アバド ベルリン・フィル ブラームス 交響曲全集 2

アバド ベルリン・フィル ブラームス 交響曲全集 1 のつづき

アバドのブラームスの特徴は、その軽やかなサウンドにあります。

とは言っても、腰が据わってないわけではなく、何とも爽やかな響きなんですね。

ご存じのとおり、80年代、ベルリン・フィルはカラヤンとブラームス全集を完成していますが、その時はコントラバスは分厚く、金管は荒々しく輝かしく、という独特の鳴らし方をして、フレーズも低弦の出をずらし、ティンパニを深く打ち込むことで引き摺るように演奏していました。
※第1交響曲の第1楽章、オーボエの第2主題が出た後の弦合奏(呈示部の終わりのほう)とか。

ところが、アバドはベルリン・フィルから重厚な響きを引き出しつつも、そんなことはせず、もっと横に軽やかに流線型に歌っていきます。
アバドのこのやり方というのは、むしろフルトヴェングラーに近いような気がします。

第1交響曲の第1楽章も、カラヤンはじめ多くの指揮者が低弦重視のマッシブな響きを作りますが、アバドはティンパニの一撃こそ強いものの、序奏部全体でヴァイオリンの旋律を強調します。
あれ?これって何か前に聞いたことがあるな、と思案していたら、フルトヴェングラーが1952年にウィーン・フィルと収録した演奏がまさにこのようなやり方でした。
ゆえに、力強さ、ゲルマン的な無骨さより、しなやかで北ドイツ風なクールな悲壮感が出てきます。
あと2楽章と3楽章は楽器の音色のブレンドが独特で、奏者もソロ部をカッコ良くキメてくる。
それでも、アバドはギリギリのところでアンサンブルのバランスを整えてきますから、終楽章なんてカラヤンが演出過剰と思えるほど、しっかり楽譜どおりに演奏されています。
それでいて、これまであまり聴こえてこなかった声部や旋律が何とも魅惑的に耳に入ってくるので、まさにアバドの長所が生きた、ブラームス1番の屈指の素晴らしい演奏と言ってよいでしょう。

第2交響曲はアバド節満開で、好き嫌いはあるかもしれませんが、非常に軽やかなサウンドです。

第1に比べると、カラヤン時代のようなティンパニや弦の出方が随所に現れたりしますが(実は、この録音はまだカラヤン存命中の1988年の9月に収録されたものなんです)、第1楽章コーダ→第2楽章なんて、まるでメンデルスゾーンのような弦セクションの美しく儚い響き。
フィナーレのコーダもちょっと編成を見てみたいと思うくらい軽い音でびっくりしてしまいます。

第3交響曲は、冒頭からかなり攻撃的。
というより、ベルリン・フィルが大人しいアバドの棒にこらえきれず軋んでいるようにも聴こえます。
でも、全体としては至極全うな音楽で、たとえばバーンスタイン&ウィーン・フィルのような大河のようなロマン性には欠けますが、時折大きなうねりを作るベルリン・フィルの音響は魅惑的。
有名な第3楽章はアバドにしては珍しくタメを作り、ここは聞き手の期待を裏切りません。
そしてフィナーレの金管は、まさにコラールというあゆみで、消え入るように音楽は終わります。

第4交響曲は、第1楽章冒頭のため息の第1主題がフルトヴェングラー風だと話題になりましたね。
でもサウンド的にも、ベルリン・フィルが荒っぽく聴こえるほど、激しい演奏です。
それだけに、第2楽章第2主題はとても安らかに響き、まるで第2交響曲を聴いているようです。
そして華やかな第3楽章を経て、いよいよ第4楽章の荘厳なパッサカリアが提示されます。
N響アワーでおなじみ、作曲家の池辺晋一郎さんは著作「ブラームスと音符たち」の中で、ブラームスはAという旋律に対抗的なBをつくり、両者を対話させると書いていらっしゃって(例えば第1楽章冒頭のシソに対してミド、ラファに対してレシが出て来るあの掛け合いです)、この4楽章にはまさにそうした掛け合いや、さらに変奏や対位法の扱いまで頻出するのですが、アバドは躊躇うことなく晦渋な構造をしっかり組み立て、また熱気を煽らず立派に締めています。

これは、第1から第4まで、非常に完成度の高いブラームスの全集と言ってよいでしょう。
アバドはこの後、気が緩んだのか、古典・ロマン派の演奏において芳しい評価が得られず、あまりにマニアックなプログラムの企画によってベルリンで不幸な日々を送ることになりますが、晩年の大病後は何か吹っ切れたように、凄みのあるマーラー演奏を聴かせてくれました。
そして、最後はマエストロのライフワークである若手演奏家たちとの静かで感動的な活動に回帰し、2014年1月20日、80歳の生涯に幕を閉じたのです。

このブラームスは、20世紀最後の巨匠が壮年の才気とエネルギーを爆発させた記録と言えましょう。

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