アバドの本領発揮、超魅力的なボックス
Disc 01 – 02
歌劇『アルジェのイタリア女』全曲
アグネス・バルツァ(メゾ・ソプラノ)
ルッジェーロ・ライモンディ(バス)
フランク・ロパード(テノール)
パトリシア・パーチェ(ソプラノ)
アンナ・ゴンダ(メゾ・ソプラノ)
アレッサンドロ・コルベッリ(バス)
エンツォ・ダーラ(バス) ほか
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1987年
Disc 03 – 04
歌劇『セヴィリャの理髪師』全曲
ヘルマン・プライ(バリトン)
テレサ・ベルガンサ(メゾ・ソプラノ)
ルイジ・アルヴァ(テノール)
エンツォ・ダーラ(バス)
パオロ・モンタルソロ(バス)
ルイジ・ローニ(バス)
ステファニア・マラグー(ソプラノ)
レナート・チェザーリ(バリトン) ほか
アンブロジアン・オペラ・コーラス
ロンドン交響楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1971年
Disc 05 – 06
歌劇『チェネレントラ』全曲
テレサ・ベルガンサ(メゾ・ソプラノ)
ルイジ・アルヴァ(テノール)
レナート・カペッキ(バリトン)
パオロ・モンタルソロ(バス) ほか
スコティッシュ・オペラ合唱団
ロンドン交響楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1971年
Disc 07 – 08
歌劇『ランスへの旅』全曲
チェチーリア・ガスディア(コリンナ)
ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ(メリベア侯爵夫人)
レッラ・クベッリ(フォルヴィルの伯爵夫人)
カーティア・リッチャレッリ(コルテーゼ夫人)
エドゥアルド・ヒメネス(騎士ベルフィオーレ)
フランシスコ・アライサ(リーベンスコフの伯爵)
サミュエル・レイミー(シドニー卿)
ルッジェーロ・ライモンディ(ドン・プロフォンド)
エンツォ・ダーラ(トロムボノクの男爵)
レオ・ヌッチ(ドン・アルバロ)
ヨーロッパ室内管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1984年
Disc 09
・歌劇『セヴィリャの理髪師』序曲
・歌劇『セミラーミデ』序曲
・歌劇『アルジェのイタリア女』序曲
・歌劇『ウィリアム・テル』序曲
・歌劇『シンデレラ』序曲
・歌劇『絹のはしご』序曲
・歌劇『どろぼうかささぎ』序曲
ヨーロッパ室内管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1989年
全盛期のアバドが到達した「アルジェ」の決定盤
イタリアが生んだ名指揮者、クラウディオ・アバド(1933年6月26日 – 2014年1月20日)は生前、バロックから現代音楽まで広範なレパートリーを誇りましたが、ことロッシーニ(1792年2月29日 – 1868年11月13日)の演奏を大変得意とし、現在でも最高のスペシャリストの名声を得ています。
そもそもアバドはキャリアの初期、『セヴィリャの理髪師』のレコードとヴィデオでその名を世界に轟かせました。イタリアの晴れ晴れとした空気を前面に押し出したような、若々しい颯爽とした演奏が、忽ち世界中の音楽ファンを魅了したのです。
やがてキャリアを積んだアバドは、伝統を重んじ、保守的な街として知られるウィーンにおいても積極的にロッシーニを採り上げるようになり、その目の覚めるようなフレッシュな演奏と入念な舞台演出により、ロッシーニ・ルネサンスと言うべき熱狂を巻き起こしました。
この「アルジェのイタリア女」も、ウィーンでの公演が1988年にNHK-FMで放送されていますが(CDとは別音源)、アバド登場とともに盛大な拍手と歓迎の声がものすごいことになっています。80年代以降でこれほどまでの現象を引き起こしたのは、他にカルロス・クライバーくらいしか知りません。
