3月の試聴室 ミュンヒンガーの「四季」

忘れ去られた巨匠ミュンヒンガー

カール・ミュンヒンガー(1915-1990)といいますと、かつてはカール・リヒターと並んで、バロック音楽の権威という位置づけをされていました。

その昔、キング・レコードが「ロンドン」と言うクラシック専門のレーベルを持ち(原盤はデッカ)、「名曲ベスト100」のようなシリーズを定期的にリリースしていた際も、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディなどバロックの作曲家の作品は皆、ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団の演奏、と言うのが通り相場だったくらいです。

それが、80年代に空前の古楽器ブームが起き、アーノンクール、ガーディナー、ピノック、ホグウッドらがこれまでになかった清新な音楽を聴かせるようになると、ミュンヒンガーの地位は相対的に低下。これはカール・リヒターにも起こった悲劇ですが、現代楽器によるバロック演奏は正統ではないような極論が支配的となり、ミュンヒンガーの名前は徐々に市場から消えていく運命を辿るのでした。

リヒターが死後、「マタイ受難曲」や「ミサ曲ロ短調」などのバッハ録音で再評価され、今ではオリジナル楽器派より高い評価を受けているのに比べると、今日、ミュンヒンガー再評価の兆しがないのは残念と言うしかありません。そこで今回、この試聴室を通して、私なりにミュンヒンガーの素晴らしさを皆様にお伝えしたいと思い、筆を執ったわけです。

ミュンヒンガーは、ドイツ南西部の都市・シュトゥットガルトに生まれました。生涯の大半をこの「おらが街」での音楽活動に捧げ、手兵シュトゥットガルト室内管弦楽団も結成しています。ちなみに彼の師匠は、戦前のドイツを代表する名指揮者・ヘルマン・アーベントロートで、個性的ながらロマン的な感情に溺れることのない、峻厳かつ泰然自若たる演奏は、弟子によく受け継がれているような気がします。

さて、手兵を率い、ザッハリッヒなバロック演奏で定評を得たミュンヒンガーは、デッカと契約を結ぶと精力的にレコーディング活動を開始。特にバッハ演奏に力を入れ、「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」、「ミサ曲ロ短調」、「クリスマス・オラトリオ」の4大宗教曲、「音楽の捧げもの」、「ブランデンブルク協奏曲」、「管弦楽組曲」、「フーガの技法」といった器楽作品で素晴らしい録音を遺していきます。

ところが、そんなミュンヒンガーの名声を不動のものにしたのは、実はそれらバッハの演奏ではありません。

 

イ・ムジチかミュンヒンガーか?「四季」の代表盤

いまやクラシック・ファンならずとも、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)の名前を知らない人はいないでしょう。あの有名な「春」の旋律も同様です。

ところが、20世紀の前半までこの大作曲家は、忘れられた存在だったのです。彼はカトリック教会の司祭であり、かつ音楽家としてはローマ教皇の御前演奏を赦されるほどの栄華を窮めた人ですが、晩年はヨーロッパの動乱に活動を阻害され、失意のうちに故国から遠く離れたウィーンで客死した、まさに悲運の人です。

その後、ヴィヴァルディはすっかり世間から忘れ去られてしまい、再登場は20世紀の初頭となります(作曲家、アルフレード・カゼッラによる復興運動)。そんな馬鹿な!?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あの大バッハでさえ、メンデルスゾーンが再発見するまでは今日のような大作曲家の位置づけになく、時代遅れと評されていたくらいですから、別段不思議な話ではありません。

むしろ、私が調べていてびっくりしたのは、この「四季」の楽譜が発見されたのが、何と第2次世界大戦後の1949年であった、ということです。それまでこのあまりに有名な音楽は誰にも知られることなく、永い眠りについていたことになります。

※ここで注意すべきは、発見された楽譜は「四季」と言う単独の作品ではなく、「四季」を含む「和声と創意への試み」というヴァイオリン協奏曲集であった、ということです。この「和声と創意への試み」は12曲のヴァイオリン協奏曲から成り、第1番「春」、第2番「夏」、第3番「秋」、第4番「冬」の4曲を勝手に抜き出したものが、いわゆる「四季」と呼ばれています。ただし、第5番「海の嵐」をはじめ、それ以降のナンバーも大変魅力的ですから、ヴィヴァルディの許可も取らずに誰かが「四季」とやっちゃったことは本来は大変罪深い所業です(笑)。

