カザルス晩年のステレオ録音

カザルスの枯淡の境地 室内楽の奥の院

私が日頃、CDのネット購入でお世話になってるのはHMVさん、そしてAmazonさん。

店舗買いならば、圧倒的にタワーレコードさんです。

国内盤、輸入盤とも充実の品ぞろえですが、何と言ってもタワーさんの魅力と言えば、自社ブランドでのライセンス販売にあります。

今でこそBOX全盛のおかげで、ありとあらゆる過去の録音が容易に入手できるようになりましたが、CD単売に陰りが見え始めた2000年頃からBOXが浸透し始める2008年頃までは、結構有名な録音でも売れなければ入手困難盤になるようなことがありました。

YouTubeもメジャーではない時代です。コアなクラシックファンは、そうした録音を聴きたければ中古屋さんを血眼になって探すか、メーカーが再発するのをじっと待つしかありませんでした。

そんな消費者のニーズをくみ取ってくれたのがタワーレコードさん。メーカーに掛け合ってそれら不遇な録音のライセンスを買いとり、自社の丁寧なマスタリングやパッケージングで再発し始めたのが2004年のこと。※当時は、新星堂や山野楽器が共催していましたが、現在はタワーさん1社での取り組みになっています。

カタログには、ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ「第8交響曲」やシェリングのバッハ「無伴奏」などが並び、まさに狂喜乱舞したものですが、タワーさんの熱意は我々の予想をはるかに超えて、オケゲムの「世俗音楽全集」や戦前日本の管弦楽など、あらぬ方向にも及んでいき、当時は衝撃を受けたものです。

オケゲム:世俗音楽全集

戦前日本の管弦楽 -戦前日本の代表的名曲集!

私も結構長い間、タワーレコードに通い詰め、再発売を待っていた往年の名盤や、超マニアックなディスクを随分と買い漁ったものです。

最近では、こうしたマイナー録音がメーカー自身によるBOXと競合するようになったため、タワレコさんもさらにマニアックなディスクを発掘するか、ないしはSACD化して発売するなど、大変な企業努力をされています。これは多くの企業が見習っていい取り組みだと私は思っています。

ところで、そんなタワレコさんが2017年の6月、極めてマニアック、かつ知る人ぞ知る名盤を復刻されました。

パブロ・カザルスの芸術~ベートーヴェン、ハイドン、ボッケリーニ、シューベルト作品集<タワーレコード限定>

カザルスについては以前、大変有名な歴史的名盤、J.Sバッハの「無伴奏チェロ組曲」全曲のCDをご紹介しましたが、あれから20年。80歳を過ぎ、酸いも甘いも吸い尽くした老巨匠が若い頃に劣らぬテクニックとスケール感で、後進の名奏者たちと音楽を楽しんでいる様子が記録されています。

 

Disc 01
1. ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 作品5の2、
2. 同:チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 作品102の2、
3. 同:チェロ・ソナタ ヘ長調 作品17(ホルン・ソナタ)

Disc 02
4. 同:ピアノ三重奏曲 第3番 ハ短調 作品1の3、
5. 同:ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97《大公》

Disc 03
6. ヨーゼフ・ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調 作品101、
7. ボッケリーニ:チェロ協奏曲 第9番 変ロ長調 G482、
8. ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 作品5の1

Disc 04
9. ピアノ三重奏曲 第5番 ニ長調 作品70の1《幽霊》、
10. シューベルト:弦楽五重奏曲 ハ長調 作品163 D956

【演奏】
パブロ・カザルス(チェロ、指揮[6,7])
ミエツィスラフ・ホルショフスキ(ピアノ)(1-5)、
ヴィルヘルム・ケンプ(8)、カール・エンゲル(8)(ピアノ)、
シャーンドル・ヴェーグ(ヴァイオリン)(4,5,9,10)、
シェーンドル・ツェルディ(ヴァイオリン)(10)、
ゲオルグ・ヤンツェル(ヴィオラ)(10)/パウル・サボ(チェロ)(10)、
モーリス・ジャンドロン(チェロ)(6,7)、
コンセール・ラムルー管弦楽団(6,7)

【録音】
1958年9月17-20日 ボン、ベートーヴェンハウス(1-5)(ライヴ録音)、
1960年10月5-7日 パリ(6,7) 、
1961年7月19日(8)、22日(9)、23日 (10) プラード(ライヴ録音)

 

カザルスは戦後、祖国スペインで独裁主義的な政策を採っていたフランコ政権とそれを容認した各国に憤りを感じ、フランスのプラドという長閑な街に隠遁。長い間、一切の演奏活動から身を退いていました。

