10月の試聴室 クーベリックのわが祖国

10月になりました。試聴室の番です。

今回はチェコの名指揮者、ラファエル・クーベリック (1914年-1996年)が42年ぶりに祖国、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立ち、感動的なスメタナの交響詩「我が祖国」を振った歴史的ドキュメント。

そして同じくチェコ・フィルを率いて、同曲を1991年に東京サントリーホールで披露した素晴らしいコンサートの記録。

を紹介したいと思います。

この2枚に関しては、以前から演奏の精度とかいろいろと難点を指摘されてきましたが、むしろそんな些細な瑕などどうでも良いと思えるくらい、音楽から受ける感動の度合いというものは比類のないレヴェルに達しています。記録として遺されたことに感謝したいくらいです。

さて、クーベリックと言えば、いわゆる穏健な演奏をする指揮者というイメージが一般的にはあります。

80年代にCBSと契約し、当時の手兵・バイエルン放送交響楽団とセッション録音したモーツァルトの後期交響曲集は、そのふくよかなハーモニーと言い、おっとりとしたテンポと言い、まさに「高貴」とはこのことか、と思わせる素晴らしい演奏です。私のクーベリックに対するイメージは、まさにこの演奏によって決定付けられました。

しかしながらそれ以前の、70年代までのクーベリックには、もう少し粗いところがあるというか、80年代のあの落ち着きとは別の方向で逡巡していたように思われます。

これらも全集BOXですので、いずれ別の回で紹介したいと思いますが、造形の安定感、オーソドックスな音運びは大変見事と言うしかありません。彼に比べれば、同時代のカラヤンやバーンスタインは、随分とテンポを揺らしているように聴こえます。

それでも、これらの演奏にはまだ80年代のあの老成した雰囲気はありません。一聴して、随分と熱っぽく、粗削りな感じがします。ただ、それこそ70年代のクーベリックの魅力であり、私は好んで聴いています。

70年代のクーベリックの代表的名盤と言いますと、忘れてならないのが、祖国・チェコの偉大なる音楽家、ドヴォルザークの「第8交響曲」と「第9交響曲」を収録したCDです。これは、まさに彼のベストフォームを示す、同曲屈指の名盤と言えるでしょう。

オーケストラはなんと、カラヤン治世下のベルリン・フィルハーモニー! まずは、そのサウンドが驚異的に素晴らしい。切れ味鋭く厚みのある弦楽器、震えが来るほど蠱惑的で芳醇な響きの木管群、そして荒れ狂う金管楽器と打楽器。それを煽り立て、絞り上げるように統率するクーベリックの指揮ぶりがまた見事!

チェコとハンガリー出身の指揮者がドヴォルザークやスメタナを振ると、本当に愛情のこもったというか、ベートーヴェンやブラームスを振っている時とはまるで違う音楽を創りあげると言いますが、良く歌い、テンポを揺らし、タメるところはじっくりとタメる。そのタメ方がちょっと独特というか、東欧人にしかできないような、本当に伸びやかで人懐っこい回し方なんですね。それはまるで、ウィーン生まれの指揮者にしかできない、あの2拍目を強調するワルツの振り方とどことなく共通します。

「第8番」の第3楽章、「第9番」の第2楽章! これはターリッヒ、アンチェル、ノイマンと言ったチェコの指揮者の名演と同様、まさに「お家芸」と言って差し支えない秘術のオンパレードです。絶妙のテンポ・ルバート、楽器のバランス、間取り、ヴィヴラート…。もう聴き手の期待どおりの、いや期待以上のロマンティックな演奏です。

フランス音楽はフランス人に限る、イタリアオペラはイタリア人指揮者が至高という意見には必ずしも完全同意できませんが、ことチェコ音楽に関しては、クーベリックの名演を聴いてしまうと、「やっぱりチェコの演奏家でないとね!」と思ってしまいます…。

そんなクーベリックが、万感の想いを以て祖国に帰還し、はるか昔の手兵とともに祖国の大作曲家、スメタナの代表作「我が祖国」を演奏したとなれば、その出来が悪かろうはずがありません。

