神話時代の巨匠のものすごい演奏記録
クレンペラー&ウィーン・フィル~1968年ウィーン芸術週間ライヴ(8CD)
Disc 01
① モーツァルト:セレナード 第12番 ハ短調 K.388/384a「ナハトムジーク」
② モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
Disc 02
③ ベートーヴェン:序曲「コリオラン」Op.62
④ ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 Op.60
⑤ シューベルト:交響曲 第8番 ロ短調 D.759「未完成」
Disc 03
⑥ ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調Op.67「運命」
⑦ ラモー:ガヴォットと6つの変奏曲(クレンペラー編)
Disc 04
⑧ ブルックナー:交響曲 第5番 変ロ長調
Disc 05
⑨ マーラー:交響曲 第9番 ニ長調(第1-3楽章)
Disc 06
⑨ マーラー:交響曲第9番 ニ長調(第4楽章)
⑩ J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第1 番 ヘ長調BWV.1046
Disc 07
⑪ R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20
⑫ ワーグナー:ジークフリート牧歌
⑬ ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》第1幕への前奏曲
⑭ ワーグナー:《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲
Disc 08【ボーナスCD】
⑮ ブラームス:ドイツ・レクイエム
指揮:オットー・クレンペラー
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:ウィーン楽友協会合唱団⑮
ヴィルマ・リップ(ソプラノ)⑮ エバーハルト・ヴェヒター(バリトン)⑮
録音:1968年5月19日(①②⑩)、26日(③④⑥)、6月2日(⑦⑧)、9日(⑨)、16日(⑤⑪~⑭)
ウィーン楽友協会大ホールでのライヴ【ステレオ】
【ボーナスCD】1958年6月15日(⑮)同上ホールでのライヴ【モノラル】
これは凄いBOXです。オールド・スタイルの演奏が好きな方には強く購入をお勧めします。
ワルター、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュらがしのぎを削っていた、まさに指揮者神話時代。神々のひとり、オットー・クレンペラー(1885年5月14日 – 1973年7月6日)は、他の巨匠に勝るとも劣らぬ名声と実力を兼ね備え、特にドイツ・オーストリア音楽で卓越した演奏を聴かせました。このボックスには彼の貴重なステレオ・ライブ録音が収められており、しかも、オーケストラは黄金時代のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。
1968年の初夏。フィルハーモニア管弦楽団との活動を中心に、イギリスをホームグラウンドとしていたクレンペラーは、5年ぶりに音楽の都・ウィーンの地を踏みました。戦後、彼がこの地で指揮を行ったのは1947年、1958年、1963年、そしてこの1968年の4回だけ。
そんな久しぶりのウィーンで、彼は手強い猛者連中をまるでしもべのように完全に掌握し、有名曲の数々をまるでたった今生まれた曲のように、新鮮で緊張感あふれる音楽として再生し、聴衆を深い感動に誘いました。このボックスではカットされていますが、シューベルトの「未完成交響曲」の最後の一音が消えた後、聴衆の「シューン(ドイツ語で美しい!の意)」の言葉が静寂の中に響いたのは有名な話です。
では、そんな凄い演奏とは一体どんなものだったのでしょう?さっそく聴いてみることにします。
