ブレンデル モーツァルト:ピアノ・ソナタ集

虚飾のない、完璧にこだわった緻密な演奏

Disc 01
モーツァルト:
● ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331『トルコ行進曲付き』
● ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
● アダージョ ロ短調 K.540
● ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310

Disc 02
● ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457
● 幻想曲 ハ短調 K.475
● デュポールの主題による変奏曲K.573
● ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 K.282

Disc 03
● ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457(1990年プラハ・ライヴ)
● 幻想曲 ハ短調 K.475(1990年プラハ・ライヴ)
● ロンド イ短調 K.511
● ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調 K.533+494

Disc 04
● ロンド イ短調 K.511
● ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331『トルコ行進曲付き』
● ピアノ・ソナタ第17番変ロ長調 K.570
● ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330

Disc 05
● ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調 K.332
● ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
● ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457
● アダージョ ロ短調 K.540

Disc 06
● ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調 K.533+494
● 幻想曲 二短調 K.397
● ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
● ピアノ・ソナタ第9番ニ長調 K.311

Disc 07
● ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281
● ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 K.282
● ピアノ・ソナタ第18番ニ長調 K.576
● 幻想曲 ハ短調 K.396(断章)
● ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調 K.533+494

ピアノ独奏 アルフレート・ブレンデル

 

少しばかり昔話をします。

鬼才・グールドが亡くなり、巨匠・ホロヴィッツやゼルキンも衰えを隠せなくなった1980年代。ならばその空いたポジションを奪ってしまえとばかりに、抜群のルックスと凄まじいテクニックを武器に急台頭してきたのが、イタリアのマウリツィオ・ポリーニとポーランドのマルタ・アルゲリッチでした。

両者ともショパン・コンクールの覇者で、当時は飛ぶ鳥を落とすような勢い。グラモフォンの器楽曲の新譜は二人が弾いたものばかりで、ノベルティのカレンダーも両者のかっこいいショットで音楽ファンのハートを打ち抜いていました。

一方、同じ時期に彼らと並ぶ人気を誇っていたピアニストがいます。それが、彼らとは対照的に渋さと堅実さを売りにしていたチェコ出身のマエストロ、アルフレート・ブレンデルです。

こう言うと何ですが、今もってなぜブレンデルがあそこまで売れ筋のピアニスト足りえたのか謎です。たしかに、ブレンデルは20世紀を代表するにふさわしい、技術も音楽性も超一級のマエストロだったのは間違いありません。ただ、これは彼の長所でもあり急所でもあるのですが、彼の演奏は立派すぎて、まるで学術書を読むようなしんどさを手放せずにいたのです。

一言で言うと、ツボを外した時が全く面白くない。一音も疎かにしないほど完璧に鳴らされ、さしたる冒険もなく淡々と進み、かなりな難曲でも破綻することなく(これは実に凄いことですが)、平穏無事に最後の一音を弾き終えてしまう。

アルゲリッチが楽譜を無視したテンポで曲を煽り、ジャズのようにスウィングするのとは大違い。

ポリーニのようにキラキラとした音色で、技巧的な個所を一層聴き映えするように強調して弾くこともありません。

すべては安全無事に。大工場の完璧な工程管理を見せられるような、ある意味、ドイツ的な演奏を聴かされたものです。

しかし、例えばベートーヴェンのソナタのように、聴き手にとってあまり足し引きしてほしくない音楽。立派に弾いてなんぼの作品については、ブレンデルのディスクがひときわ素晴らしく聴こえます。

一番のお薦めは、ブレンデル自身が自己犠牲の陶酔と呼んだ「作品110」。表面的にはすこぶる叙情的で美しく、磨き抜かれたピアノの音色に恍惚感さえ抱きます。その一方、解釈者としてのブレンデルは、不思議な雰囲気を湛える終楽章を受難曲と比喩し、古いバロック様式のフーガを崩壊させて、ベートーヴェンの様式が勝利するという曲の真意を存分に込めて弾いています。実際、ブレンデルは「音楽のなかの言葉」という著作の中でこの件について触れていますから、興味のあられる方はぜひ読んでみてください。

感覚的な美しさと、深いアナリーゼに基づく真面目で探求的な姿勢の両立。これこそ、アルフレート・ブレンデルの本領と言えましょう。

それでは、彼のモーツァルトはどうか?

