ALTUS ウィーン・フィル・ライヴ録音集 01/03

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シューリヒトと黄金のウィーン・フィル サウンド

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ALTUS ウィーン・フィル・ライヴ録音集 01/01

このボックスは、フルトヴェングラー指揮が11枚中4枚と1/3を占めますが、他はカール・シューリヒトとハンス・クナッパーツブッシュ指揮によるものです。

まず、カール・シューリヒト(1880年7月3日 – 1967年1月7日)について見ていきましょう。彼はフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ同様、自分の色を持った指揮者でした。

カール・シューリヒト

ただ、劇的なフルトヴェングラー、重厚で気宇壮大なクナッパーツブッシュとは異なり、彼が創り出す音楽はどこか飄々として軽量、高貴さと豊かな色彩に溢れていました。その反面、油断していれば聴き手を一刀のもとに切り伏せるような鋭利さも持ち合わせていて、なかなか一筋縄ではいかない指揮者というのが定評でした。

そんなシューリヒトの名演奏、このボックスでは次の4枚が聴けます。

Disc 01
● シューベルト:交響曲第5番変ロ長調 D.485
● ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98

指揮:カール・シューリヒト
録音:1965年4月24日、ウィーン・ムジークフェラインザール

Disc 07
● ブルックナー:交響曲第9番ニ短調

指揮:カール・シューリヒト
録音:1955年3月17日、ウィーン・コンツェルトハウス大ホール

Disc 09
● ブルックナー:交響曲第8番ハ短調

指揮:カール・シューリヒト
録音:1963年12月7日、ウィーン・ムジークフェラインザール

Disc 11
● ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調

指揮:カール・シューリヒト
録音:1963年2月24日、ウィーン・ムジークフェラインザール

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

まずはブラームスの「第4交響曲」。冒頭から、何と繊細な響きだろう!と思わず唸ってしまうほど、60年代ウィーン・フィルの弦の響きは素晴らしいです。さらには木管の朴訥とした色合い、金管やティンパニの柔らかさも、音楽に絶妙の陰影を与えています。

2楽章の力みのなさもピカイチ。すべての楽器が最適に調和しています。ところで私は、弦のさざ波が第1主題を弾きながら登場するあたりを聴いて、ふと同じ作曲家の「第1交響曲」のことを思い出しました。

交響曲第4番の第2楽章中間部

両曲とも2楽章はホ長調で「Andante」の速度をとります。聴感上、とてもよく似ているのですが、それに気付かせてくれたのがこのシューリヒトの演奏でした。

ちなみに、両曲を調性で比較してみると、「第1」はⅠ.ハ短調、Ⅱ.ホ長調、Ⅲ.変イ長調、Ⅳ.ハ短調→ハ長調。「第4」はⅠ.ホ短調、Ⅱ.ホ長調、Ⅲ.ハ長調、Ⅳ.ホ短調。あくまで私見ですが、構造的に相似性があるように見えます。

ただし、ベートーヴェン的世界の中にある「第1」は、ハ短調で始まり、ハ短調の苦しみを経てハ長調の勝利の解決に至りますが(ベートーヴェンの「第5」と「第9」と同じ)、「第4」はホ短調で始まるのに、4楽章に至ってますますホ短調の哀切さを深めたまま終わります。

悲劇的な色調のまま終わる第4楽章

さらに、第3楽章は「第4」がハ長調で「第1」の変イ長調とは関連がないものの、「第1」の終楽章で勝利の凱歌として用いられる調が先行して用いられているところ、「ベートーヴェン的世界」から完全に脱却し、「ブラームスの世界」が完全に確立したことが窺えないでしょうか?

普段、「第4交響曲」を聴いていてこんなことは考えません。特に、フルトヴェングラー、カラヤン、バーンスタインのような重戦車のように威圧的でドラマティックな演奏を聴いていたらなおさらです。

しかし、浪漫的な鎧を脱ぎ捨て、簡明さに徹したシューリヒトの演奏だからこそ、それに気付くことができました。見事な演奏です。

さて続いては、ブルックナーの交響曲第5番、第8番、第9番。

シューリヒトは生前、ブルックナーを大変得意にしていました。彼と同世代のフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、クレンペラーも演奏会で盛んに採り上げており、50年代のヨーロッパではすでにブルックナー・ルネサンスのような状況が起きていました。

一方で、まだ「版」の問題は解決されておらず、交響曲全集もリリースされていない時代。ブルックナーは、彼らのほんの50年前に活動していた、いわば現代作曲家です。それゆえに、今日とはかなり趣の異なる、指揮者の自己主張の強い演奏が普通に行われていました。