そんな「四季」が1959年になって突如、世界中で空前の大ブームを起こします。イタリアのイ・ムジチ合奏団がフィリップス・レコードからリリースしたディスクが何と累計950万枚のセールスを達成し、1949年に見つかった当曲は瞬く間に名曲の仲間入りを果たしたのです。

ちなみに、演奏者のイ・ムジチはローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアの卒業生12名が集まって結成した弦楽アンサンブルです。その明るく零れるような瑞々しさを持った弦のサウンドは、「四季」の世界観を表現するのにまさにうってつけの美質で、かつ戦後の重々しい空気を一掃するような晴れやかなオーラは多くの人々の心を打ちました。

そしてこのビッグ・セールスは、「和声と創意への試み」からインパクトのある4曲を切り取って「四季」としたアイディアの勝利とも言えます。「和声と創意への試み」なら、タイトルは厳めしく曲も長くなるので、おそらくはそれほど売れなかったでしょうが、「四季」とすれば誰にもとっつきやすく、また春夏秋冬に格別の想いがある日本人にはなおさらウケました。これはマーケティングの最高の成功事例と言って良いでしょう。

しかし、実はこの「四季」のアイディアというのはイ・ムジチが最初ではありません。イ・ムジチは1955年に初めて「四季」をモノラル録音しているほどの古参ですが、それより前の1951年にすでに「四季」として録音に取り組んだ団体がいたのです。

その団体こそ、カール・ミュンヒンガー率いるシュトウットガルト室内管弦楽団でした。

ヴィヴァルディ: 協奏曲集《四季》(2種)<タワーレコード限定>

私の乏しい知識では、おそらく当盤が「四季」の世界初録音だと思います。それだけでも貴重なディスクですが、実はこの盤の最大の魅力は、ヴァイオリン独奏をラインホルト・バルヒェット(1920-1962)が務めていることです。

彼は1952年までシュトウットガルト室内管弦楽団のコンサート・マスターの地位にあり、その後、職を辞して往年の名クァルテット、バルヒェット弦楽四重奏団を組織します。活動期間は決して長くありませんでしたが、それでもモーツァルトやベートーヴェンで、珠玉のような素晴らしい名演奏を遺してくれました。

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この「四季」におけるバルヒェットは、フレージングがイ・ムジチとは全く異なり、まるでバッハの曲でも奏でるように厳粛に弾いています。驚くべきはそのテンポで、ゆったりと平穏に進行しますが、本当に動きません。彼は基本的なテンポ、リズムを頑なに守り、音楽に威厳のようなものを与えているのです。

また、それを支えるミュンヒンガーの厳格な指揮ぶりも見事の一言に尽きます。

しかし残念なのは、この録音がモノラルで行われたことです。そこでミュンヒンガーはイ・ムジチの大ヒット盤の1年前、1958年に今度はステレオで「四季」にチャレンジします。ヴァイオリン独奏は新しいコンサートマスター、ヴェルナー・クロツィンガー。

このステレオ盤、イ・ムジチほどの大ヒットとはならなかったものの、それに並ぶ「四季」の代表盤としてもてはやされました。イ・ムジチの演奏と比べると、ドイツ風のアクセントが強烈で、さらに禁欲的とも言って良い厳しさが全体を支配しているのです。

例えば、有名な「春」の冒頭を聴いてみましょう。楽譜にないスタッカートのようなアクセントが一音一音に付けられ、音楽が横に流れません。その半面、ヴィヴラートはたっぷりかけられているので、表情がきわめて豊かな演奏になっています。

ただ、イ・ムジチとかカラヤンに馴染んだ耳で聴いてみると、相当奇異な表現に聴こえます。少なくとも南イタリアの温暖で草萌ゆるような雰囲気をここから感じ取ることはできません。これはむしろ器楽的な面白さを追究した「四季」であり、同傾向の演奏としては、あまりにぶっ飛んだ解釈で大きな物議を巻き起こした、アーノンクール盤あたりを想起します。

本当に我が道を行くと言いますか、きわめて挑戦的かつ厳粛なスタイルを貫き通しているところで両者は共通しています。ただミュンヒンガーの場合は商業的に売れる仕掛け=「四季」をやり始めた当事者でありながら、娯楽性を排した厳粛な演奏を展開したわけですから、それがドイツの教会音楽の伝道者たる誇りからくるものなのか、デッカの「売れればよい」というスタンスに対しての芸術家の意地であったのか、は大変興味深いところです。

なお、この演奏とのカップリングは、かつてはモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でした。こちらは愉悦感溢れる文句なしの美演ですから、ぜひ「四季」との組み合わせで再発売してほしいものです。

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