11月の試聴室 モントゥの「春の祭典」

初演者による愉しいストラヴィンスキー

最初にストラヴィンスキーを聴いた時はそれはもう衝撃でしたね~。

小林研一郎さんが指揮する京都市交響楽団の定期公演での演奏。年配の方はご存知かと思いますが、指揮者・作曲家の山本直純さんが司会を務める往年の名番組「FMシンフォニーコンサート」で放送され、それはもうものすごい衝撃を受けました。テープに録音して何度聴き直したか分かりません。

私はその時すでに中学生で、同年代の子たちに比べればかなりクラシック音楽には精通していたはずですが、なぜかストラヴィンスキーを聴かずにいました。吉田秀和さんの有名な著作「世界の指揮者」、ピエール・ブーレーズ(著作ではブレーズ)の章を読み、この作曲家について非常に興味津々だったのにもかかわらずです。なぜだったのか、明確な理由は今も思い出せません。

それだけに、小林さんが創り出すもの凄い迫力、フル・オーケストラの音響の威力には圧倒されました。これがもし吉田先生御推奨の、有名なブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団盤が聴きはじめであったなら、私は拍子抜けしていたかもしれません。ブーレーズのは70年代当時の楽壇において、精確さと読みの深さにおいて凄さが際立っていたのであって、パワフルさや野性的な物々しさの面で見ればどこか物足りない演奏だったからです。最初に聴かなくて良かった、とつくづく思います。

※ちなみに、小林さんの演奏のような荒々しさが魅力のディスクは、何と言ってもバーンスタイン盤を推します。これはクラシック嫌いの方にもお勧めしたい圧倒的な迫力です。

さて、ラジオ放送ですっかり「春の祭典」に打ちのめされた私は、当然CDを漁り始めました。当時はネットなんてありませんから、ちょっと遠めの大きなレコード屋に走り、まずはブーレーズ盤を探したものです(とにかく吉田先生の文章に踊らされていましたね~)。

しかし、1980年代は今のようにいつでも音盤が手に入る時代と違って、私が買いに行った時は天下のブーレーズ盤すら廃盤扱い。発売元のCBS-SONYもたしかメータ盤のみを現役にしていたようで、そのメータ盤すら棚にはなく…。

それでも私はどうしても諦めきれず、とにかく他の指揮者による「春の祭典」のディスクがないか、棚を探し続けました。そのしつこさが実ってついに…。

ありました!そのレコード店に新設された輸入盤のコーナー。ディスクの側面におそらく店員さんが書いたであろう、曲のタイトルと演奏家名の走り書き。「ストラヴィンスキー 春の祭典 モントゥ指揮ボストン響」。

おお、モントゥなら吉田先生の「世界の指揮者」でも賞賛されていたマエストロ。蝶をあしらったジャケットがちょっぴり怪しいけれど、これは買いだとレジに走りました。

買って正解。すごく明るくて愉しくて、小林さんの表現と違った魅力が横溢するすばらしい演奏でした。

今さら書くまでもありませんが、ピエール・モントゥ(1875年~1964年)は「春の祭典」の初演者。1913年の初演時は賛同者と反対者が殴り合うような大騒動になり、巨匠にとって因縁の曲と言ってもよいです。

しかし、彼は生涯に4度の録音を行っており、他にライブも遺されていますので、トラウマというよりむしろ得意にしていたと言った方が良いのかもしれません。ちなみに、一番最初の1929年の録音がネット上にアップされており、これが信じられないことに非常に聴きやすい音質なので、ぜひ耳にされてください。

まあオーケストラはハッキリ言って巧いとは言えません。これはモントゥの「春の祭典」の録音全般に言えることですが、現代音楽を難なく弾ける昨今のオーケストラのレベルに比べると、多少聴き劣りするのは事実です。最晩年のパリ音楽院管弦楽団とのディスクにしても、その傾向は変わりません。

そういう意味で、シャルル・ミュンシュに鍛えられていた頃のボストン交響楽団と収録した、例のパピヨンジャケットのRCA盤は、技術的にも当時としてはなかなかの水準と言えると思います。最後の「生贄の踊り(選ばれし生贄の乙女)」などかなり足取りが危ういですが、一般的な威圧的で原始的な演奏に比べて非常に気品があり、まるでラヴェルの音楽を聴くようなラテン的な明るさに満ちています。こういうところ、まさにモントゥの面目躍如と言えるのではないでしょうか。

ところで、演奏もさることながら、このディスクは音質も素晴らしいです。私は長年、このディスクはステレオだと思っていたのですが、何と1951年のモノラル録音。楽器の分離もよく、適度に拡がり、強奏部でも音割れしません。1950年代、他のレーベルに先駆けて、RCAは積極的にステレオ録音に取り組んだことで知られますが、その技術力をまざまざと感じさせます。

と、ここまでべた褒めして締め括りに言うのもなんですが、このディスクは現在では非常に入手困難です。パリ音楽院管弦楽団とのものは、ボックスに収録されていていつでも買えるのですが、どうにもボストン交響楽団との名盤が手に入りにくいのは歯がゆいとしか言いようがありません。

皆さんがもし今回の私の駄文に刺激されて「春の祭典」を聴きたいのであれば、そう、まるで子供の時の私と同じ状況にあるのであれば、ぜひピエール・ブーレーズ盤をお聴きになってください。

えっ?と思われるでしょう。お前はさっき、迫力の面で物足りないと却下したばかりじゃないか、と。

いえいえ。私が推薦するのはブーレーズのソニー盤ではなく、91年に発売されたドイツ・グラモフォン盤の方なのです。

録音技術の圧倒的な向上で煌びやかなオーケストラ・サウンドが目の前に展開し、かつ表現がものすごく緻密。迫力も格段に増しており、「春の祭典」のすべての録音の中でトップクラスの出来栄えと言って良いでしょう。

しかし、私が子供の頃に出ていなかったこのディスクに、改めて私は最初に出会わなくて良かったと思います。なぜなら、初演者・モントゥによる格調高い名演奏に触れることを阻んだ可能性があるからです。

モントゥ盤を紹介した今なら、ブーレーズ盤を自信を持って推薦したいと思います。

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