シューリヒトの代表的名盤とされるこの2枚組も、今日の我々にはかなり変わった演奏に聴こえます。

これらの演奏の特徴は、何よりまず速い。「第8」のフィナーレなんて飛ばし過ぎじゃないかと思います。チェリビダッケのあのスローテンポと絶妙の間が交錯するまさに幽玄というべき演奏に比べれば、ジョークとも思えるくらいです。

それが「第9」になると、速さと荒々しさが凄絶さを生み、ウィーン・フィルの輝かしいアンサンブルも手伝って、息苦しくなるくらい鬼気迫る表情と神々しい清らかさを作り出しています。「第8」は好き嫌いが分かれるでしょうが、「第9」は異形ながらこの曲の代表的名盤と言って良いでしょう。

シューリヒトのブルックナーは、他に「第3」と「第7」のスタジオ録音がありますが、幸いなことに当時のORF(オーストリア放送協会)がライブ収録したものも数多く遺っています。

この「第5」もそのひとつ。

これは1963年2月24日に行われたウィーン・フィルの定期演奏会のライブ録音。同じ録音が1991年にドイツ・グラモフォンよりウィーン・フィル150周年記念盤として発売され、当時、大変話題になりました。

「ゴシック様式の大伽藍のよう」と喩えられる「第5」ですが、私は昔からこの曲が非常に苦手です。悪い意味でブルックナーの面目躍如、複数のパッセージが緻密にレンガのように積み重ねられ、ヘビー級の鈍重なサウンド、茫洋とした拡がりが、演奏によっては退屈極まりなく聴こえてしまうからです。

ところが、シューリヒト盤を聴くと、そうしたマイナス面が巧みにスポイルされ、最後まで愉しく聴き通せます。ゴシック建築に喩えられる重厚な鎧が脱ぎ捨てられ、終始、爽やかなサウンド。シューリヒトのテンポの動かし方が絶妙で、あっという間にこの長大な音楽を聴き通せてしまいます。第3楽章なんて乱暴なくらい飛ばしますが、トゥッティと木管楽器のソロの対比がかえって際立ち、ブルックナー独特の場面転換の面白さに気付かされます。

意外だったのがフィナーレのラスト部分。彼の「第8番」録音のように快速テンポで一気に終わらせると思いきや、逆に踏みしめテンポで堂々と音楽を広げ、見栄を切って終わります。さすが、シューリヒト。一筋縄ではいかないな、とニヤリとさせられると同時に、大いに満足できました。

「第8」は、EMIスタジオ盤がステレオなのに対し、モノラル録音。しかし、このライブ盤の方が当時のウィーン・フィルの素晴らしいサウンドをとらえきっており、飄々とした軽さの中にブルックナーのオーケストレーションの魅力を随所で堪能することができます。1楽章ラストのトランペットの緊迫感、2楽章の木管楽器による自然の模倣、3楽章のこれぞウィーン・フィルという美しさ、4楽章の眩いばかりの黄金のサウンド。もう今日では聴けないような響きの連続です。

シューリヒトは、快速テンポ、自由なリズムでさらさらと進めていき、ここぞという箇所では大きなタメを作って解放的な音楽を轟かせますが、その劇場的効果は抜群で、彼ならではのマジックと言って良いでしょう。

音質もモノラルのハンディを感じさせず、ステレオでありながら全体的に痩せて窮屈な音質のEMI盤より圧倒的に聴き映えがします。当時のORFの技術の優秀さと保存の丁寧さには感心するばかりです。

「第9」は1955年のライブなので、他の演奏に比べると多少、音質に古めかしさを感じてしまいますが、この名コンビが作り出す音楽の素晴らしさは圧倒的で、冒頭からきわめて緊張感の高い音楽を楽しめます

ただ、2楽章の鬼気迫る迫力はEMI盤の方が上。ちょっとこのライブは緩さを感じます。3楽章も同様にEMIの厳しさに軍配が上がるのですが、特筆すべきは第1主題から第2主題に推移するところ。金管楽器軍の壮大なコラールから徐々に静けさを取り戻し、テンポも落ちていくところの表現があまりにも素晴らしく、今回再聴して息を呑んでしまいました。

今日のブルックナー演奏からすれば、特に若い聴き手の皆さんは違和感を感じるかもしれませんが、ブルックナーの表現の多様性を知る上でも、ぜひ耳を傾けてほしいと思います。

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