そんな中、ヴァイオリン奏者アレクサンダー・シュナイダーがカザルスを必死に説得し、プラドでカザルスを音楽監督とする音楽祭の開催を提案。カザルスも彼の熱意にほだされ、1950年、提案を受諾します。これが世に有名な「プラド音楽祭」となります。

以降、一転してカザルスは音楽活動に熱心になり、カリブ海に浮かぶ中米・プエルトリコに移住。ここを本拠として、アメリカでの演奏にも乗り出し、大ピアニスト、ルドルフ・ゼルキンが主催する「マールボロ音楽祭」で一躍名を馳せます。さらにさらに、80歳を超えて来日。果ては、90歳を超えて国連でチェロを弾くなど、老いてますます活発な活動を展開するのでした。

ただし、この老熟期のカザルスは、むろんチェロも弾いていましたが、どちらかと言えば、指揮活動に情熱を注いでいたように思えます。ベルリン・フィルやウィーン・フィルと言った世界最高峰のオーケストラに客演するわけではありませんが、長閑な街で開催される音楽祭で編成された特殊なオーケストラを自由気儘に、しかし己の音楽哲学をしっかり時間をかけて浸透させるといった、まさにカザルスにしか許されないような活動を行っていたわけです。

そんなカザルスが、ドイツの統一前、西ドイツの首都であり、ベートーヴェン生誕の地である「ボン」で、盟友・ホルショフスキとベートーヴェンのチェロ・ソナタを録音します。

ホルショフスキは、1993年に100歳で亡くなったポーランドのピアニストですが、99歳まで現役であったことから、私が学生の頃はメディアなどでよく取り上げられていました。しかし、そうしたセンセーショナルな話題などなくても、このピアニストの実力は折り紙付きであり、1930年代にカザルスと遺したベートーヴェンのチェロ・ソナタ集は、今日でも同曲の代表的名盤と評されています。

そして時を経て、カザルスとホルショフスキは、ボンのベートーヴェン・ハウスで久々にベートーヴェンのチェロ・ソナタに取り組みます。

まさに自家薬籠中。カザルスの哀感を帯びた、巨大で地響きのような厚みのある響きのチェロ。ウエットで明瞭な響きながら、堅実なサポートに徹するホルショフスキのピアノ。ややもすると退屈も生じかねないチェロ・ソナタをここまで面白く、飽かせず聴かせる技術はすごいと思います。
※ちなみにケンプとの共演による「第1番」は、硬質なピアノの響きのせいか、随分違った音楽に聴こえるので、その対比が面白いです。

さらに名ヴァイオリニスト、シャーンドル・ヴェーグを加えた「大公トリオ」ともなると、ゆったりとした歌に満ちた音楽の魅惑にすっかり憑りつかれてしまいます。カザルスと「大公」と言えば、1929年にティボー、コルトーと共演した歴史的名盤があまりに有名ですが、ステレオによるこちらの演奏も素晴らしいです。

ヴェーグの雄弁なヴァイオリン、そしてホルショフスキの珠を転がすような音色のピアノ。カザルスの憂いに満ちたチェロ。そしてこの3者が織りなすハーモニーが筆舌に尽くしがたい。

そして次にシューベルトの「弦楽五重奏曲ハ長調op.163 D.956」について。

この作品はシューベルト晩年の作品で、演奏にはなんと50分もかかります。 編成も変わっていて、2つのヴァイオリンは分かるのですが、一本のヴィオラになんと2本のチェロ!低音域がしっかりした音楽です。

ある意味、こういう音楽なら、カザルスをトップに弦楽四重奏団が囲むという感じになりそうですが、5人が対等に弾き切っています。ちなみに、カザルスを囲んでいるのは腕利きのヴェーグ四重奏団。非常に浪漫的な、昔風な音を出すアンサンブルですが、造形は極めてしっかりしており、名手たちの優れた技術を堪能できます。カザルスもこのアンサンブルの中に自然に溶け込み、変に浮き出すことがないのが逆に凄いです。なおこの演奏は、先程述べたプラド音楽祭でのライブ・レコーディングです。

このように魅力たっぷりのBOXですが、あとひとつ、面白い聴きどころがあります。

それは、ホルショフスキとのチェロ・ソナタですが、残響に乏しいデッドな音響になっていて、自宅の狭い六畳間で聴いているような感覚を覚えます。そうした演奏の終了後、何ともまばらな数人の拍手が、パチパチと乾いた音で鳴り響く。とてもシュールな、他に類を見ないような雰囲気の録音です。演奏が素晴らしいのはさることながら、この雰囲気を楽しむだけでも価値ありなCDと言えるでしょう。

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