フルトヴェングラーと対極のトスカニーニ流「第9」
Disc 01
・交響曲第1番 ハ長調 作品21
・交響曲第3番 変ホ長調 作品55『英雄』
・フィデリオ序曲
録音:1939年10月28日、ニューヨークNBC8Hスタジオ
Disc 02
・交響曲第2番 ニ長調 作品36
・交響曲第4番 変ロ長調 作品60
録音:1939年11月4日、ニューヨークNBC8Hスタジオ
Disc 03
・交響曲第5番 ハ短調 作品67『運命』
・交響曲第6番 ヘ長調 作品68『田園』
録音:1939年11月11日、ニューヨークNBC8Hスタジオ
Disc 04
・交響曲第7番 イ長調 作品92
・エグモント序曲
・七重奏曲Op.20
録音:1939年11月18日、ニューヨークNBC8Hスタジオ
Disc 05
・交響曲第8番 ヘ長調 作品93
・レオノーレ序曲第1番
・レオノーレ序曲第2番
録音:1939年11月25日、ニューヨークNBC8Hスタジオ
Disc 06
・合唱幻想曲
・交響曲第9番 ニ短調 作品125『合唱』
ピアノ:アニア・ドルフマン(合唱幻想曲)
ソプラノ:ヤルミラ・ノヴォトナ
アルト:ケルスティン・トルボルク
テノール:ジャン・ピアース
バス:ニコラ・モスコーナ
合唱:ウエストミンスター合唱団
録音:1939年12月2日、カーネギー・ホール
管弦楽:NBC交響楽団
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ
トスカニーニの1939年ベートーヴェン・ツィクルス収録ディスクの紹介も今回で最後になります。
最終回は、最もトスカニーニらしさが横溢する「第8」と最大の聴き物である「第9」について聴いて参りましょう。
第8交響曲は、ベートーヴェンの交響曲の中ではわりとマイナー扱い、信じられない話ですが、かつては構造的欠陥を持った作品とか、酷い場合には駄作と評価されるようなこともあった曲です。
私見ですが、これはひょっとすると「第8」という番号のせいもあったのかもしれません。
「第8」と言いますと、シューベルトは(昔は「第9」でしたが)「グレイト」、ブルックナーは90分近くかかるあの荘厳なシンフォニー。そしてマーラーは「千人の交響曲」です。まさにその作曲家の自身の全てを賭けたような総決算的作品が並びます。
また、ベートーヴェン自身も「田園」、「第7」、そして後に「第9」を書いており、しかもそのどれもがフルトヴェングラーやカラヤンらによって、非常にスケール豊かな、かつ巨匠風に演奏されていたため、実験的な書法で30分程度で終わってしまう「第8」が奇異に見られていたことは否めません。
近年は古楽器演奏やベーレンライター版使用が普通になってきたため、漸く「第8」の素晴らしさも再評価されるようになってきましたが、今回紹介するトスカニーニの演奏は、問題作を優秀なシェフがどう料理するか、聴衆がその腕前をじっと見守るような時代の、まさに丁々発止の公演の記録なわけです。
冒頭から峻烈に入るのがいかにもトスカニーニらしいですね。また、貧しい録音ながら、低音部がきっちり鳴っているのが分かります。注目すべきは展開部以降で、まるで第9の展開部を彷彿とさせるような嵐が渦巻き、緊張感の高い音楽となりますが、最後はトリッキーでユーモアに満ちた楽想に戻り、静かに終わります。
第2楽章は宇野功芳氏の言い方を借りれば「チャーミングの極み!」。弦と管の掛け合いのなんと美しいこと。改めてNBC交響楽団の素晴らしいアンサンブルに感服します。
第3楽章はホルンが朗々と鳴る中間部が何と言っても魅惑的ですね。リズムの激しい変化に対応し、トスカニーニは厳格にアンサンブルを引き締めますが、生まれてくる音楽はとても柔軟なものとなっていて、生命力に満ち溢れています。
そしてフィナーレは我々がトスカニーニ指揮NBC交響楽団に期待するものすべてが詰まった名演です。特にティンパニの強弱の付け方は絶妙で、絶えずせわしない変化や難しいリズム処理に直面しなければいけないアンサンブルを導くように、コントロール役を担っています。一度、ティンパニの音だけに注目して聴いてみられると面白いと思います。
続いてはお待ちかねの「第9」。
この曲は、フルトヴェングラーのあの永遠という比喩を用いてもよいような演奏にとどめを刺すのですが、トスカニーニ盤もなかなかひけをとらない充実ぶりを聴かせてくれます。
第1楽章の前半は、フルトヴェングラーのずしりずしりと歩みを進める演奏と違って、もっと現代的な速いテンポで流麗に進んでいきます。しかし、レガート奏法で若干前のめり気味に走るカラヤンの演奏に比べると、はるかに円満妥当な音運びで、また巷間よく言われる、「スコアに極めて忠実な演奏」とも違い、ちょっとしたところで情感的なルバートも採り入れていて面白いです。
第2楽章は中間部が非常に特徴的。フルトヴェングラーのロマンティックな雰囲気に比べれば随分あっけらかんとしており、特にオーボエの音色ののどかさにはユーモアすら感じます。とはいえ、管楽器から旋律を受け継いだ弦楽セクションのクレシェンドの迫力、逆に第1主題に回帰する前のデクレシェンドの扱いは非常に効果的で、トスカニーニの劇場的感覚の冴えが反映されていると言えるでしょう。
第3楽章は美しい演奏ですが、例のトランペットの雄たけびの箇所はざっくり斬り込んでいます。フルトヴェングラーはそこに意味を求め、ゆったりと、伸縮させながら進行するのですが、トスカニーニはそうした表現を嘲笑うか如く、前へ前へと進んでいきます。
そしてフィナーレ。ものすごいパッションが炸裂する冒頭に続いて、オーケストラがいくつもの隘路を潜り抜け、やがてバリトンが登場。そこから歓喜の歌まで猛烈な勢いで音楽が躍動します。
逆に、歓喜の歌からラストまでは極めて正統的な演奏で、特に奇異なことをしているわけではありませんが、熱狂をさらにさらに煽るのではなく、徐々に音楽を冷静なものに変化させていっており、フルトヴェングラーとは真逆の、まさにトスカニーニ流儀の「第9」となっています。
ちなみに歌手はソプラノ:ヤルミラ・ノヴォトナ。チェコ出身で、メトロポリタン歌劇場の大スターと呼ばれた人です。
アルトはケルスティン・トルボルク。覚えておいででしょうか?以前、ブルーノ・ヴァルターについて取り上げた時、彼の振る「大地の歌」の1936年盤について触れましたが、その時のアルトです。
テノールのジャン・ピアースは、トスカニーニのお気に入りとして知られ、巨匠のヴェルディ、プッチーニ録音では必ずと言って良いほど主役級を張っていました。
バスのニコラ・モスコーナもトスカニーニ・ファミリーの一員。ヴェルディのレクイエム、「仮面舞踏会」の録音に出演しています。
多少歌い方に古さを感じる部分もありますが、よくトスカニーニの考えを理解し、堅牢な音楽づくりに貢献しています。