インバル/ラヴェル:管弦楽曲集

★エリアフ・インバル/ラヴェル:管弦楽曲集

【収録内容】

Disc 01
1. ボレロ
2. スペイン狂詩曲
3. 道化師の朝の歌
4. 古風なメヌエット
5. ラ・ヴァルス

Disc 02
6. バレエ音楽『マ・メール・ロワ』全曲
7. 組曲『クープランの墓』
8. 亡き王女のためのパヴァーヌ
9. 海原の小舟
10. 『ジャンヌの扇』~ファンファーレ

Disc 03
11. バレエ音楽『ダフニスとクロエ』全曲

Disc 04
12. 高雅にして感傷的なワルツ
13. ムソルグスキー/ラヴェル編:組曲『展覧会の絵』
14. ドビュッシー/ラヴェル編:舞曲
15. ドビュッシー/ラヴェル編:サラバンド

合唱:フランス国立放送合唱団(11)
管弦楽:フランス国立管弦楽団
指揮:エリアフ・インバル

録音:1987年1月15,16日&5月28-30日、1988年5月11-14日 パリ、ラジオ・フランス、スタジオ104

 

他とは違う クールで非感傷的なラヴェル

エリアフ・インバルといえば、日本では東京都交響楽団の指揮者としておなじみ。

古参の音楽ファンなら、フランクフルト放送交響楽団を世界的なオーケストラとして鍛え上げ、マーラー、ブルックナーの素晴らしい演奏解釈を聴かせた、全盛期のインバルのことを懐かしむでしょう。

ただ、私にとってインバルと言えば、苦い思い出があります。

子供の頃、まだまだ知名度の低かったブルックナーのブームが起き、「レコード芸術」の記事を読んで異常に興奮した私は、一番有名な「ロマンティック交響曲」のレコードを入手したのです。

それが、インバル指揮フランクフルト放送交響楽団演奏のレコードでした。

解説は宇野功芳さん。ただ不思議だったのは、何だか演奏に対して納得いかないような意見ばかり書いてあるのです。

まあ、宇野さんと言えば一言居士ですから、そんなもんだろうと聴き始めたのですが、愕然…。音楽の進行、特にデュナーミクがものすごく不自然で、旋律ものっぺりしてパッとしない。そわそわ落ち着きがなく、感動の瞬間がないのです。最初は理解できない自分が悪いと思って我慢し続けたのですが、結局は苦痛で最後まで聴いていられませんでした。

「一番有名で、親しみやすいと言われる第4番なのに、コレ?!」

この出来事のせいで、一時はブルックナーのことを嫌いになってしまいました。こんな現代音楽並みに難解な曲、聴いても分かんないよ!と敬遠してしまったのは言うまでもありません。

ようやくそのトラウマから抜けられたのは、何と1年後。同じ曲を、ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団による演奏で聴いた時でした。

8月の試聴室 シノーポリのロマンティック

私は当時、シノーポリの大ファンだったため、曲目は件のブルックナーでギョッとはしたのですが、まあシノーポリだから良いだろうと耳を傾けたのです。

ところが、意外や意外。ドレスデンのさざ波のようなブルックナー開始、雄大で霧深い森のようなホルン。そしてオーケストラの大海原に広がるブルックナー・リズム。どれをとってもすばらしい。

さらに、インバル盤とは全然違う第3楽章。こんな心躍る音楽がありますでしょうか!

この後、解説書を読んで分かったのですが、インバルが用いたスコアは、めったに使われることがない第1稿。シノーポリはメジャーなノヴァーク版を使っていました。つまり別のスコア。ブルックナーのスコア改訂癖という事実を考慮すれば、全く違う音楽と言って差し支えないのです。

では、なぜインバルはマイナーな第1稿を使ったのか?それは(私見ですが)ズバリ話題性でしょう。

当時、フランクフルト放送交響楽団のネームバリューはまだ無名に近く、何か強みがないといけない。逆に言えば、どうせ売れないならカラヤンやバーンスタインができないことをやろう。

というわけで、インバルのブルックナー交響曲全集では、「第3」「第4」「第8」において、聴きなれない「第1稿」が採用されました。それぞれ、「ノヴァーク版」や「ハース版」に比べ、かなり異なった印象を与えます。当時、ほとんど第1稿録音が存在しなかったことを考えれば、このインバルの全集はじゅうぶん差別化に成功したと言えるでしょう(私のように躊躇ったクラシック初心者もいたでしょうが)。