1枚目はモーツァルトのジュピターです。フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音もドイツなまりの強いスケールの大きい名演でしたが、この演奏はさらに個性的。冒頭からの踏みしめテンポが強烈で、弦の生々しさ、木管楽器の色合いの豊かさが非常に印象的です。ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のレコードや、昨今の古楽器演奏とは正反対の、デフォルメされた巨大な絵画のような音楽が眼前にそびえます。
それが第2楽章になると、スケール豊かな歩みはそのままに、今度は厚みのある弦をたっぷりと鳴らし、憂愁に満ちた音楽を作り上げていきますから、この指揮者の腕前は大したものです。モーツァルトが敢えて「カンタービレ」と書き添えた意味をよく理解していると言えるのではないでしょうか。
圧巻はフィナーレです。意外と常識的なテンポの第3楽章に続き、フィナーレもやや快速気味に進行するのですが、コーダあたりからテンポはグッと落ち、各主題のポリフォニーとホモフォニーの交錯が鮮やかに描き出されます。これだけの踏みしめテンポならば、他の演奏では早くて聴き取れない対位法の扱いも、手に取るようにわかります。
まあ難しいことは言わなくとも、ジュピター音型を吹く金管の壮麗さ、ラストのワーグナーのような迫力には誰もが圧倒されることでしょう。モーツァルトらしさは薄いものの、音楽的には極上の名演と言って良い、と思います。
2枚目に収められた「未完成」はとんでもない名演奏です。
ウィーン・フィルは、ワルター、フルトヴェングラー、シューリヒト、ベーム、カルロス・クライバーといった、各時代の巨匠たちとこの曲の名盤を遺しており、彼らにとってはまさに自家薬籠中の作品。しかし、クレンペラーはウィーン・フィルに任せっきりの演奏にせず、甘美さを極力排した独特の寂静感を出しているのです。
淡々と始まる第1楽章。ウィーン・フィルの弦と木管は独特の豊かな色合いを聴かせますが、展開部あたりから音楽が徐々に冷たくなっていきます。もう何だか怖いと言って良いくらいに…。再現部に入る寸前のフルートと弦のピッツィカートとか、冒頭の「ロ – 嬰ハ – ニ」が何度も出現するあたり、休止も含めて本当に恐ろしい音楽を作り出しています。これは、以前激賞したフルトヴェングラーの悲劇性とは明らかに異質なものです。
第2楽章は冒頭からウィーン・フィルのこの世ならぬ美しいサウンドにうっとりします。しかし、そこにワルターのような愉悦はありません。
続く不安な夢のような第2主題がフルート→オーボエによって奏される際も、深い「間」と絶妙のルバートが仕掛けられ、支える弦の今にも崩れそうな脆さも相まって、またしても聴き手はゾッとするような世界に立ち入ってしまいます。
その後の激しいトゥッティから不安な夢への回帰も息を呑むくらいドラマティックな展開です。ただ再びのトゥッティはなく、音楽はピッツィカートとともに、ひたひたと引き摺るような歩みで、得体のしれない世界の中に消えていきます。何と素晴らしい音楽、何と素晴らしい演奏でしょう!終演後の誰かの「Schön」のつぶやきも当然と言えます。
3枚目。何と言ってもベートーヴェンの「運命」が聴きものです。フィルハーモニア管弦楽団とのレコード録音は、恐ろしく巨大なテンポで仰天しましたが、このウィーン盤のテンポも遅めで、どことなくフルトヴェングラーの1947年復帰演奏を彷彿とさせます。特に第1楽章はその傾向が顕著と言って良いでしょう。
第2楽章は「未完成」の時ほどではありませんが、踏みしめるようなテンポで、寂しい荒野を一人で歩くような趣があり、徐々にクレンペラーらしさが現れ始めます。第3楽章は、黄金のムジークフェラインの空間いっぱいに広がるオーケストラ・サウンドがとらえられており、迫力十分。諧謔的なトリオのあとの経過部も、妙にpppに拘泥することなく、淡々と音符を扱うところが実にユニークです。
最後の第4楽章は変に煽ることをせず、微動だにしない悠然としたテンポなのですが、昨今信奉されているイン・テンポなどとは違い、まさに稀代の偏屈オヤジの芸当と言えるものです。ただそれゆえに、強烈なティンパニの打ち込み、ホルンの豊かな響き、木管の絶叫が際立つこととなり、迫力がありながら細部まで彫琢された演奏に仕上げているのは見事としかいいようがありません。コーダのとんでもない迫力に聴衆が熱狂したのも当然でしょう。
さて、このボックスについてはもう1回、章を設けます。次はブルックナーやワーグナー、そして私がずっと書きたかったマーラーの「第9交響曲」にも触れたいと思います。乞うご期待。