融通の利かない、天才の作品にメスを入れたような演奏になっていると思いきや、逆に愉悦に満ちた「これぞモーツァルト!」という仕上がりになっているから驚きです。

例えば、ピアノ協奏曲はネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団との共演で全曲を録音していますが、モーツァルトの微笑みも翳も諧謔も無邪気さもすべて詰め込まれていて、これ以上ない完成度に達しています。この全集はあまりに素晴らしいので、ぜひまた別の機会にしっかり書いてみたいと思います。

では今回採り上げるピアノ・ソナタ集はどうか?実はソナタの方は全集ではありません。広範なレパートリーを誇り、全集魔のような印象すらある彼が、モーツァルトのソナタ全集を遺していないというのは驚きです。この集成も、何と1975年から2000年の長きにわたり、彼がボチボチと弾いてきたモーツァルトを寄せ集めたもので、ライブすら含まれています。

つまり、彼は有期で気合を入れてモーツァルトのソナタ全集には取り組まなかったということです。しかし、ブレンデルが天才のソナタにあまり興味がなかった、もしくは格下に見ていたか?と言えば、そのようなことは全然なくて、むしろBBC&ZDFのインタビュー番組における、「モーツアルトを今弾かねばきっと手遅れになるだろう」という彼自身の言葉に、その真意は集約されるのかもしれません。

よく「モーツァルトは芸術家には難しすぎて、子供には簡単すぎる。」と言われます。これは、ブレンデルの源流というべき大ピアニスト、 アルトゥール・シュナーベルの名言ですが、単純素朴な音しか書かれていない天才のスコアを見て、壮年のブレンデルはさぞ、懊悩したと思われます。華やかなオーケストラ・パートと競演する協奏曲と違い、自己との内的対峙が要求されるソナタの演奏において、手探りで数曲は窮めたものの(k331とk457など)、最後まで録音しなかった曲もあるので(k279、k280、k283、k284、k309)、それもあながち邪推とは言えないでしょう。

ただ、上の発言のとおり、「指が回らなくなる」前にブレンデルはきっと全部を弾くことを目指していたはずですが、彼自身が衰えを感じた2008年、我々の期待むなしく、この世紀の巨匠はそのまま引退してしまいました。

それでも、レコードとして記録された数曲は、いずれも入念さ、音の洗練、精神的な深さにおいて、第一級の出来栄えと言って差し支えありません。

「ロンド イ短調」の悠然としたテンポ、煌めき。ロンドと言えば、軽快で疾走するような、悪戯に微笑むような印象を持たれがちですが、本来は「一つの主要な旋律が、別のいくつかの旋律を挟みながら何回か繰り返されるもの」であり、詠嘆のリフレインを表現することも可能です。

ブレンデルの遅い弾き方は、まさにそうしたロンドの正確な意味を踏まえて行われたもの、と言って良いでしょう。それだけでなく、終結部でますます遅く、しかもテンポ・ルバートや微妙な休止を入れて弾くところなど、このほの暗い死の翳のある音楽の怖さ、凄みを余すところなく伝えてくれます。素晴らしい!

有名なk.331もいいですね。1楽章はイ長調ですが、先程のロンドと同じイ調であり、深い翳り、哀しみを内に秘めたメッセージ性のある音楽です。ブレンデルは何か特別なことをしているわけではありませんが、低音をしっかり鳴らし、どの音もおろそかにせず、正確なテンポで弾いていきます。

3楽章のとても有名なトルコ行進曲も、グレン・グールドのようなおかしなことはせず、ファジル・サイのような疾風怒濤の煽りもありません。しかし、ロンドのB旋律はこの曲がトルコの軍隊の打楽器を模していることをはっきり分からせるような明快な打鍵であり、堅実な弾き方の中にも、他のピアニストとは違うしっかりとした解釈が表現されていて、面白いです。

このモーツァルトの選集は、聴いていてすごく楽しく、充実した聴きごたえがあるだけでなく、これからピアノを窮めたい方、特にモーツァルトのソナタをとことん勉強したい方にとって、非常に有用なセットだと思います。それだけ、ここには天才に真正面から向き合い、全曲を諦めるほど完璧にこだわった、ピアニストの神髄が詰め込まれているのですから。

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