巨匠ドホナーニ堕つ
ドイツ出身の巨匠、クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929年9月8日 – 2025年9月6日)が96歳で亡くなりました。ハイティンク、レヴァイン、小澤征爾と、2020年代まで頑張ってくれた指揮者たちが次々と鬼籍に入り、それより上世代のドホナーニにはまだまだ活躍して欲しかったのですが、残念です。
ドホナーニは、世界大恐慌に見舞われた1929年にベルリンで生まれました。彼の家系のルーツはハンガリーにあり、祖父のエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877年7月27日 – 1960年2月9日)は、有名なピアニスト、音楽教育者です。父・ハンスも高名な法学者でしたが、ナチスに抵抗したかどで処刑されてしまいました。
青少年期に思わぬ不幸に晒されたクリストフでしたが、ミュンヘンで作曲・ピアノ・指揮を学ぶなど、徐々に音楽の道を歩み始め、さらにアメリカに渡って祖父エルンストに師事。直々にその高度な音楽理論を学びます。
そんな彼の指揮者としてのキャリアは1950年代に始まりました。堅実な下積が続きますが、1970年代にはウィーン国立歌劇場にも登場するほどになり、メジャーレーベルでのレコーディングも徐々に開始。1980年代には、同世代のビッグネームの指揮者たちにひけを取らない人気を獲得するようになります。
ドホナーニのキャリアを決定づけたのは、1984年のクリーヴランド管弦楽団の音楽監督就任です。言うまでもなく、このオーケストラの黄金時代を築いたのはジョージ・セル。その次の音楽監督が現代音楽の雄、ピエール・ブーレーズ。そして鬼才、ロリン・マゼールですから、当時のドホナーニの楽壇での評価がいかに高かったかが窺い知れるでしょう。
そしてドホナーニの就任後、彼の厳しいトレーニングで、クリーヴランド管弦楽団はセル時代の洗練されたアンサンブルを取り戻し、古典から現代音楽まで、幅広いレパートリーを高い技術で表現できるスーパー・オーケストラに成長していきます。
ドホナーニはマネジメント面も大変有能で、就任後すぐにテルデック、デッカ、テラークのメジャー・レーベルと契約。CD全盛期にこのコンビの録音が安定的に供給されることに繋がりました。さらに世界ツアーも頻繁に行い、ワーグナーの「指環」全曲公演も敢行。老朽化した本拠地、セヴェランス・ホールの改修にも成功し、マゼール時代にやや停滞したこのオーケストラの地位向上に大きな貢献を果たしました。
私はこのコンビの全盛期に素晴らしい演奏の数々を聴き、ガラスのような純度の高さ、突き刺すような切れ味に驚嘆し、何度も感嘆の声を漏らしたことを覚えています。例えば、マーラーの「第9」は恐ろしいほど冷たい音楽に仕上がっており、恐怖すら感じる瞬間もありますが、奏者ひとりひとりが音符の細かいところまで忠実に再現し、ポリフォニー的に鳴る部分でも楽器のバランスは最上に保たれ、アンサンブルの精度と弱音の驚異的に美しさには思わず言葉を失いました。
バーンスタイン、またはカラヤンとも異なる独特の音楽世界で、ぜひ多くの方に聴いてほしい名盤中の名盤と思います。
とはいえ、このコンビの演奏は冷たいばかりではありません。例えば、機能的な中にもどこか東欧の人懐っこさを感じるドヴォルザークの「第8」と「新世界」は、セル時代の伝統を受け継いだ素晴らしい演奏です。
「第8」の有名な第3楽章に漂うたとえようのない美しさ、高貴さ。「新世界」の2楽章でところどころ現れるルバートの絶妙な効果と弦の驚異的な美しさ。そして、カラヤンやクーベリックのようなドラマティックな畳みかけはないものの、細かいパッセージを慎重に積み上げつつ、冷静に音楽構造を浮かび上がらせる両曲の終楽章。その計算され尽くした対比のバランスは、さすがとしか言いようがありません。
ドホナーニが大いに活躍した1980年代から90年代は、とかく日本の音楽評論家が彼の演奏を貶しまくっていましたが、いったい何を聴いていたのだろうと思ってしまいます。他にもリヒャルト・シュトラウスやモーツァルト、ウェーベルンの名演など、お話ししたいネタはたくさんありますが、そろそろ本題に入りたいと思います。
牧歌的で軽やかなブラームスの超名演
ブラームス:交響曲全集、ヴァイオリン協奏曲、他(4CD)
Disc 01
・交響曲第1番ハ短調 op.68
・大学祝典序曲 op.80
Disc 02
・交響曲第2番ニ長調 op.73
・悲劇的序曲 op.81
Disc 03
・交響曲第3番ヘ長調 op.90
・ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.77
Disc 04
・交響曲第4番ホ短調 op.98
・ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
ヴァイオリン:トーマス・ツェートマイアー(op.77)
管弦楽:クリーヴランド管弦楽団
指揮:クリストフ・フォン・ドホナーニ
録音:1986年~1989年 メイソニック・オーディトリウム
私がドホナーニの数多ある名盤の中でイチオシなのが、この80年代後半に制作されたブラームスの交響曲全集です。
ドホナーニは、後にフィルハーモニア管弦楽団とも全集を作成しており、そちらはよりドイツ的な重厚さと迫力をも兼ね備えた強力な名盤なのですが、かつて一世を風靡したドホナーニのモダンなスタイルが徹底しているのは、この旧盤の方だと言えるでしょう。非常に素晴らしい完成度です。
「第1」は冒頭から非常に澄み切った弦の響きにびっくりしました。その後も威圧的なところがない、軽みのあるサウンド。しかし、アメリカ系のオーケストラの流儀というより、フルトヴェングラーやカラヤンようなドイツの演奏流儀にしっかり沿った旋律の処理、楽器間のバランシングを行っており、全く違和感なく聴き進めることができます。
終楽章は、アルペンホルン→フルート→トロンボーンのコラールがきわめて円満妥当に処理され、ロマンティックな感慨に浸ることができますが、その後の足取りは速く、弦楽合奏の有名なパッセージも素っ気なく通り過ぎます(とはいえ、クリーヴランドの管楽アンサンブルの美しさは筆舌に尽くしがたい)。
最後のコーダも威圧的ではなく、軽すぎもせず、爽やかに楽天的に終わるのがとても印象的でした。こういうブラームスは1980年代には非常に珍しく、ドホナーニに注目するきっかけになった演奏でもあります。
次の「第2」は全集中の白眉です。何と優しい音楽なのでしょう!ナチスの悪夢や大戦が起きる前の、ゲーテが描いたドイツの田園にひっそり咲く一輪の花のよう。カール・ベームの「第2」も素晴らしかったですが、あれはウィーン・フィルのポテンシャルを最大限に引き出し、ブラームスの音楽の魅力を際立たせたベームの腹芸のような演奏でした。
それに対し、ドホナーニの「第2」は第1楽章が鳴り始めた瞬間、ナチュラルな音楽の美しさに魅了されます。フレーズの処理が一つ一つ丁寧で、力まず、楽器の魅力が極限まで活きている。かつ横の線が非常に流麗で、短い句ではなく、パッセージが有機的にひと繋ぎになっているような印象です。
第2楽章のチェロの朗々とした歌心。呼応するヴァイオリン群のこの世ならぬ音のさざ波。遠くからこだまするホルンの響き。黄金の輝きを放つフルートと郷愁を漂わせるクラリネットの掛け合い。どこをとっても最上のものがここにはあります。
第3楽章冒頭のオーボエは、何と鄙びた懐かしい響きでしょう。清潔な弦の響きも非常に印象的です。
フィナーレは前段のトゥッティが最高!全体でフォルテの指示が与えられているせいか、ドホナーニしては珍しくティンパニを強烈に叩かせていて、直後の弦の複雑な下降上昇も精確に設計されているように進行します。この箇所をこれほどシステマティックに描出した演奏は聴いたことがありません。最後はブルートーン(寒色)のオーケストラ・サウンドを活かしつつ、爽やかに締め括られます。
「第3」は、憂愁や翳りを感じさせる浪漫的な解釈が多い中、ドホナーニはここでも虚飾なく、スコアに書いてあることを忠実になぞっていきます。他方、滴るような管楽セクションと清澄な弦楽アンサンブルがナチュラルな美しさに満ちていて、この曲の内部構造の面白さを聴き疲れなく呈してくれます。
第2楽章は夢幻的な音響世界。続く有名な第3楽章は各楽器がそれぞれの音色の魅力を競いあって、まるでオペラのようです。ドホナーニにしては珍しく、締めの部分でルバートをかけるのもたいへん印象的でした。
「第4」は、マーラーの「第9」みたく、第1楽章から繊細かつクリスタルのような美しさを聴かせてくれます。それでいて、この曲の最大公約数的解釈たる、緻密な表現とゆるぎない安定感が素晴らしく、文句の付け所がありません。特に第2楽章の再現部以降の合奏力の素晴らしさ、目まぐるしく変わる動機の展開の鮮やかさは特筆すべきでしょう。
フィナーレは大変厳しい音楽で、テンポを煽ったり、デュナーミクの劇的強調をすることなく、ラストへ向かって走り抜けます。それでいて、変奏の一つ一つが実に丁寧で、それぞれの有機的つながりを実感する仕上がりになっているのです。
以上、ブラームス「交響曲全集」の旧盤を見てきました。熱心な聴き手の方には、より恰幅を増したフィルハーモニア管弦楽団との新盤もお勧めですし、さらに華麗なオーケストレーションを誇るリヒャルト・シュトラウスの作品集も、ドホナーニの卓越した棒さばきが冴えわたった一級の名盤です。
改めて、偉大なる巨匠のご冥福をお祈りいたします。