ボロディンSQ ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲集

至上の快感をもたらす墓場の音楽

最近、とあるCD店の告知を見て、思わず「おぉ」と唸ってしまいました。往年の名クワルテット、ボロディン四重奏団による、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集の新譜が出ているではありませんか!

ボロディン四重奏団と言えば、旧ソ連において1945年に結成され、初代ヴィオラ奏者には何と名指揮者ルドルフ・バルシャイが在籍していたほどの名門。その後、何度もメンバーチェンジし、現在ではルーベン・アハロニアン(第1ヴァイオリン)、セルゲイ・ロモフスキー(第2ヴァイオリン)、イーゴリ・ナイディン(ヴィオラ)、ウラディーミル・バルシン(チェロ)という旧ソ連の重苦しさなど微塵も感じさせない奏者たちに、脈々と継承されています。

その新世代が精魂込めて仕上げた、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集。新譜を見てワクワクするなんて、久しくなかっただけに、期待いっぱいに買ってしまいました。

聴いてみて、しかしまあよくもここまで、と呆れるほどの凄いテクニックに圧倒されます。ダイナミック・レンジが広く、諧謔的で複雑なリズムの難所も楽々乗り越え、熱いメッセージ性を感じさせる息遣いが大変素晴らしい、と感心しました。

ただし過去の、すなわち彼らの先輩のボロディン四重奏団が聴かせた、あのどんよりと重苦しい凄絶な雰囲気は、ここでは希薄になっています。当たり前です。現代の奏者がそんな演奏をする必要はないのですから。

正直申しますと、私は彼らの途方もなく精確な技術力に感心しながら、一方でやや物足りなさを感じてしまったのも事実です。冷戦時代のあの寒々しい、張り詰めた空気がビシビシと伝わるようなショスタコーヴィチが聴きたい。

そんなこんなで取り出したのが、このディスクです。

これは、まだソ連がバリバリで存在していた頃。しかも東西冷戦の危機的な状況がピークの、1960年代に収録された録音です。13番までしかないのは、メンバーが途中で西側に亡命してしまったため、と伝わっているので、時代を感じさせます。

最新録音と違うのは、やはり雰囲気。ショスタコーヴィチの全人民の苦悩を背負い、のたうち回るような様子が浮かんできそうな演奏です。最近のリスナーには、やや偏った解釈に基づく、古いタイプの演奏に聴こえるかもしれませんが、私個人はこの感じがたまりません。

それにしても、第2次世界大戦が終わった20世紀中盤に、このようなベートーヴェン以来の弦楽四重奏曲の金字塔のような作品群が生まれたことには驚きを禁じ得ません。

曲は全部で15曲。楽聖には1曲足らず、しかし彼の交響曲とは同数になりますから、これはライフ・ワークというべきジャンルでしょう。

しかも、彼が第1四重奏曲を書き上げたのは1938年。32歳の時と言いますから、ブラームスが大変な苦悩の末に第1交響曲を生み出したのと同様、相当な覚悟と準備を持って臨んだことが窺えます。

初期の曲は、例えば2番など、普段の彼から想像もつかないような優美な旋律に溢れていて驚かされます。同時代のバルトークやベルクの室内楽に比べれば、はるかに聴きやすいと言えます。それが5番ともなると、彼の諧謔的で激しい表現が前面に出てきますから、この時期になってようやく、弦楽四重奏の話法を自家薬籠中のものにしたのかもしれません。

第8番は個人的に最高傑作だと思います。この曲は「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」献呈されていますが、彼の象徴的な技法である自らのイニシャルの音化「D-S(Es)-C-H」、さらに自作からの引用(例えば3楽章に有名なチェロ協奏曲の冒頭が出て来ます)も実施されており、実際は自らの荒廃した感情を表現した音楽であることが研究されています。

それにしても2楽章アレグロ・モルトは、彼の第10交響曲を彷彿とさせる壮絶な音楽。これはクラシック・ファンのみならず、メタル系の音楽がお好きな方でも興奮させられるような魅力に満ちています。また、ボロディン四重奏団の第1ヴァイオリン、ロスティスラフ・ドゥビンスキーの悲鳴を上げるようなボウイングが筆舌に尽くしがたいほど素晴らしく、ぜひ聴いて頂きたいと思います。

