コンヴィチュニー / ベートーヴェン : 交響曲全集

どっしりと落ち着いた、まさにドイツのベートーヴェン

ベートーヴェン:交響曲全集(6CD)

Disc 01
● 交響曲第1番ハ長調 Op.21
● 交響曲第2番ニ長調 Op.36
● 『プロメテウスの創造物』序曲 Op.43

Disc 02
● 交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』
● 『レオノーレ』序曲第1番 Op.138

Disc 03
● 交響曲第4番変ロ長調 Op.60
● 交響曲第5番ハ短調 Op.67『運命』

Disc 04
● 交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
● 『レオノーレ』序曲第3番 Op.72a
● 『フィデリオ』序曲 Op.72b
● 序曲『コリオラン』 Op.62

Disc 05
● 交響曲第7番イ長調 Op.92
● 交響曲第8番ヘ長調 Op.93

Disc 06
● 交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱』

インゲボルク・ヴェングロル(ソプラノ)
ウルズラ・ツォレンコップフ(アルト)
ハンス=ヨアヒム・ロッチュ(テノール)
テオ・アダム(バス)

合唱:ライプツィヒ放送合唱団
管弦楽:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮:フランツ・コンヴィチュニー

録音時期:1959~1961年、ライプツィヒ

 

 

圧倒的な1989年の来日公演

1989年10月9日、東ドイツ・ライプツィヒの街に緊張が走りました。7万人もの市民が民主化を求めてデモを行い、その前には秘密警察と軍隊の銃口が向けられていたのです。

この危機的状況の中、一人の指揮者が立ち上がりました。その名はクルト・マズア(1927年7月18日 – 2015年12月19日)。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として名高い彼は、一音楽家と言う立場を超えて、故国の平和を守ろうと決意したのです。

マズアは4か月前に起きた天安門事件の悲劇を思い出し、ここライプツィヒでも同じことが起こってはならないと考え、東ドイツ当局とデモ隊双方に向け、平和的解決を訴える力強いメッセージを発表しました。結果、東ドイツ政府は軍を動かさなかったばかりか、憤る最高権力者のエーリッヒ・ホーネッカーを失脚させ、事態はベルリンの壁崩壊へ一気に突き進むのです。

そんな歴史的な出来事からわずか1ケ月後。マズアと手兵ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は来日しました。ベートーヴェンの9曲の交響曲すべてを演奏し、伝統的な渋い響きもさることながら、民主化に向かおうとする時代の活気もみなぎり、詰めかけた聴衆は充実した本場ドイツの演奏を堪能できたのです。

1989年の来日公演チラシ

ところで、このライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。どれだけすごいオーケストラなのか、皆さんはご存知でしょうか?その歴史は古く、なんと1743年、世界初の市民階級による自主経営オーケストラとして発足しました。すなわち、創立300年を間近に控える、世界最古のオーケストラなのです。

それだけではありません。このオーケストラの弦楽セクションで構成されるゲヴァントハウス四重奏団は世界最古の弦楽四重奏団。さらに5代目楽長は大作曲家メンデルスゾーン。初演した作品はベートーヴェンの「皇帝」にシューベルトの「グレイト」、メンデルスゾーンとブラームスのヴァイオリン協奏曲、ブルックナーの「第7交響曲」等々…。

まさに、音楽の歴史とともにある素晴らしいオーケストラなのです。

メンデルスゾーン(1809年2月3日 – 1847年11月4日)

20世紀に入ってもその地位は揺るがず、ニキシュ、ワルター、フルトヴェングラー、アーベントロートなど、今世紀を代表する大指揮者たちが楽長を歴任。また、奏者にはヨアヒム、ミュンシュ、ケンペ、ペーター・ダム、ミヒャエル・ザンデルリングなど錚々たるビッグネームが名を連ねました。戦前戦中は、ベルリン・フィルやウィーン・フィルと肩を並べるスーパー・オーケストラだったのです。

ところが、第2次世界大戦後の冷戦がこのオーケストラの栄光を踏みつぶしてしまいます。ライプツィヒは東ドイツに所属したため、政府によって派手な演奏旅行やメジャー・レーベルとの録音契約が徹底的に統制され、40年以上にわたり、謎のヴェールに包まれたオーケストラ扱いを受けてしまったのです。

