩いばかりのサウンドが炸裂し、ところどころ、ドビュッシーやホルスト、リヒャルト・シュトラウスみたいな音楽が聴こえてくるので、これはこれで愉しいです。

あとウェーベルンも本来は点描的でドライな音楽のはずなのに、どうやったらこれほどまで表情の濃い、官能的な響きを生み出すことができるのか、まさにこれはカラヤンとベルリン・フィルが生み出した奇跡というしかありません。

ブーレーズ、ベーム、カラヤンと紹介してきましたが、新ウィーン楽派の伝道者として、もう一人忘れてはいけない人がいます。そう、クラウディオ・アバド!

彼もまた新ウィーン楽派の作品を熱心に採り上げ続けたマエストロです。というより、アバド自体が晩年のイメージと異なり、若い頃はブーレーズと競い合うくらい、現代音楽のスペシャリストとして鳴らしていました。年配のクラシック・ファンならご存知のはずです。

さらにアバドは新ウィーン楽派からさらに飛躍し、リアルタイムの同時代人の音楽にも積極的でした。例えば、リーム、ノーノ、リゲティ、ヘンツェ、ダラピッコラ、クセナキス…。

旧い話になりますが、1980年代後半のNHK-FMでは、アバドが主宰する現代音楽イベント、「ウィーン・モデルン」をよく放送していました。古典派やロマン派の若き権威であったアバドが、同時にこうした新しい音楽の旗手としても活躍する姿はとてもカッコよく、小学生の私は訳の分からない音楽を必死にエアチェックしたものです。

そして89年だったと記憶していますが、ウィーン・フィルのライブ特集で、シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」という作品がアバド指揮で採り上げられた日、私は部活をズル休みしてラジオの前に正座しました。この作品、音楽評論家・吉田秀和さんの名著「LP300選」で傑作として記述されていたものの、レコードがなく、当時は聴く術がなかったのです。

放送が始まって、不安定なリズムかつ無調の音楽に合わせ、おっさんの怒鳴るような歌が聴こえてきたのにはびっくりしました。しかし、違和感や拒絶感は起こらず、熱いメッセージ性のようなものが胸に伝わってきたのを覚えています。

実際この曲は、第二次世界大戦中にワルシャワのゲットーを生き延びてきた男の語りを通して、死の収容所で処刑されようとした一群のユダヤ人の恐怖体験を音楽とナレーションで表現したものです(以上、wikipedia引用)。ユダヤ人の怒りの告発として、激情型の演奏が一般的には期待されます。

しかし、アバドの演奏(すなわち、私がラジオの前で正座して聴いた演奏と、今回取り上げるディスクの演奏は同じですが)は、彼らしく非常にあっさりしています。音楽は終始淡々と進みますが、まあ呆れるくらいに精確な再現です。例えば、ナレーションの楽譜は五線でなく一線(すなわち音高がない)、逆に長さは厳密に記譜されており、そんな語りにオーケストラが合わせるのは至難のワザのはず。それでもアバドはアーティキュレーションに最善の注意を払い、不自然な抑揚や響きなど一切起きないよう、オーケストラとナレーションと男声合唱のバランスを完璧にコントロールしています。

そして、アバドの優れたバトンテクニックは、次のウェーベルンの音楽に至っても同じく冴えわたっています。

「音楽の捧げもの」から 6声のフーガ(リチェルカーレ)は、有名なバッハの作品の編曲。冒頭、不安定で一度聴いたら忘れないメロディが奏でられますが、3本の金管で奏でるアイディアはさすがウェーベルン。そして各楽器へ紡がれていく中での哀切感にあふれる独奏ヴァイオリンや浮遊するようなフルートは惚れ惚れするほど美しい。アバドは、そうした部分をより甘美に歌わせることで、300年の隔たりがある2人の天才の音楽像を結び付けています。

そして、習作時代の管弦楽のためのパッサカリア。調性があり、バロック時代の形式に基づいて作曲されていますが、シェーンベルク仕込みの技巧も大いに盛り込まれています。後年の点描的世界というより、ベルクよろしく、ロマン派の影を感じさせる作品。となれば、アバドとウィーン・フィルの独壇場。濃厚で迫力ある演奏が展開されていきます。

続いては、「管弦楽のための6つの小品 作品6」と「管弦楽のための5つの小品 作品10」。これらになると、完全な無調作品。点描音楽がいよいよ全貌を現しますが、アバドはまるで前後につながりのある音楽のように、しかも旋律に異常に熱い思いを込めて展開していきます。休止の生み出す静寂の迫力も特筆すべきでしょう。

最後の「管弦楽のための変奏曲」は、冒頭から殺伐としています。本来は能のようにワビサビ感があり、宙空に音符が浮遊するような音楽ですが、アバドは寿命の短い旋律群の一つ一つの個性を強烈に主張させながら、変奏曲にふさわしい前後の関連付けを精妙に示しています。

それにしても聴いていて、ウィーン・フィルハーモニーの能力が本当にすごい。まあ彼らにとっては、おらが音楽であり、彼らの歴史そのものでもあるのですが、一つ一つの楽器の音色に際立った色合いがあり、確信を持って演奏しています。

これは、カラヤン亡き後のクラシック音楽界のリーダーになったアバドと、当時最高のレヴェルに到達していたウィーン・フィルハーモニーとの最高に幸せな出会いを記録したアルバムと言って良いのではないでしょうか?

ところが、残念ながらアバドとウィーン・フィルはこの後、次第に溝を作るようになり、1997年以降は共演すらなくなります。かつて、コンサート・マスターのライナー・キュッヒルは、「彼は勉強しなくなったから呼びません」と言っていました。

ひょっとしたら、ウィーン・モデルンや新ウィーン楽派の演奏で卓越した解釈とキャプテンシーを発揮していたアバドの、ベルリン・フィル音楽監督就任以降の巨匠化が、何らかの亀裂のきっかけになった可能性はあります。アバドが飽くなきチャレンジ精神を以て、現代音楽をウィーンの地で粛々と紹介していたら、また違った歴史が紡がれていたかもしれません。

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