そして、同時期に完成した有名なマーラー「交響曲全集」の名声も相まって、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのインバルが、次に挑戦したラヴェルの管弦楽曲全集に、いかに多くの音楽ファンの注目が集まったかは想像に難くありません。

ただ、残念ながらこの全集は発売当時、CD選びの権威であった「レコード芸術」の論評で芳しい評価を得られず、ほとんど話題にのぼらなくなってしまいました。特に、音楽評論家・志鳥栄八郎氏の評価は「暗い」と手厳しく、フランス国立管弦楽団を率いながら華やかさを欠くような書かれ方をされていたのは印象的でした。

とはいえ、今聴き直してみると、私はこのようなある種、クールな演奏には強く強く惹かれます。

それまでのラヴェル演奏は、アンドレ・クリュイタンスやデジレ=エミール・アンゲルブレシュトのようにフランスの香気が充満しているもの、ピエール・モントゥやエルネスト・アンセルメのように理知的な中にも洒脱さを失わないものなど、どちらかと言えば(それは必ずしも指揮者が意図したものとは言い切れませんが)印象派をイメージさせるものが主流であったように思います。

それに対し、このインバル盤は徹底してクール。各声部が鮮やかで、スコアが透けて見えるようです。

有名な「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、冒頭のホルン旋律が野太く、エレガントさがなく、思わず「え?」となります。しかし、直後のオーボエによる第2主題、弦の追随、第1主題の反復部分がノスタルジックで、強く印象に残ります。ラヴェルというよりフォレを聴いている雰囲気で、他の演奏にない魅力にあふれています。

「ボレロ」は不思議な演奏。ひょっとしたら手抜き?、オケがヘタクソ?と聴き手に勘繰られてしまうような粗い箇所も散見されます。しかし、どことなくラヴェルによる自作自演に聴かれるようなローカルな緩さとの共通点が感じられて、インバルはわざとやっているのではないか?と感じました。

こういうどこか風変わりな演奏の印象は、「ダフニスとクロエ」で頂点を迎えます。個人的にこの非常に癖のある演奏には興奮させられました!

引っ張られるようなリズムに、他で聴かないようなアーティキュレーション。ハッキリ言って「なんじゃこりゃ」と叫びたくなるような出来栄えです。

ただよく耳を傾けると、音のバランスが独特で、エレガントさや軽妙さを目指すのではなく、1音1音をおろそかにしない、きわめて精緻なインバルの音作りが聴こえてきます。こういうやり方は、チェリビダッケに近いものです。ラストのコーラスが入る部分も、多くの全曲盤では居心地の悪い妖しさが際立つものの、インバルは完全にオーケストラのサウンドに溶け込ませていて、さすがと唸らされます。

あと、ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲による組曲「展覧会の絵」にも触れておきましょう。そう、この曲はラヴェル編曲なのです。あのロシア風なピアノ曲を、ここまで聴きごたえのある華麗な音楽にリメイクしたのですから、まさにオーケストラの魔術師の面目躍如たる名編曲です。これをインバルはどう捌いたのか。

この演奏でも、やはりインバルは一般的な演奏スタイルを採りません。「プロムナード」のトランペットは輝かしく鳴り響きますが、アーティキュレーションが独特すぎて、本当にラヴェル編曲版?と疑ってしまうくらいのクセの強さです。

「キエフの大門」もカラヤンのようにゴージャスで壮大、ゆったりとした運びの演奏に慣れ切った音楽ファンには相当違和感がある演奏と言えるでしょう。テンポ設定やデュナーミクはあのトスカニーニの名盤を彷彿とさせます。

このように、インバルのラヴェルは、人気のクリュイタンス盤やデュトワ盤のように、オーソドックスでフランスのエスプリを感じさせる名盤とは全く対照的なスタイルです。しかし、日頃あまりに聴き慣れているものを音色を含めて一度洗い直し、フレッシュな姿で再現したインバルの手腕は素晴らしいものです。あの風変わりなブルックナーと同じく、このラヴェルは多くの方に聴いて頂きたいと思います。

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