さらに、この期間に楽長に君臨したクルト・マズアが、カラヤンやバーンスタインのようなカリスマ性を持たず、批評家たちからその堅実さを凡庸と切り捨てられたこともオーケストラにとっては不運で、カラヤンとベルリン・フィルがレコードや世界公演で圧倒的な名声を獲得していったのに対し、それはあまりに対照的な凋落ぶりでした。

ただし、約40年間もドイツに引き籠り、穏当なリーダーのもとで市場から厳しい批判や変革の要請を浴びずに居られたことは、このオーケストラの伝統的なサウンドを温存すると言う思わぬメリットをもたらしました。

その一つの成功例が、1989年の来日公演であった、と言えます。

昨今ではさすがに20世紀まで残っていた独特の音色は、ハイレベルな現代的機能に置き換えられつつありますが、優秀な楽長や若い奏者たちにより、今では栄光の時代の輝きを取り戻しつつあります。

 

 

早逝が惜しまれるカリスマ指揮者、コンヴィチュニー

フランツ・コンヴィチュニー(1901年8月 – 1962年7月)

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、誇るべき伝統と優秀な奏者を揃えながら、戦後、東ドイツを活動の本拠としていたために、イマイチな存在に甘んじていたことは先述しました。

しかし、そんな戦後にも黄金期の予兆はあり、それがフランツ・コンヴィチュニーの楽長時代であった、と考えるのはおそらく私だけではないでしょう。

コンヴィチュニーは、1949年から亡くなる1962年までこのオーケストラの首席指揮者を務めた人です。彼の演奏家としてのキャリアはゲヴァントハウスのヴィオラ奏者としてスタートし、その後、フルトヴェングラー楽長のもとで研鑽を積みました。やがて指揮者に転向。巨匠たちが次々と西側に去る中、アーベントロートとともに東ドイツに残ります。

その音作りは、師・フルトヴェングラーだけでなく、クナッパーツブッシュの気宇壮大さ、クレンペラーのような独特のオーケストラ・バランス、ワルターのようなリリックさなど、他の様々な巨匠たちの特徴をも併せ持ち、ゲヴァントハウスの類まれな技術と独特な音色を強みに、特にドイツ音楽で圧倒的な演奏を聴かせてくれました。

上のベートーヴェンの「第7交響曲」の第1楽章を聴いてみてください。弦のトゥッティの瑞々しさ、独特のリズムの刻み、木管のこの世ならぬ響き、大きな起伏を生み出すアゴーギグの妙技。この指揮者ならではの職人的仕事ぶりがみごとで、さらにゲヴァントハウスの素晴らしいサウンドに惚れ惚れしてしまいます。

たとえ東ドイツが拠点でも、コンヴィチュニーの実力をもってすれば、おそらく西側でもムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのように、ゲヴァントハウスは高い評価を受けていたことでしょう。しかし、残念ながらコンヴィチュニーはかなりの大酒飲みで、それが原因か心臓発作のため、わずか60歳で亡くなってしまいました。これは本当に惜しむべきことです。

一方、これは本当に奇跡と言うしかないのですが、コンヴィチュニーは死の前年(1961年)、ステレオでゲヴァントハウスとベートーヴェン交響曲全集を完成しました。私たちは良好な音質で、戦後間もないゲヴァントハウスの伝統的なサウンドによる本格派のベートーヴェン交響曲全集を聴くことができるのです。

手始めにぜひ「英雄」を聴いてみてください。この演奏にパーヴォ・ヤルヴィやサイモン・ラトルのような、オケに1ミリの破綻もないような精緻さを期待してはいけません。ハッキリ言って大雑把にすら聴こえます。また、冒頭のテンポも何だか気乗りしないみたいで、不安になります。

しかし、この悠然としたテンポが徐々にハマっていき、特に何度も出現する弦セクションの上昇部分ではゾクゾクするような効果を発揮するのです。有名な「葬送行進曲」でも恣意的なアゴーギグはなく、極めて真っ当な歩みながら、指揮者が各セクションの見せ場を作り、たっぷり歌わせることで、深い悲しみと威厳にみちた音楽が立ち現れます。本当に素晴らしい!

