古き佳き明るい音色のベートーヴェン
『イタリア弦楽四重奏団~フィリップス&デッカ録音全集』タワーレコードオンライン
イタリア弦楽四重奏団と言いますと、アマデウス四重奏団と並んで、まさに「往年の~」という呼称がふさわしい名カルテットでした。
その特徴は?と言いますと、以前書いたウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のようなローカル色を強みにしていた団体と、卓越した技術にノイエザッハリヒカイトを突き詰めたジュリアード弦楽四重奏団のような団体の中間を行く存在と言えましょうか?
だからと言って決して、彼らが特色の薄い中庸の音楽を聴かせていたわけではなく、むしろその逆。イタリア人らしく明るく艶やかな弦の音色と、伸びやかな雰囲気を持ち味とし、それでいて緊密なアンサンブルと難曲でも弾きこなせる技術が兼ね備わっていました。
意外だったのですが、彼らはウェーベルンの弦楽四重奏曲全集も完成させています。初期作品のロマンティックで歌心にあふれた表現にも惹かれますが、それ以上に後期の点描的な無調音楽が美音の饗宴のように演奏され、敬遠されがちなウェーベルンの音楽の面白さを気付かせてくれるような仕上がりになっています。
しかし、イタリア四重奏団の魅力を心ゆくまで楽しむにはやはり、彼らのモーツァルト、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を聴かないわけにはいかないでしょう。
これは本当に素晴らしいアルバムです。
ベートーヴェン全集なら、以前取り上げましたが、アルバン・ベルク四重奏団の緊迫感溢れる演奏、メロス四重奏団のシャープな切り口の表現も秀逸ですが、その対極に位置するイタリア四重奏団のリリックで円みを帯びた演奏は、4人が寛ぎながら音楽を愉しむと言う室内楽の原点に行きついているように思えます。
これが4人が対話する、という方向に行けば、かつてのブッシュ四重奏団みたいにドイツ精神主義の権化みたいな演奏になってしまうのですが(それはそれで本当に素晴らしいものです)、イタリアSQの場合はそんなに肩肘張らず、本当にお互いが信頼を寄せあい、弦楽器と言うツールを使って愉しみ合っているように聴こえます。
ためしに第2番ト長調op.18-2の冒頭を聴いてみてください。何と甘美な音楽!2艇のヴァイオリンが艶やかな音色で飛翔するように歌いますが、こういうのを聴くと、やはりイタリアの音楽家たちだな~、と思います。
第10番変ホ長調Op.74も良いですね。第1楽章のピッツィカートの音が非常に柔らかく、気品を感じます。それ以上に、明るい曲想なのに独特の翳りがあり、対等なバランスでそれぞれの楽器の音色の魅力を醸し出すなど、彼らにしかできないような音楽に仕上がっています。「ハープ」という副題を持ちながら地味な存在であるこの曲の面白さを十分に引き出した演奏と言えるでしょう。
第11番ヘ短調「セリオーソ」Op.95の第1楽章も、アルバン・ベルクはアタッカのように激しく切り込みますが、イタリアSQは悠然と入ります。その後の展開も激しすぎず均整を保ち、時には第2主題の甘美さを際立たせながら進みます。第1主題が度々戻る際も決して対比的に激しく鳴らすことはなく、全体的にデュナーミクは抑制的。それゆえ、あの時計の刻みのようなチェロで始まる第2楽章に有機的なつながりが感じられるのです。非常によく練られた構成と言えるでしょう。
有名な「大フーガ」の序奏部は、驚くほど柔らかい音、ゆったりとしたテンポで始まります。ところが、フーガが始まるや否や緊迫度を高め、第1ヴァイオリン主導で無窮動的な前半部が速めのテンポで的確に処理されます。中間部は一転して、ちょっとこの世のものではないような美しい音楽が奏でられますが、再び後半部は普段の彼らと違い、激しく旋律をぶつけあう荒々しさを見せ、なかなかドラマティックな起伏を持った演奏になっています。
後期では普段と違う寒色系の演奏も…!
作品131。私はこの曲に関してはバリリ四重奏団の彼岸の美しさともいうべき演奏を愛していますが、イタリアSQも負けてはいません。彼らの演奏は美しさだけでなく、どこか死に怯える影のようなものを感じさせます。弦は、南国の晴れ晴れとした音色ではなく、むしろ寒色系。コミカルで実験的な第5楽章から悲劇性の濃い第6楽章を経てフィナーレに展開するまでがあっという間で、緊張感に富んだ演奏になっています。
作品132の白眉は何と言っても「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された第3楽章でしょう。まるでハイドンの「ひばり」を聴くような第1ヴァイオリンの明朗な音色。深みに欠けると評する方もおられるでしょうが、絶妙なテンポ・ルバート、休止の取り方がそれを補い、きわめて感動的な音楽を構築しています。
それにしても何という美しいアンサンブルでしょうか。弦楽器の国・イタリアならではの奏法。まるで、ヴィヴァルディの春の喜びを謳う曲のように底抜けに明るく、しかもボウイングが生活習慣に馴染んだ人でないとできないような変幻自在さ(ロシアのハイフェッツやオイストラフのように、天賦の才と鬼練習で培った技術とはまるで対極のものです)。
それでいて、これはおそらく私だけしか言っていないと思うのですが、彼らはジョージ・セル時代のクリーヴランド管弦楽団のような、ひんやりとして、かつきわめて精度の高い合奏力を曲によって聴かせるのです。モーツァルトの全集では、全体的に暖色系で朗らかな演奏を聴かせてくれましたが、ベートーヴェンでは必ずしもそうではない。さすが、現代音楽でも優れた音楽を聴かせてくれた優秀なアンサンブルだと再認識。
皆さんも過去の評論をいったんゼロにして、ぜひこの演奏に素直に耳を傾けられ、彼らのベートーヴェンの素晴らしさを再認識して頂きたいと思います。