ワーグナー「ニーベルングの指環」全曲 ショルティ指揮

クラシック・レコードの金字塔、オーディオ文化の幕開け

ニーベルングの指環 全4部作。

このような曲を書いてしまうのは、尋常な人間ではない!と常々思います。

音楽史のベクトルを変えたバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンも天才ですが、彼らとは全く質の異なる、とてつもないスケールの「天才」ぶりを示したのが、リヒャルト・ワーグナーという人物なのかもしれません。

彼が書いた「トリスタンとイゾルデ」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「タンホイザー」、「ローエングリン」、「パルジファル」、どれも傑作ですが、しかし、今回取り上げる「ニーベルングの指環」ほど当時の様式から隔絶した音楽、そして巨大な思想を隅々まで盛り込んだ音楽劇は他に類を見ません。

どうやってワーグナーはこのような試みを思いつき、また実現できたのでしょう?

哲学や芸術が飛躍的な前衛化を遂げた時代とはいえ、ワーグナーの成し得た仕事は、あまりに時代の枠からはみ出しており、今日においても巨人の所業です。

さて、指環という音楽そのものも巨大ですが、これをレコーディングするという行為も、戦後のレコード産業における急速な技術発展をしてもなかなか高いハードルでした。

すでに戦前、EMIがワルター指揮で指環プロジェクトに着手する試みはありましたが、ナチ政権台頭のため、ユダヤ系のワルターが追放されて頓挫。

ブルーノ・ワルター EMI録音集(4)

続いて同社は、フルトヴェングラーとローマRAI交響楽団との指環収録というチャンスに恵まれますが、ウィーン・フィルとの競演を秤にかけ、何とこれを見送ってしまいます。

結果、フルトヴェングラーの急逝や、RAIがマスターを消去するという笑えない話も重なり、この録音は数年も後、マスターから盤起こししたものが代用される憂き目にあいます。

そんなこんなで、結局、現在伝わっている古い「指環」は放送録音かライブ録音しかなく、質の高いメジャーレーベルの商業録音は1950年代後半まで待つことになります。

さて、EMIに負けじと「指環」プロジェクトに挑もうとしたレーベルがあります。

敏腕プロデューサー、ジョン・カルショウがいるイギリスのデッカ・レーベルです。

デッカは当初、ドイツのワーグナー指揮者、ハンス・クナッパーツブッシュを起用して、「ニーベルングの指環」全曲録音を果たそうとしました。

しかし、当のクナッパーツブッシュが非常に豪放磊落、むらっけのある人で、スタジオに閉じこもって何度も取り直すなんて我慢のできない性格でした。
結局、デッカはクナの起用を諦め、気鋭の若手、ゲオルク・ショルティに白羽の矢を立てます。

血気盛んなショルティは期待に応え、持ち前の気の強さからウィーン・フィルハーモニーや、ハンス・ホッター,ビルギット・ニルソン、ヴォルフガング・ヴィントガッセンといった、綺羅星のようなスター歌手たちを相手に臆することなく、4部作を見事にまとめ上げます。

ジョン・カルショウは、音楽面ではもはや何の懸念材料もないと満足したことで、当時懐疑的であったステレオの効果を最大限に活用し、効果音などをふんだんに挿入。舞台の忠実な再現というより、スピーカーの向こうにリアルな神々の世界が広がるような、まさしくレコード芸術の誕生というべき音響世界をつくりあげたのです。

このレコードはオーディオ・ファンだけでなく、世界中の音楽ファンに衝撃を与え、カラヤンやビートルズとともに、一般家庭にステレオ装置が広まる気運を高めました。まさに、革命的な偉業であったと言えましょう。

このような作品をレコード黎明期の1950年代後半に全曲録音しようと、全身全霊を賭けて取り組んだデッカのチームと演奏家たちには敬服します。

さて、全4部作、聴きどころしかありませんが、私が好きなのは「ラインの黄金」です。

一番古い録音とは言え、最初の収録なのでデッカも非常に気合が入っていたのでしょう。低音のゴリゴリした響きと空気感は、他の3作品以上に感じられます。

演奏も、ワルハラの城への神々の入場のクライマックスに向けて高揚感がものすごく、虹の架け橋なんて、とてつもなく美しいサウンドです!

ほか、「ワルキューレ」の騎行の迫力とラストのロマンあふれる雄大な音楽、「ジークフリート」の有名な森の囁きの木管楽器の零れるような美しさ、

「神々の黄昏」のジークフリートの旅からワルハラ城の崩壊に至る激しいドラマ。

どこをとっても魅力にあふれ、また完璧な録音と言って差し支えありません。

たしかにクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのステレオ録音があれば、の想いはありますが、現状、一般的にショルティ盤で何の不足もないでしょう。

 

ワーグナー:『ニーベルングの指環』全曲

● 『ラインの黄金』 1958年9月24日~10月8日

ジョージ・ロンドン(ヴォータン)、キルステン・フラグスタート(フリッカ)、
クレア・ワトソン(フライア)、ヴァルデマール・クメント(フロー)、
エバーハルト・ヴェヒター(ドンナー)、セット・スヴァンホルム(ローゲ)、
パウル・クーエン(ミーメ)、ジーン・マデイラ(エルダ)、
グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ)、ヴァルター・クレッペル(ファゾルト)、
クルト・ベーメ(ファフナー)、オーダ・バルスボーグ(ヴォークリンデ)、
ヘティ・プリマッハー(ヴェルグンデ)、イラ・マラニウク(フロースヒルデ)

 

● 『ワルキューレ』 1962年5月6日~18日、10月21日~11月5日

ジェームズ・キング(ジークムント)、レジーヌ・クレスパン(ジークリンデ)、
ゴットロープ・フリック(フンディング)、ハンス・ホッター(ヴォータン)、
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)、クリスタ・ルートヴィヒ(フリッカ)、
ブリギッテ・ファスベンダー(ヴァルトラウテ)、ベリット・リンドホルム(ヘルムヴィーゲ)、
ヘルガ・デルネッシュ(オルトリンデ)、ヴェラ・シュロッサー(ゲルヒルデ)、
ヘレン・ワッツ(シュヴェルトライテ)、ヴェラ・リッテ(ジークルーネ)、
クラウディア・ヘルマン(ロスヴァイゼ)、マリリン・タイラー(グリムゲルデ)

 

● 『ジークフリート』 1964年5月下旬~6月上旬、10月26日~11月26日

ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート)、ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)、
ハンス・ホッター(さすらい人)、ゲルハルト・シュトルツェ(ミーメ)、
グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ)、クルト・ベーメ(ファフナー)、
マルガ・ヘフゲン(エルダ)、ジョーン・サザーランド(森の小鳥)

 

● 『神々の黄昏』 1965年10月29日~11月19日

ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート)、ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)、
グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ)、ゴットロープ・フリック(ハーゲン)、
クレア・ワトソン(グートルーネ)、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(グンター)、
クリスタ・ルートヴィヒ(ヴァルトラウテ)、ルチア・ポップ(ヴォークリンデ)、
グィネス・ジョーンズ(ヴェルグンデ)、モーリーン・ガイ(フロースヒルデ)、
ヘレン・ワッツ(第1のノルン)、グレース・ホフマン(第2のノルン)、
アニタ・ヴェルキ(第3のノルン)

 

ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ゲオルク・ショルティ(指揮)
録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール

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