それにしても、これはオフ気味の録音のせいかもしれませんが、ゲヴァントハウスのサウンドのなんと美しいことでしょう!木管は手作りの温かさと平和な長閑さに満ち、弦は透明な湧き水のように澄み切っています。くすんだ底光りのするような地味なサウンドと思っていたら、とんでもなく蠱惑的な美しさを聴かせてくれるので驚きました。

「第5交響曲」は全体的にはオーソドックスな演奏で、どことなく晩年のフルトヴェングラーの解釈に似ています。オーケストラの鳴りが良く、スケールも雄大。「運命の動機」の2小節目、5小節目、21小節目のフェルマータの長さも極めて自然な処理に聴こえます。

かと思えば、第3楽章のトリオで弦セクションが極めて独特なリズムを刻み、諧謔的な雰囲気を出すなど、ユニークな解釈にも事欠きません。そして静寂の後、一気呵成に突き進む終楽章の爽快感は堪らないです。

「田園」は、この全集の白眉と言うべき名演奏。冒頭は意外に速めのテンポですが、指揮者は一音一音にしっかりアクセントをつけ、旋律線を明瞭に浮かび上がらせます。主題に対応するフルートの旋律もハッキリ聴こえるので、ベートーヴェンがいかに豊富な旋律を融合させソナタ形式に収斂しているのか分かり、改めて作曲家の神業に圧倒されました。

第2楽章はゲヴァントハウス・サウンドの最良の音が楽しめます。それにしても弦楽器が綺麗。アンチェル時代のチェコ・フィルを想起させます。コンヴィチュニーはチェコ出身と言いますから、ひょっとしたらこういう音を出させるテクニックを持っていたのかもしれません。

そして重心の想い雄大な「嵐」を経て、感動的な終楽章。オケは旋律をじっくり歌い、素晴らしく磨かれた弦の音を浮かび上がらせます。まさに天国的な音楽とはこういう演奏のことを言うのでしょうか。聴いていて思わず涙が出ました。名演。

「第9」は若干、録音技術の限界を感じる部分がありますが、聴きごたえは十分。どことなくフルトヴェングラー的で、ドイツの冬空を感じさせる第1楽章。切れ味満点の第2楽章。ゆったりしたテンポで美しく歌い上げる第3楽章。どこをとってもあざとい表現はなく、コンヴィチュニーは落ち着いてこの山あり谷ありの起伏の大きな音楽を料理していきます。

第4楽章に入ると、オーケストラだけの「歓喜主題」のリレーが見事。その後も大見得を切りながらバスのパートに突入するので、いやがおうにも「喜びの歌」に向けた期待は高まります。

しかし、テノールの独唱からオケ単独の行進曲→「喜びの歌」への推移ではそこまで盛り上がりません。普通の表現です。それ以降は合唱中心の音楽に転じ、宗教的な厳かさ・静謐さが強調されるので、お祭りムードは立ち消えますが、この部分の神秘的な雰囲気は他で聴けるものではなく、「第9」に込められた作曲者の敬虔な想いを見るような気がしました。

そして最後の最後。独唱者らによる4声のフーガからPrestissimoにかけ、コンヴィチュニーはいきなりスピードを上げ、タメも駆使しながら、スケール豊かに曲を閉じます。すなわち、「クライマックスは「喜びの歌」ではなく、コーダなんだよ。あくまでこれは交響曲として演奏しなければいけない。」という指揮者の強い意志を感じました。その演奏効果たるや抜群で、久しぶりに「第9」を聴いて心から満足できたような気がします。

他の曲も大きな魅力に満ちています。

カルロス・クライバーの衝撃的な演奏でフィナーレは速く演奏すべし、という固定観念が出来上がった「第4」は、そのクライバーとは真逆の解釈。どっしりと岩のように揺るがず、悠然と歩む演奏はまさしく戦前のスタイルです。

あとカップリングされた序曲の数々も、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の輝かしいサウンドがいかんなく発揮され、ギリシャの英雄を見るような音楽の造型に浸ることができます。

総じて、今では忘れ去られたような演奏スタイルですが、決してカビの生えたようなものではなく、その豊かな表現力と素晴らしいオーケストラサウンドには誰もが終始圧倒されることでしょう。お薦めの全集です。

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