アバドの本領発揮 「ファルスタッフ」と「シモン」
DISC 09-10
ヴェルディ:歌劇『ファルスタッフ』全曲
ブリン・ターフェル(バリトン)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
ダニール・シュトーダ(バリトン)
エンリコ・ファチーニ(テノール)
アンソニー・ミー(テノール)
アナトーリ・コチェルガ(バス)
アドリアンネ・ピエチョンカ(ソプラノ)
ドロテア・レシュマン(ソプラノ)、他
ベルリン放送合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2001年4月 ベルリン、フィルハーモニー
20世紀の大指揮者、クラウディオ・アバドが作り上げたヴェルディのオペラボックス。今回はその3回目(最終回)で、生涯を歌劇の作曲に捧げたヴェルディが辿り着いた境地「ファルスタッフ」と、アバドが最も意欲的に取り組んだ「シモン・ボッカネグラ」について取り上げます。
まず「ファルスタッフ」ですが、スカラ座やウィーン国立歌劇場の音楽監督など、豊富なオペラの上演経験を持つアバドが、晩年になるまで録音に慎重であった作品です。大病からの復帰後、コンサートオーケストラである手兵のベルリン・フィルハーモニーを率い、ターフェル、ハンプソンらアバド・ファミリーの歌手たちを揃え、録音しました。
とはいえ、この時のアバドは決して栄華の絶頂にあったとは言えません。彼は2000年に胃ガンを患い、この「ファルスタッフ」録音時は決死の手術から生還したばかり。あのカッコよくて若々しい姿は一変し、老人のように瘦せ細っていました。
その痛々しさは、2001年の1月に行われたヴェルディ没後100年記念コンサートでの「レクイエム」で確認することができます。当時、この公演をテレビで観た音楽ファンらは、あまりに激変したアバドの姿に衝撃を受けたものです。
しかし、その音楽たるや、病み上がりとは想像もできないくらい力が漲り、壮絶さを兼ね備えるものでした。それでいて、彼生来の精緻さとスコアの読みの深さは全く損なわれていない。「ファルスタッフ」も同様で、まさしく本格派の演奏。
ところで、このオペラはウィリアム・シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作としていますが、他のヴェルディ作品に見られるような血の匂いのする陰謀、壮絶な恋愛、美しいメロディラインのアリアの応酬とは別世界の音楽です。ちょっとかわいそうな、でもユーモアに満ちたファルスタッフ卿と抜け目のない周囲の人々とのドタバタ劇。ただその喧噪の中に、人生を達観したようなワビサビもあります。
不思議にも、このオペラはセラフィンとかプレヴィターリ、グイのような、往年のヴェルディ指揮者による正規盤のレコードは存在しません(スカラ座では振っていたと思いますが)。その代わり、トスカニーニ、カラヤン、バーンスタイン、ジュリーニと言った大御所指揮者らによる名盤を我々は知っています。
充実したオーケストラ・パート、対位法やフーガを駆使した声楽アンサンブルなど、前作「オテロ」からさらに深化したヴェルディの書法を巧みに表現できるのは、舞台よりもコンサートホールで経験値を積んだ指揮者の方が良いのかもしれません。例えば、バーンスタインはオペラ指揮者とはいいがたいですが、ウィーン・フィルを巧みに扇動し、元気いっぱいの愉しい世界を見事に表出しています。
一方、このオペラを2度も録音し、映像まで遺したカラヤンはと言うと、その表現はより雄弁でドラマティック。バーンスタインと違って劇場経験豊富なマエストロは、あくまで「ファルスタッフ」を芝居として輝かせ、かつオーケストレーションの見事さをさらりと表出していきます。
それに比べると、アバドはずっとシンフォニック重視、慎重な進行を目指しているといえるでしょう。オペラ独特の持って回った間合いや恣意的なテンポルバートは避け、あくまで自然かつ柔軟なテンポで有機的に流していく。まるで声楽付きの交響詩のように、イギリスの田舎のエピソードが眼前に広がる。
歌手も素晴らしい。ファルスタッフ役のブリン・ターフェルは若々しい声質ながら、ユーモアと威厳を兼ね備えた演技が秀逸。
真面目なフォードを演じるトーマス・ハンプソンは、豊かな音色と滑らかで柔軟なレガートが魅力で、怒りや嫉妬に燃えるフォードの心理を過度に誇張せず、品格を保って表現しています。特に第2幕のモノローグ「È sogno o realtà?(これは夢か現か)」では、内面の葛藤を緻密に描き、心理劇としての深みを与えています。
アリーチェ役のアドリアンヌ・ピエチョンカ、ナンネッタ役のドロテア・レシュマンもまさに適材適所のキャスティング!
