クレメンス・クラウス ウィンナ・ワルツ集

クライバーと別世界の、本流のシュトラウス演奏をどうぞ!

以前ご紹介したカルロス・クライバーのニューイヤーコンサート1989と1992。

当時、私だけでなく、多くの日本の音楽ファンがテレビにかじりつき、いつもなら正月のルーティーンな音楽イベントのはずの実況中継に必死に目を凝らし、耳をそばだて、結果、陶酔と興奮のるつぼのような幸せな時間を共有しました。

あれから長い年月が経過した今日でも、あの瞬間をプレイバックしようと何度も何度もCDやDVDを再生する音楽ファンは多く、さらに当時まだ生まれていなかった若者も、伝説を頼りにクライバーのニューイヤーを動画サイトなどで追体験し、感動を共有していると聞きます。

この2つのニューイヤーコンサートは、そんな魔力を持った、まさに歴史的なコンサートでした。

ところが、当のウィーン・フィルのメンバーは、クライバーのニューイヤーに少なからず不満を持っていた、と言います。

メンバーと親しい中野雄さんという方(オーディオメーカー、ケンウッドの元代表取締役。世界の有名音楽家たちと親しい)が書いた本に興味深い記事が書いてあって、中野さんがあるウィーン・フィルの奏者の前でクライバーのシュトラウス演奏をべた褒めしたところ、「お前は何も分かっていない。二度とその話をするな」と叱責されたとか。

たしかに、クライバーのワルツやポルカは、昔ながらの由緒正しいスタイルから比べると、邪道に属するような演奏です。「雷鳴と電光」や「トリッチ・トラッチ・ポルカ」など、テンポは前のめりですし、速すぎてきちんと拍を刻めていないような個所すら見受けられます。それでも、聴衆を興奮させた、あの魔力に満ちた素晴らしい演奏群に、そこまで激しい嫌悪感を持つことはないような気もするのですが…。

そもそもウィーン・フィルは、世界の優秀なオーケストラの中でも頂点を窮めるエリート集団であり、特に「我が音楽」であるウィンナワルツには一子相伝の伝承者たる誇りを持っています。彼らには彼らの流儀があり、例えば「美しく青きドナウ」をベルリン・フィルやコンセルトヘボウの演奏と比べれば明らかな違いがあります。反対に、ベームが振ろうがカラヤンが振ろうが、ウィーン・フィルが演奏する限り、絶対に変わらないリズム感や拍の取り方、ボウイングや音色というものが存在します。それだけに、クライバーが自身の語法を徹底させたこの2か年のニューイヤーコンサートには、相当なフラストレーションを抱いたのかもしれません。

では、彼らは最大のプライドを持って守り続けている「本場のシュトラウス演奏」とは何か?

その答えが、1950年代に録音されたクレメンス・クラウスによる一連の録音の中にあるように思えるのです。

クレメンス・クラウスは、1893年にウィーンで生まれ、1954年にメキシコで歿した、20世紀前半を代表する指揮者の一人です。

クラウスはバレリーナの母親が17歳の時に、父親のハッキリしない、いわゆる私生児として生まれました。父親には諸説あり、少なくとも当代を代表する貴族であったことは間違いなかろう、と言われています。たしかに彼の貴族的な顔立ち、立ち居振る舞い、そして後年のエレガントな演奏スタイルを聴けば、彼の体内に高貴な血が流れているのは想像に難くないです。

あと祖父が外交官であったため、私生児とは言え困窮とは無縁で、ウィーン少年合唱団で歌ったり、ウィーン音楽院で学ぶなど、早くから音楽家としての基礎作りに精励しています。その後も驕ることなくみっちりと、劇場での叩き上げの経験を積んでいったクラウスは、1929年にはフランツ・シャルクの後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に、また翌年にはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任するなど、まさに異例なほどのトントン拍子で出世していきます。

さらに、ナチス台頭以後は彼の人一倍強い野心に火が付き、ナチスのバックアップを盾に次々とドイツの歌劇場の主要ポストを手中に収めていき、一時はユダヤ人亡命でスカスカになったドイツの指揮者界で、フルトヴェングラーと並ぶ名声を誇るようになります。

とりわけこの時期に彼の名声を高めたのが、今日まで続く「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」と言われています。

この明るい活気に満ちたコンサートは、なんと1939年、第2次世界大戦が火ぶたを切り、ヨーロッパが暗い時代に突入したまさにその年に始まったことになります。

後年、このイベントはナチスの政治的プロパガンダだったのではないか?と批判されたりもしましたが、ウィーン・フィルは公式に「かつてのオーストリアの歴史の暗い一幕において、ニューイヤー・コンサートはオーストリア国民に自国へ回帰の念を呼び起こし、同時によりよい時代への希望をもたらした」と述べており、今日では誰もがその公式見解を認めています。

