NHK-FM 文化の日の衝撃
私が「試聴室」を投稿するのはだいたい月末なのですが、令和6年11月は訳あって3日にアップします。
さて、今から36年前の1988(昭和63)年11月3日(文化の日)、あるラジオ番組がクラシック音楽ファンの間で大変な話題になりました。NHK-FMで夕方16時から放送された、「さすらいの6ミリテープ」という番組です。
司会は山口勗さん。現在では、ペンネームの桧山浩介さんでお呼びした方が有名でしょう。そしてこの番組の中身は、全編を通して大指揮者・ウィルヘルム・フルトヴェングラーに関するものでした。
この放送当時は、私はまだ中学1年生で、フルトヴェングラーのことはよく知りません。現在のようにYouTubeもありませんし、怒涛の如く巨匠のCDが発売されたのはもう少し後の時代です。
ただ、吉田秀和さんの「世界の指揮者」を読んで、ものすごい指揮者なんだ、というイメージがあったので、放送前は何だかとてもワクワクしていました。
放送された曲は3曲。
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(録音:1948年12月&1949年2月)
ブラームス:交響曲第1番(4楽章のみ)
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(録音:1945年1月23日)
ペッピング:交響曲 第2番ヘ短調
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(録音:1943年10月30日)
モーツァルトは昔から名盤とされてきたレコード録音です。冒頭から何かに憑かれたような速さで押しまくり、しかもその印象は小林秀雄の言う「疾走する哀しみ」などというロマンティックなものではなく、ダークな感情が渦巻く、いわばデモーニッシュなものでした。
とりわけ2楽章の疲れ切った死の世界の音楽、3楽章のトリオのこの世ならぬ妖しい明るさはちょっとゾッとします。
しかし、それ以上に衝撃だったのは、ブラームスの「第1交響曲」の“第4楽章”。今まで知られていなかった演奏だけに、いかに大きな衝撃を受けた人が多かったことか、現在、ネットの書き込みなどで明らかになっています。
とにかく暗く、重い。演奏が、というより、戦時中のベルリン・フィルハーモニー・ホールの会場のどんよりした空気が伝わってくるのです。コーダも勝利の凱歌というより、ショスタコーヴィチのような諧謔的な明るさに聴こえます。
この不思議な、しかしとんでもない迫力と凄絶さに満ちた演奏には震えました。オーケストラの技量も凄い。そしてこんな演奏をやってしまうフルトヴェングラーとは何者なのか?中学生の子供の好奇心は、すっかり鷲掴みにされてしまいました。
そして最後は、エルンスト・ペッピング(1901年9月12日 – 1981年2月1日)というドイツの作曲家の手による「交響曲第2番」。ペッピングは、1981年と比較的最近まで生きていた割には、あまり知名度は高くない作曲家ですが、この日、ラジオから流れてきた音楽は冒頭からとんでもなく凄絶で、ブラームスやブルックナーに匹敵する音楽にさえ聴こえました。
とにかく、最初から最後まで呆気にとられっぱなし。まさに「文化の日」にふさわしい素晴らしい番組で、今でも記憶に深く刻まれています。
その後、翌1989年の3月と8月にもフルトヴェングラーの未知の演奏は、「幻の実況録音テープ」と題され、NHK-FMで引き続き、放送されました。曲目は、ベートーヴェンの「第4」「第5」「第6」「第7」「第9」、ブルックナー「第5」、フィッシャーとのブラームス「第2ピアノ協奏曲」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」、ハインツ・シューベルト「賛歌交響曲」等々。
それまで文字でしか知らなかったフルトヴェングラーの演奏に次々とタダで接することができ、中学生の私には一生分の幸運が舞い込んできたように思えました。
さて、言うまでもなくこれら一連の放送は、ソ連が終戦時にナチスから接収したテープをドイツに返還したことにより実現したものです。まず1987年、ソ連のペレストロイカ(情報公開)政策により、一部のテープが自由ベルリン放送に送られてきました。これは、オリジナル・テープのコピーであったと言われています。次いで1991年に千数百点のオリジナル・テープが返還されました。
これらはナチスが軍事目的で開発したマグネットフォンという当時最高の技術で記録しており、1940年代でありながら、驚異的な音質でフルトヴェングラー全盛期の演奏を楽しむことができます。
そして1989年の夏には、ドイツ・グラモフォンより1枚2000円という安さで、放送と同じ演奏がリリースされました。今ではさらに良好なマスタリングが施されたCDがたくさん出ているので、顧みられることもなくなりましたが、当時は熱心に買い集めたものです(今ではフルトヴェングラーの演奏ではないと断定された、ハイドンの「交響曲第104番 ロンドン」が含まれるのは、マニアには注目でしょう)。
演奏はどれも素晴らしいの一言に尽きます。よろしければ過去記事をご覧ください。