そして、彼らを支えるベルリン・フィルの重厚なサウンドがまた素晴らしく、カラヤン時代の絶大な豊饒さに加え、まるで生き物のような軽快な機能性を有しているのが、全曲を通じてわかります。2001年の録音ですから、その鮮明でリアルな音場表現は特筆すべき素晴らしさで、オーディオファンにもぜひ聴いて頂きたい。
DISC 13-14
ヴェルディ:歌劇『シモン・ボッカネグラ』全曲
ピエロ・カプッチッリ(バリトン)
ミレッラ・フレー二(ソプラノ)
ホセ・カレーラス(テノール)
ニコライ・ギャウロフ(バス)
ヨセ・ヴァン・ダム(バス)
ジョヴァンニ・フォイアーニ(バス)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団
録音:1977年1月、ミラノ
ヴェルディ中期の畢生の傑作「シモン・ボッカネグラ」は、アバドがライフワークの一つとして執心したオペラであり、また彼によって世に知られるようになった作品です。「椿姫」や「トロヴァトーレ」に比べると通俗的な魅力はありませんし、「ファルスタッフ」のようなユーモアの欠片もありませんが、舞台に接した人に聴けば、そのドラマティックな展開と音楽とドラマの緊密なつながりにただただ圧倒され、口もきけないくらい感動するということらしいです。
なお、この作品には1857年の初演版と1881年の改訂版が存在しますが、アバドが採用したのは後者で、これはヴェルディがボーイトと協力して大幅に改訂したものです。
このディスクで感心するのは、音楽に全くスキがないこと。もうディスクを再生した途端、スカラ座のオーケストラの尋常ならぬ気迫と充実したサウンドの見事さに心奪われてしまうのです。
例えば、第1幕の評議会場面!複数の声部が緊張感を持って絡み合い、政治的対立と人間関係の複雑さが表現されますが、アバドはこれを明晰に整理しつつも、混乱と感情的爆発を抑えることなくドラマティックに表現します。
対照的に、主役のシモンの内省的な第3幕の死の場面では、彼の心理が静謐な旋律と和声により描写されますが、アバドはテンポを抑え、音楽の呼吸を深めることで、内面的ドラマを浮き彫りにするのです。こうした芸当は、このオペラのスコアを読み込みまくって、かつ冷静に分析をしたアバドにしかできないでしょう。
同時期のグラモフォンには、カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場による天下の名盤「椿姫」がありますが、ここでのスカラ座オーケストラの魅力は、あのディスクに決してひけを取りません。陰影豊かで、ドラマティックな場面ではカミソリのような切れ味の弦セクション、深々と壮麗に鳴り響く金管部、色彩豊かな木管部。そして、壮大なコーラス。何でこのような素晴らしい音楽、名盤を知らなかっただろう!と誰もが思うことでしょう。
歌手陣の豪華さも凄い。カプッチッリ、フレー二、カレーラス、ギャウロフ、ヨセ・ヴァン・ダムが一堂に会するなんて、50年代の伝説のバイロイト・メンバー並みの豪華さです。特にフレーニのアメリアは、彼女が全盛期のベスト・コンディションで、絶叫から静かな独白まで、全てコントロールが行き届いており、しかも血が通っている。タイトルロールのカプッチッリの堂々たる威厳に満ちた歌唱と合わせ、まさに畢生のパフォーマンスが味わえます。
さて、もう言うことがない、最高の「シモン」の名盤を紹介したわけですが、実はアバドにはもうひとつの「シモン」録音があります。こちらは1984年のウィーン・ライブ。
ヴェルディ:歌劇『シモン・ボッカネグラ』全曲
レナート・ブルソン(バリトン/シモン)
カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ/マリア)
ルッジェーロ・ライモンディ(バス/フィエスコ)
ヴェリアーノ・ルケッティ(テノール/ガブリエーレ)
フェリーチェ・スキアーヴィ(バス/パオロ)
コンスタンチン・スフィリス(バス/ピエトロ)
エヴァルト・アイヒベルガー(テノール/隊長)
アンナ・ゴンダ(アルト/召使)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
クラウディオ・アバド(指揮)
録音:1984年3月22日 ウィーン国立歌劇場(ライヴ)
ちゃんとした正規盤なので、録音に不満はないです。また、こちらの歌手陣もブルゾン、リッチャレッリ、ライモンディと、かなり強力な顔ぶれのため、期待に違わぬ歌唱を聴かせてくれます。さらにオーケストラはウィーン・フィルで、スカラ座のオケになかった妖艶さ、現代音楽にも通じた名手たちの適応能力の高さを感じることができます。
しかし、どこかアバドがよそ行きな感じ。スカラ座盤の時の洪水のような迫力と緻密な抑制の両立が見られず、抑制に傾きがち。これならば、個人的にはスカラ座に軍配を上げたいです。でもできれば、両方聴くのも一興と思います。