戦後、クラウスはナチスとの関係が災いし、演奏活動を一時停止される憂き目に遭いますが、「非ナチ化裁判」で無罪が確定した後は、亡くなる1954年までニューイヤーの指揮台に立ちました。その1954年のライブ録音は何と今日でも楽しむことができます。

今日のスタイルとはかなり違い、最後の「ラデツキー行進曲」では恒例の拍手がありません。逆に「美しく青きドナウ」や「春の声」が始まるや否や、猛烈な観客の拍手喝采のために演奏がストップする、という「事件」が起こります。まさに、ニューイヤーコンサートが国際的なイベントになるはるか以前の、指揮者、オーケストラ、聴衆が一体となって「わがまちウィーン」を謳歌していた時代の貴重な記録と言えます。

「クレメンス・クラウス ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート1954」

・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『剣と琴』
・ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ『ルドルフスハイムの人々』
・ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ『とんぼ』
・ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ『休暇旅行で』
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『天体の音楽』
・ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ『5月の喜び』
・ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ『おしゃべりな可愛い口』
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ『我が家で』
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:新ピチカートポルカ
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ『ハンガリー万歳』
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ『クラップヒェンの森で』
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ『春の声』
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ『狩り』
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:常動曲
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ『美しき青きドナウ』
・ヨハン・シュトラウスⅠ世:ラデツキー行進曲

指揮:クレメンス・クラウス
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年 ※ライブレコーディング

しかしながら、この録音はメジャーレーベルによる正規録音ではなく、エアチェックの類のものがレコード化されているため、今日の私たちにはやや聴きづらい音質になっています。

これよりはるかに素晴らしい音質(50年代前半のデッカによる素晴らしい録音)で、スタジオセッションによる落ち着いた完璧な演奏を楽しみたい方は、オールドファンにはおなじみの、往年の名盤を聴くべきです。

The New Year Concerts 1951-54

Disc 01
ヨハン・シュトラウス2世:
1) こうもり―序曲
2) ジプシー男爵―序曲
3) 芸術家の生活Op.316
4) 春の声Op.410

ヨーゼフ・シュトラウス:
5) わが人生は夢と喜びOp.263
6) とんぼOp.204
7) 騎手Op.278

ヨハン・シュトラウス2世:
8) クラップフェンの森でOp.336
9) ハンガリー万歳Op.332
10) ウィーンの森の物語Op.325

ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:
11) ピツィカート・ポルカ

ヨハン・シュトラウス2世:
12) エジプト行進曲Op.335
13) 観光列車Op.281

Disc 02
ヨーゼフ・シュトラウス:
1) オーストリアの村つばめOp.164
2) 小さな水車Op.57
3) 憂いもなくOp.271

ヨハン・シュトラウス2世:
4) 町と田舎Op.322
5) 狩りOp.373
6) 朝の新聞Op.279

ヨーゼフ・シュトラウス:
7) 鍛冶屋Op.269

ヨハン・シュトラウス2世:
8) 騎士パスマンOp.441―チャルダーシュ
9) 常動曲Op.257
10) 美しく青きドナウOp.314

ヨーゼフ・シュトラウス:
11) 休暇旅行でOp.133

ヨハン・シュトラウス2世:
12) わが家でOp.361

ヨーゼフ・シュトラウス:
13) 天体の音楽Op.235

ヨハン・シュトラウス2世:
14) アンネン・ポルカOp.117

ヨーゼフ・シュトラウス:
15) おしゃべりなかわいい口Op.245

ヨハン・シュトラウス1世:
16) ラデツキー行進曲Op.228

指揮  クレメンス・クラウス
管弦楽 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

【録音】
1950年6月22日(CD 1: 3-4)9月16日(CD 1: 1)、1951年4月(CD 1: 2)、9月(CD 1: 5-13)
1952年5月22日(CD 2: 1, 2, 6)、9月(CD 2: 3-5, 7-9)、1953年12月18‐19日(CD 2: 10-16)
ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール

 

どの曲も見事!の一言に尽きますが、特に素晴らしいのが「オーストリアの村つばめ」。

冒頭からウィーン・フィルの木管楽器の魅力が満開。2拍目を早めにずらして出すという独特のウィーン風リズムが極めて効果的で、クライバーに比べて溜めずに軽快に進めていきます。

かと思えば、下の第5ワルツで不思議なテンポ・ルバートを掛けます。音楽的には何とももどかしい感じもするのですが、この部分を舞踏会での実際のワルツのイメージと重ねれば、理に適った処理であることが分かります。

そう、クレメンス・クラウスの本流のシュトラウス演奏は、音楽的に優れているだけでなく、ウィーンの宮廷で日夜繰り広げられていた舞踏会の雰囲気を伝える「伝統の証言」でもあるのです。

このディスクには有名な「美しく青きドナウ」や「ウィーンの森の物語」、「こうもり序曲」など宝石のような作品がたくさん詰まっており、そのどれもがクラウスの本場のウィーン流儀により再現されています。まさに一生ものの素晴らしい記録と言えるでしょう。

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