4月の試聴室 カラヤンのワーグナー・ライヴ

故・吉田秀和さんが司会を務めた長寿番組、「名曲のたのしみ」。
この番組は毎週1回放送され、大きなテーマ、例えばベートーヴェンやシューベルトなどの全作品紹介に月3回を費やし、残り1回は「視聴室」と名付け、吉田さんがそれこそ勝手に気に入ったCDを紹介していました。他に例のない、吉田さんならではの企画だったと思います。
で、私あたりが僭越なのですが、吉田さんにあやかって、月1回はボックス以外の単品CDに専念して書いてみようと思います(笑)。

 

あまりに素晴らしかったカラヤン最後の来日公演

大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年 – 1989年)の最後の来日公演は、1988年のまさにゴールデンウィーク真っ只中に行われました。
この時マエストロは80歳を迎えていただけに、音楽ファンの脳裏には「もしかしてこれが最後かも?」の不安がよぎっていて、チケットは争奪戦になりました。ちなみにテレビ中継はなく、現在のところ映像のリリースもされていません(おそらくカラヤンがNGを出していたかと…)。
プログラムは以下のとおりです。

4月29日 ザ・シンフォニーホール/5月2日 サントリーホール
モーツァルト:交響曲第29番
チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』

4月30日 ザ・シンフォニーホール/5月4日 東京文化会館
ベートーヴェン:交響曲第4番
ムソルグスキー~ラヴェル編:組曲『展覧会の絵』

5月5日 サントリーホール
モーツァルト:交響曲第39番
ブラームス:交響曲第1番

上記のうち、東京での公演は全てNHK-FMで実況中継されました。さらに、20年の歳月を経た2008年、カラヤン生誕100年の契機にこれらはめでたくCD化されています。ちなみに私は、実況中継のあった日は部活をさぼってラジオの前にかじりつき、2008年には3枚すべてを予約購入しています(笑)。

演奏ですが、どれも力感に満ちた名演で、チャイコフスキーとブラームスはカラヤンの代表盤に挙げてもよいくらいです。ただ、今回ここで取り上げるのは来日の前年、1987年のザルツブルク音楽祭での公演を収めたCDで、「来日記念盤」として発売されたものです。

 

ノーマンの絶唱、繊細極まりないウィーン・フィル

01. 歌劇《タンホイザー》序曲                         14:57
02. ジークフリート牧歌                            19:47
03. 楽劇《トリスタンとイゾルデ》から 第1幕前奏曲                12:09
04. 楽劇《トリスタンとイゾルデ》から イゾルデの愛の死               7:18

ジェシー・ノーマン(ソプラノ)
指揮: ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1987年8月15日 ザルツブルク祝祭大劇場 (ライヴ・レコーディング)

このCDに出会ったのは14歳の時。えらく変わったCDだなあと思いました。
ワーグナー名曲集みたいなレコードはそれまでも買ったりしていたのですが、当盤は収録時間が短めだし、ジークフリート牧歌が入っているし、とにかく違和感ありありでした。でも、大好きなカラヤンの新譜だったので、買わずにはおれませんでしたね。
ちなみにこのディスクは、同時に製作された〝ドキュメンタリー『カラヤン・イン・ザルツブルク』〟という映像作品と連動しています。こういうところ、ほんとうにカラヤンという人は抜け目がないです(笑)。映像にはノーマンが歌う「愛の死」が収められていて、彼女のビジュアルとの相乗効果と言いますか(笑)、なかなか迫力があります。

とにかくこのCDを聴いた第一印象ですが、すごい!としか言いようがありません。まず録音が秀逸で、ホールの音響をリアルにとらえた臨場感に圧倒されます。おかげで、ウィーン・フィルの柔らかな管楽器と絹のような弦の響き、ノーマンの豊饒な声と唇のこすれる音が、まるで生演奏のように聴こえ、なんて才能の高いエンジニアだろう!と感心してしまいます。

演奏の方も、最初のタンホイザー序曲から素晴らしい。非常にゆったりしたテンポで始まり、トロンボーンの勇壮な「巡礼の合唱」も悠然としたスケールで奏されます。この時の弦楽器の軋むような下降音型の伴奏は、カラヤンの「ワルキューレ」の時もそうでしたが、きわめて躍動するように、あたかも主題楽器を食うように自己主張します。他の指揮者の演奏ではなかなかないことですが、室内楽的に各声部が透けて聴こえるような、カラヤン一流のやり方だと思います。後半の「ヴェーヌスの動機」のクラリネットとヴァイオリン独奏の巧さ、クライマックスの堂々たる終結も実に素晴らしい!

ジークフリート牧歌は、弦の繊細さが尋常じゃないですね。カラヤン・レガートと言われる、滑らかなフレーズの流れが印象的ですが、それだけではなくって、瞬間瞬間の間の取り方、休止の取り方が絶妙で、凹凸のない曲にドラマティックな起伏を持ち込んでいるんです。さすがカラヤン。

最後のトリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死。これは、空前絶後の名演です。もし、ウィーン・フィル、ノーマンやモル、ドミンゴあたりと全曲録音していたら、フルトヴェングラーを凌駕する決定盤になっていたのではないか?そんなことを想起させる出来栄えなのです。

吉田秀和先生が、晩年のフルトヴェングラーの実演、ちょうどトリスタンの前奏曲と愛の死に触れて、こんなことを書いています。

「私の印象に今でも鮮やかなのは、『トリスタン』の前奏曲で、彼の右手が拍子をとるのをやめて腰のあたりに低くおかれてしまっている一方で、左手が高々とまるで炬火でもかざすようにあげられる。それにつれて、百人を優に越すオーケストラのトゥッティが最高潮に達し、興奮の極に上りつめる。しかもしれが、ただの巨大な響きになるというのではなくて、“すすり泣く”のである。あるいは歓喜と苦悩の合一の中で、笑いながら泣くといってもよいのかもしれない。そうしてその響きに包まれる時、聴衆もまた、この永遠の恋愛の劇である『トリスタン』のまっただ中にいることになるのだ。」
~吉田秀和 「フルトヴェングラー」 から抜粋~

このカラヤンの演奏は、まさに吉田先生が体験した演奏と同質の感動を与えてくれます。ウィーン・フィルハーモニーの弦の陶酔的な美しさをこれほどクオリティの高い音質で目の当たりにできる幸せ、そしてノーマンの巨大な存在感を放つ絶唱。最高の名盤です。

 

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