ところでショスタコーヴィチは、晩年に近づくほどその音楽は枯れていきます。第13番なんて、壮年期のせわしない、諧謔的で力こぶの入った音楽とは真逆で、静かに、諦念にも似た雰囲気の中、まるで人がしゃべるような旋律が刻まれていきます。

それにしてもたった1楽章の短い中、彼が伝えようとしているメッセージは何だったのか?聴き手は困惑せざるを得ません。

とにかくもうこれは希望も何もない墓場の音楽。繰り返されるピッツィカート、不協和音、金切り声のような高音、終始音楽を支配するヴィオラ。もう音楽の核しか残っていません。ウェーベルンに比べれば、はるかに音楽的・伝統的な形態を残しているというのに、あの点描の世界と同じくらい表現主義に偏っています。こうした音楽をボロディン四重奏団の冷徹さに徹した演奏で聴くことにより、私たちは異世界に連れていかれるような錯覚に襲われます。まことに凄い音楽、演奏!

 

【ボロディンSQ ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲集】

Disc 01
弦楽四重奏曲第1番ハ長調op.49(1967年録音)
弦楽四重奏曲第12番変ニ長調op.133(1972年録音)
弦楽四重奏曲第3番ヘ長調op.73(1967年録音)

Disc 02
弦楽四重奏曲第4番ニ長調op.83(1962年録音)
弦楽四重奏曲第5番変ロ長調op.92(1967年録音)
弦楽四重奏曲第6番ト長調op.101(1967年録音)

Disc 03
弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調op.108(1963年録音)
弦楽四重奏曲第8番ハ短調op.110(1967年録音)
弦楽四重奏曲第9番変ホ長調op.117(1967年録音)
弦楽四重奏曲第11番ヘ短調op.122(1967年録音)

Disc 04
弦楽四重奏曲第10番変イ長調op.118(1967年録音)
弦楽四重奏曲第2番イ長調op.68(1967年録音)
弦楽四重奏曲第13番変ロ短調op.138(1972年録音)

演奏:ボロディン弦楽四重奏団
第1ヴァイオリン ロスティスラフ・ドゥビンスキー
第2ヴァイオリン ヤロスラフ・アレクサンドロフ
ヴィオラ ドミトリー・シェバーリン
チェロ  ヴァレンティン・ベルリンスキー

 

ちなみにボロディン四重奏団は、第2黄金期、すなわち名手・ミハイル・コペリマンが第1ヴァイオリンを務める1980年代に全15曲の録音を完成させています。これは上記、ドゥビンスキー時代の13曲録音に残り2曲を足したわけではなく、ショスタコーヴィチの1975年逝去を受けて、改めて全集という形で15曲を再録音したものです。

自国の大作曲家に対する敬意を払いながら、当時の最新の研究を以て過度な劇性は排し、普遍性・客観性に立脚して演奏されています。余談ですが、私の少年時代、FMでこの第2黄金期世代による15曲の全曲演奏会(クィーン・エリザベスホール)が頻繁に放送されていて、ずいぶんと衝撃を受けたものです。「何だ?この音楽は!」という驚き。そして、それをいとも簡単に弾きこなす猛者たちへの畏敬の気持ち。私のショスタコーヴィチ熱は、実はこの放送で芽生えたと言って良いです。

それに比べるとこの録音は、ライブ演奏時の生々しい熱狂や、ドゥビンスキー時代の氷のような非情さからは遠く、ずっと落ち着いた大人の音楽と評価できます。それでも、ここぞという時のドラマティックな表現力は圧倒的で、かつショスタコーヴィチの使途たる本場感は他を引き離す貫録を有し、まさに20世紀最高の弦楽四重奏曲の完璧な演奏として、今なお最右翼に位置する出来栄えだと思います。

出来れば皆さんには、最新録音を含めて3種類のボロディン盤を聴き比べて頂きたいものです。

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