歌曲も室内楽も素晴らしい、究極の名曲
前に書きましたが、私がクラシック音楽にのめり込むきっかけになったのは、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」を聴いた時でした。最初にエアチェック録音したクラシック音楽も「鱒」であったと思います。
しかし、それらの演奏が誰のレコードであったかは、どうしても思い出せません。せっかくのエアチェックテープにも他の演奏を上書きしてしまいましたし、今となっては詮索もむなしいばかりです。
ただ、しばらくしてエアチェックした、ボストン・シンフォニー・チェンバー・プレーヤーズ来日公演での「鱒」は、記憶に強く残っています。有名な4楽章が終わった後に、何人かのお客さんが間違って拍手してしまい、ものすごく気まずい空気がラジオを通して伝わってきたからです。
その後、「鱒」のレコードは何枚も聴きました。評論家が絶賛していたのは、アルフレート・ブレンデルとクリーヴランド四重奏団の組み合わせによるフィリップスのレコードでしたが、私が聴いたCDは柔らかい音で有名なフィリップスの録音とは思えないほどデジタルっぽく、あまりにキンキンしたので聴くのをやめてしまいました。
逆に、とてもいいなと思ったのは、スメタナ四重奏団メンバーにピアノのヤン・パネンカ、コントラバスのフランティシェク・ポシェタが加わったディスク。1980年代はCDが1枚3000円以上しましたが、このスメタナ盤は1枚2000円の超お買い得盤としてデンオンから出ていたので、お小遣いで買えました。
廉価盤とはいえ、スメタナ四重奏団と言えば60年代から80年代にかけて、日本ではトップ・クラスの人気を誇っていた名カルテットです。そして彼らの「鱒」は、期待以上の素晴らしい演奏でした。
何が素晴らしいかって、パネンカのピアノのタッチがとても柔らかく、またそれに合わせるようにイルジー・ノヴァークの切なく融通無碍なヴァイオリンが実に良い味を出しているのです。ヴィオラとチェロも上手い。
有名な第4楽章も「そうそう、これだよ!」と思わず言いたくなるテンポとデュナーミク。各変奏をサラサラと繋いでいくカルテットに比べればたどたどしく聴こえる個所もありますが、それで良いのです。第3変奏のピアノのオブリガートとコントラバスの交わるようで交わらない掛け合い、第5変奏の切々としたチェロの歌いっぷり。どこをとっても力みがなく、懐かしい田舎の陽光に包まれた風景を思い起こさずにはいられません。
第5楽章も夢のようにロマンティックな音楽。それぞれの見せ場がある第4楽章に対し、5人の調和が試されますが、スメタナ盤は流れるようにしなやかで、まさにmusizierenを体現していると言えるでしょう。
なお、スメタナ四重奏団は1983年にも「鱒」をヨゼフ・ハーラ(ピアノ)、フランチシェク・ポシュタ(コントラバス)と再録音しています。こちらもなかなか良い演奏なのですが、ややピアノが前に出過ぎていたり、部分的に弦奏者の弾き方に独特の癖があるなど、総合的にはパネンカとの共演盤の方に軍配を上げたいです。
「鱒」の名盤としてもう一枚。バリリ四重奏団とパウル・バドゥーラ=スコダ(ピアノ)が競演したCDもお勧めしておきましょう。このCDには、同じバドゥーラ=スコダがピアノを弾いた、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団との演奏もカップリングされています。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を母体としながら、両者の演奏は対極的です。エッジが効いて推進力があるのがコンツェルトハウス。叙情的で戦前のロマンティックな香気を漂わせているのがバリリ。両方、一長一短ですが、私が好きなのは後者です。もうこのような演奏は二度と聴くことはできないでしょう。
第1楽章からバリリの人懐っこい歌いまわしを他の弦奏者がしっかり支えているのが聴きとれ、彼らがいかに卓越した演奏家たちであったのかが分かります。そして第2楽章から立ち上るロマンティシズムを何と譬えたら良いのでしょう!4楽章の有名な主題にもルバートをかけ、思い入れたっぷり。ちょっと甘すぎる気もしますが、古き佳き最良の音楽です。
さて、ここまではピアノ五重奏曲の「鱒」についての思い出語りと名盤紹介をしてきましたが、最後に第4楽章の変奏主題になった歌曲について見ていきましょう。
歌詞は意外にもシューベルト本人が書いています。ずる賢い漁師が巧い具合に魚を釣り上げる様子を描いているだけに見えますが、実は「男はこう言う風に女をたぶらかすから、若い娘さんは注意してね」という裏の意味を持っています。何とユニークな感性でしょう、詩人としてもシューベルトは優秀です。
『鱒』(Die Forelle)D550
フランツ・シューベルト:作詞、作曲(ドイツ語)
In einem Bächlein helle
Da schoß in froher Eil
Die launische Forelle
Vorüber wie ein Pfeil.
Ich stand an dem Gestade
Und sah in süßer Ruh
Des muntern Fischleins Bade
Im klaren Bächlein zu.
Ein Fischer mit der Rute
Wohl an dem Ufer stand,
Und sah’s mit kaltem Blute,
Wie sich das Fischlein wand.
So lang dem Wasser Helle,
So dacht ich, nicht gebricht,
So fängt er die Forelle
Mit seiner Angel nicht.
Doch endlich ward dem Diebe
Die Zeit zu lang. Er macht
Das Bächlein tückisch trübe,
Und eh ich es gedacht,
So zuckte seine Rute,
Das Fischlein zappelt dran,
Und ich mit regem Blute
Sah die Betrog’ne an.
(日本語訳)
澄んだ小川で
楽しげに急ぐ気まぐれなますが
矢のように泳ぎ去っていった
私は岸辺に立ち
甘美な静けさの中で見つめていた
活発な小魚が
透明な小川で泳ぐ様子を
釣り竿を持った釣り人が
岸辺に立っていた
冷淡な目つきで見ていた
小魚がどう動くかを
水の澄み切った様子が続く限り
私はこう思った
彼は釣り針でますを
捕まえることはできないだろうと
しかしついに泥棒は
待ちきれなくなった 彼は
小川を悪意をもって濁らせた
私が気づく前に
彼の釣り竿がピクリと動き
小魚はそこでバタバタともがいた
私は血が騒ぐのを感じながら
騙された魚を見つめた
シューベルトの歌曲と言えば、ディートリヒ=フィッシャー・ディースカウを聴いておけばまず間違いありませんが、この曲に関しては、女声の方がより皮肉っぽく聴こえて、私は好きです。数多の名盤の中でもエリーザベト・シュヴァルツコップのCDに一票を投じましょう。これもまたバリリ盤同様、過ぎ去った素晴らしい時代の残影をとどめた最高の音楽です。