さて、そんなアバドが振る「アルジェ」。あらすじを簡単に申しますと、モーツァルトやヨハン・シュトラウスのような男女を巡るドタバタ劇です。妻を放逐し、海賊がさらってきたイタリア女をわがものにしようとする太守。しかし、賢いイタリア女と彼氏の男はまんまと太守を罠にかけて逃げおおせます。その間、登場人物のセリフとやりとりは実に機知に富んでいて、それに華を添えるロッシーニの音楽もまた、驚くほど生き生きとしているのです。
演奏は、ウィーン・フィルの零れるようなアンサンブルが何とも蠱惑的で、かつライモンディの滑稽なムスタファ、声質も技巧も絶頂期のバルツァが歌うイザベッラは、まさにハマリ役と言って良いでしょう。そして、それらを束ねるアバドもただただ勢いに任せるのではなく、アツィオ・コルギによる校訂版を用いるなど実に緻密にスコアを読んでおり、例えば複雑な重唱が絡み合う面白さを際立たせる手腕はさすがと言えます。そして、滑るような快速のロッシーニ・クレッシェンド!これを聞いたウィーンっ子たちが熱狂したのも頷けます。
アバドの出世作『セヴィリャの理髪師』と『チェネレントラ』
続いては、アバドの出世作である『セヴィリャの理髪師』。1971年の録音。
1959年に指揮者デビューしたものの、30歳を超えていまだパッとしないアバド。そんな彼がベルリン放送交響楽団を振っている姿をたまたま帝王・カラヤンが見かけ、この若者の才能をとっさに見抜きます。カラヤンは1965年のザルツブルク音楽祭にアバドが出演できるよう働きかけ、しかもウィーン・フィルと共演させます。曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」。
演奏会は大成功を収め、翌年には気難し屋集団のウィーン・フィルとベートーヴェンの「第7交響曲」の録音に至ります。シンデレラストーリーと言うより、彼の類まれな才能を見出したカラヤンとウィーン・フィルの眼力が凄いです。
そして1968年にアバドはロッシーニの『セヴィリャの理髪師』をザルツブルグ音楽祭で上演し、大成功を収めます。その際に演出を手掛けたのが、天才ジャン=ピエール・ポネル(1932年2月19日-1988年8月11日)でした。
ポネルは、世界中のオペラ座で数多くの伝説的な上演を生み出し、またオペラ映画のジャンルでも目覚ましい成果を遺した人です。モンテヴェルディの「オルフェオ」、「ポッペアの戴冠」(アーノンクール)、モーツァルトの「フィガロの結婚」(ベーム)、「魔笛」(レヴァイン)、プッチーニの「蝶々夫人」、ヴェルディの「リゴレット」(シャイー)等々、今日でも傑作とされるものを彼はたくさん世に送り出しています。
そんなポネルはアバドとも幸せな成果を遺しました。このボックスに収められている音源とは別に、スカラ座のオーケストラ、合唱団と収めた『セヴィリャの理髪師』と『チェネレントラ』の映像作品があり、舞台のオペラとはまるで違ったドラマの面白さを堪能できます。
そうした映像に比べると、音楽のみのCDはだいぶ物足りなく感じるかもしれません。しかし、例えば「セヴィリャの理髪師」におけるロンドン交響楽団の引き締まった爽快なアンサンブル、そして何と言ってもヘルマン・プライの丁々発止、コメディ性に富んだ大当たり役のフィガロを聴けば、そんな不満はあっという間に吹き飛ぶことでしょう。
「チェネレントラ」にしても、要はシンデレラのお話ですが、変に壮大な誇張を加えるわけではなく、終始きびきびしたリズムで爽快なクレシェンドを決めながら、ドラマにいのちを吹き込んでいます。この2作は、過去に劇場向けの音楽効果が多数加えられていましたが、アバドは校訂版を用いてしっかり音楽を刈り込み、ロッシーニがピリオド・スタイルのど真ん中に位置した作曲家であったことを明快にしています。1970年代にして、この若者が成し遂げた成果は普通にすごいと思います。
アバド一世一代の偉業 『ランスへの旅』の復権