ちなみに、なぜクーベリックが祖国を長く離れることになったか、それについてご存知ない方も最近では多いと思いますので、ここで少し触れておきたいと思います。

有名なヴァイオリニストを父に持ち、自らも音楽家を志したクーベリックは、若くして指揮者の才能を開花。早くも1936年にチェコ・フィルの首席指揮者に就任します。この頃は、ウィーンにブルーノ・ヴァルターが、ベルリンにフルトヴェングラーが君臨していた時代(トスカニーニもまだヨーロッパにまだいました)なので、クーベリックがいかに当時、高い評価を受けていたかが分かります。
それから苦しい戦争を経て1946年、記念すべき第1回の「プラハの春音楽祭」が開催されます。この年は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団創設50周年にもあたり、オープニングはクーベリックの指揮でスメタナの「わが祖国」が会場に鳴り響きました。
ところが、ようやくWW2の戦禍も癒え始めた1948年、今度はチェコスロバキア共産党が突如、政権を樹立。これには皆さんご存じのとおり、アメリカの支配を嫌い、東欧諸国圏の構築を画策していたソビエト連邦の策動があるわけですが、チェコの共産化に反対したクーベリックは、同年のエディンバラ音楽祭に出演し、そのままイギリスへと亡命してしまいます。

クーベリックの共産主義嫌い(というより自由を侵す権力との闘い)は徹底していて、その後、EMIが70年代に東欧と西欧の演奏家を融合させてワーグナーの楽劇「ニュルンベルクの名歌手」のレコードを製作しようとした際には、名指揮者たちに参加しないよう呼びかけたほどです(これにより、当初参加を予定していたジョン・バルビローリが辞退。代わりを買って出たのが、何とカラヤン!)。

そしてさらに長い長い年月が経ち、1989年、ベルリンの壁が崩壊。それを合図に、東欧諸国も次々とソビエトの支配下から民主化独立し、チェコも「ビロード革命」と呼ばれる無血運動で、共産主義政権を退けました。

新チェコ政府のハヴェル大統領は、英雄ラファエル・クーベリックを祖国に呼び戻し、1990年の「プラハの春」音楽祭のオープニング・コンサートでの指揮を要請。クーベリックも快諾し、かくしてあの世紀のコンサート「我が祖国」が実現したのです。

この演奏はラジオ中継され、壮麗なファンファーレの後、ハヴェル大統領が登場、そして慈しみに満ちたようなチェコ国歌のあと、静かに高貴に第1曲「高い城」のハープ独奏が始まり、心が深く深く揺り動かされたのを覚えています。

実際にスメタナ・ホールに詰め掛けていたお客さんの中には泣いていた人もいたようです。戦後は分かりませんが、冷戦を知る私のような世代なら、その泣いたお客さんの気持ちは痛いほどよくわかります。それくらい、恐怖政治の国、貧しく苦しい国がリアルに存在する時代だったのです。

「モルダウ」の感情の昂るような演奏もさらに精神の奔流を目の当たりにするような見事な演奏ですが、やはり最終曲の「ブラニーク」の勝利を確信したような、クライマックスに向けて壮麗に盛り上がっていくスケール感が、本当に本当に素晴らしい。クーベリックが何だかフルトヴェングラーになったような、本当に神がかった奇跡の演奏だと思います。

それに比べると、翌1991年に東京サントリーホールで行われた演奏会の実況録音の方は、もっと落ち着きがあり、アンサンブルもライブの瑕が若干あるとはいえ、より入念に美しい響きに練り上げられています。

絶品は「モルダウ」の中間部。絶妙の「間」休止のあと、木管のざわめきをバックに、弦が美しくゆったりしたテンポの旋律を奏でる幻想的な雰囲気。世界一の弦の美しさという定評のあるチェコ・フィルの名手たちによるこの弱音は比類のない美しさです。

「シャールカ」の金管の壮麗さ、力強さ。「ボヘミアの森と草原から」の雄大なオーケストラによる抒情詩、そして前年に負けずテンポを煽り、スケール豊かにクライマックスを形成する「ブラニーク」。

この演奏を日本で生で聴けた人たちは本当に幸せだと思います。

しかし、21世紀になって、アルトゥス・レーベルから優秀録音によるCDが発売され、ついには映像まで出ました。当日の素晴らしい演奏、場内の興奮、それら全てを何度でも楽しめるのですから、素晴らしいことです。

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