そして最後は、アバドのロッシーニ愛の最高の果実と言うべき「ランスへの旅」です。
よく批評家が、クラウディオ・アバドを過小評価し、貶す評価を目にします。しかし、それは非常に不見識と言うべきで、私は例えばこの「ランスへの旅」の再発見に関する彼の功績だけでも、歴史に名を残す偉業ではないかと考えます。
1825年のシャルル10世の戴冠祝賀式を祝い、その記念オペラとして委嘱された「ランスへの旅」。上演は成功しますが、なぜかロッシーニはこの傑作を機会音楽程度にしか考えておらず、4回の上演後、彼の素晴らしい音楽の自筆譜はバラバラに散逸してしまいました。
このオペラのことが思い出されたのはそれから何と150年後の1970年代。「ランスへの旅」はすっかり世間から忘れられていましたが、そんな中、この知る人ぞ知る作品の存在に興味を持ったロッシーニ協会や専門家、ヨーロッパじゅうの音楽関係者が楽譜探しや研究に邁進し、ついに復元に成功します。1984年、プロジェクト・メンバーの中で重要な役目を負っていたクラウディオ・アバドの手により、ロッシーニの故郷ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで「ランスへの旅」の復活上演が行われ、空前の成功をおさめました。
その後、アバドはこのディスクに収められている通り、ヨーロッパ室内管弦楽団とレコーディング。続いて、ミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場で上演。とどめは1989年のウィーン国立歌劇場来日公演でライモンディ、カバリエ、バレンティーニ=テラーニ、クベルリ、フルラネットの豪華歌手陣を揃えて圧倒的な名演を繰り広げ、大きな感銘を遺しました。
その後、演奏会形式で手兵・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ともレコーディング。
今では「ランスへの旅」はロッシーニを代表するオペラとして世界中で上演され、録音もされていますが、その陰にはアバド(とそのチーム)の並々ならぬ努力があったことは否定できないでしょう。
このグラモフォン盤は、アバドが最も若々しく充実していた1984年の録音で、アバドの意のままに卓越したアンサンブルを展開するヨーロッパ室内管弦楽団と、来日公演とほぼ同じ、素晴らしいテクニックを持った名歌手たちの歌唱が楽しめる、まさに決定盤です。フィナーレなど人間離れした歌唱がひっきりなしに続き、聴いていて目眩がしそうですが、アンサンブルを崩壊させず、かつ歌手の暴走を一切起させないアバドの統率力には本当に感嘆の言葉しかありません。
アバドの新旧 ロッシーニ序曲集の魅力
さて、このボックスにはもう1枚。ヨーロッパ室内管弦楽団との競演による「序曲集」が入っています。
アンサンブルはアバドの意図を汲んでおり、また1984年当時からしたら格段に技術が向上しています。速いテンポに乗せてロッシーニ・クレシェンドが炸裂し、抜群のカンタービレが泣かせる。どの曲も素晴らしい演奏です。
しかし、贅沢を言えばこれらは円熟してますます風格を帯びてきた巨匠アバドの音楽。皆様に余裕があるなら、若き日のスリリングで多少粗削りなロンドン交響楽団との2枚の「序曲集」も聴いてほしいです。
特にRCA盤には有名な「ウィリアム・テル」序曲が入っています。のちにベルリン・フィルとのコンサートでも取り上げるくらいアバドのお気に入りだった曲ですが、全曲盤は残しませんでした。それだけに聴きどころ満載で、フィナーレにグイグイ食い込んでいくところなど、日頃の穏健な彼の演奏からは想像もつかないような素晴らしさです。他にも「タンクレディ」や「どろぼうかささぎ」など、ロッシーニの魅力満載の曲の極上の演奏が楽しめます。
これら全てを聴いて、ベートーヴェンやシューベルトと同時代を生き、オペラと言うジャンルの可能性を大きく広げたロッシーニの天才ぶりを再認識して頂き、かつクラウディオ・アバドの生前の素晴らしい仕事も偲んで頂ければと思います。