マゼール DG初期レコーディング集

最後までヴェールを脱がなかった天才

マゼール~ベルリン・フィルとの初期全録音 1957~1962
【収録曲目】
Disc 01
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

Disc 02
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90
ブラームス:悲劇的序曲作品81
ベートーヴェン:序曲「献堂式」作品124
ベートーヴェン:12のコントルダンス WoO.14

Disc 03
シューベルト:交響曲第2番変ロ長調 D.125
シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D.200
シューベルト:交響曲第4番ハ短調 D.417 「悲劇的」

Disc 04
シューベルト:交響曲第5番変ロ長調 D.485
シューベルト:交響曲第6番ハ長調 D.589
シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.759 「未完成」

Disc 05
モーツァルト:交響曲第1番変ホ長調 K.16
モーツァルト:交響曲第28番ハ長調 K.200
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」

Disc 06
メンデルスゾーン:交響曲第5番ニ短調作品107「宗教改革」
ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」作品17(抜粋)

Disc 07
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲作品34

Disc 08
プロコフィエフ:バレエ組曲「ロメオとジュリエット」より5曲
レスピーギ:交響詩「ローマの松」
ムソルグスキー:交響詩「禿山の一夜」
ブリテン:青少年のための管弦楽入門作品34

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団(モーツァルト&ブリテン)
指揮:ロリン・マゼール
【録音】1957~1962年

 

ロリン・マゼール(1930年3月6日 – 2014年7月13日)のことを思う時、ついついある人物と重なります。

こういうことを書くと、クラシックファンの皆さんからお叱りを受けるのは覚悟のうえですが、私がクラシック音楽と同じくらい敬愛するプロレスの世界で長くトップスターとして活躍した、三沢光晴選手(1962年6月18日 – 2009年6月13日)と重なるのです。

三沢さんと言えば、全日本プロレス、そして自ら興したプロレスリングNOAH(ノア)のリングで、数々の名勝負を繰り広げたレジェントですよね。その命を削るようなファイトと華麗な身のこなしは、多くのファンから圧倒的な支持を得ました。

そんな偉大な三沢さんも、若き日には大変な試練に晒されています。

三沢さんが全日本プロレスに入団し、まだ4年目で海外遠征していた頃、急に社長のジャイアント馬場から帰国するよう命ぜられ、その際に「タイガーマスク」としてデビューすることを言い渡されたのです。

タイガーマスクと言えば、70年代に日本人を熱狂させた超人気漫画の主人公。また、80年代に佐山聡さんが初代タイガーマスクとしてリング上で空中殺法を繰り広げ、子供たちのヒーローとして活躍した大看板です。三沢さんは心底、悩み抜いたと言います。それでも意を決し、リングに登った三沢さんは、2代目タイガーマスクとして6年間、奮闘したのです。

ただ、このタイガーマスクとしての6年間のファイトは、90年代の「素顔の三沢光晴」のファイトに比べると、大きく精彩を欠いたと言えます。デビュー当初の84年、85年あたりは血の滲むような努力で体得した空中殺法を披露し、人気を獲得したものの、ヘビー級転向後は期待と裏腹に凡戦が続き、タイガーでも三沢でもない並の覆面レスラーの評価に甘んじます。

「タイガーのイメージに付きまとわれて、自分のスタイルの試合ができない!」

そんな2代目タイガーの苦悩は、1990年まで続きます。この年、全日本プロレスは天龍源一郎選手はじめ、主力選手の大量離脱で大ピンチに陥りますが、2代目タイガーがマスクを脱ぎ、三沢光晴として戦うことを決心してから状況が一変。リフレッシュした全日本に新たなファンがつき、大活況となりました。

と同時に、団体の新エースとなった三沢さんもマスクを脱いだことで吹っ切れ、自分のスタイルを確立していきます。その後の華々しい活躍はご存知の通り。

そんな三沢選手とマゼールを比べるのもおかしな話ですが、マゼールもまた、華々しいデビューの成功の後、将来を嘱望され、数々の活躍の場を与えられるものの、そこからは吹っ切れない「普通」の演奏に終始していました。たまに奇抜なことをやって見せるものの、どこか空回り。

全国的な知名度がある。とんでもない才能に溢れている。いつだって無難に試合(公演)をこなすことができる。しかし、そんな恵まれた状況にあったからこそ、彼にはより厳しい目が向けられていたのかもしれません。

マゼールにもタイガーマスクのような呪縛が掛けられていたのです。

彼と同時代にはカラヤンとバーンスタインがいました。ベルリン・フィルハーモニーがカラヤンの後任にアバドを選んだ結果、マゼールが憤慨したことからも、彼の心中のライバルはアバドとかバレンボイムとかムーティではなく、カラヤンそのものだったのかもしれません。しかし、カラヤンを超えようとすればするほど、彼は深みにはまったと言えます。

それに比べると、駆け出しの頃の一所懸命のマゼールの演奏は本当に素晴らしい。音楽評論家の吉田秀和さんは、特に彼のバッハを絶賛していましたが、例えば「管弦楽組曲第2番」を聴いてみると、その理由が分かります。まさに正統派、正面から音楽に取り組んでおり、ポロネーズからの魅力あふれる色彩感とリズムの躍動には惚れ惚れしてしまいます。

随分回り道になりましたが、今回取り上げるボックスは、そんな若き日のマゼールがベルリン・フィルハーモニーを相手に数々の名演奏を繰り広げた、マゼールが最も輝いていた時代の記録を集めたものです。

1枚目のベートーヴェンの「運命」を聴いてみてください。これは何と、帝王カラヤンに先んじてベルリン・フィルと制作したアルバムで、録音時、彼はまだ28歳です。しかし、巨匠のような落ち着いたテンポと勘所を抑えた着実な指揮ぶり。それでいて3楽章以降はベルリン・フィルの剛直さを際立たせ、爽快で力強いフィナーレの盛り上がりを形成します。これはただ者ではないです。

「田園」もオーソドックスながら、聴かせどころを心得た名演。第2楽章中間部では木管協奏曲のようにフルートやクラリネット、オーボエが競演しますが、これが非常に幻想的ながら、後年のマゼールのようにあざとくならない。絶妙のバランス感覚なのです。

「嵐」もヴァイオリンの冷たい音色やピッコロの劈くような叫びが特徴的ですが、それゆえにテンポを落して風雨が去り、平和で切ない第5楽章が出現するところはいたく感動的。ラストの「祈り」も言うことありません。

ブラームスの「第3交響曲」は全体的にすっきりとした演奏。それでも第3楽章は大変ロマンティックで、ベルリン・フィルの憂いに満ちた素晴らしい弦のサウンドに惚れ惚れします。第4楽章に至っては、マゼールが複雑なアンサンブルも的確に交通整理しながらも、荒ぶるオーケストラを適度に開放し、情熱的なフィナーレを形成しているところが素晴らしい。

さらに特筆すべきはカップリングの「悲劇的序曲」で、これはいわゆる爆演です。おそらく同曲でも最速になるのではないでしょうか。それでいてアンサンブルが全く崩れず、ベルリン・フィルの技術には感服せざるを得ません。

この他にも、シューベルトの「未完成」が荒涼とした孤独感に溢れる名演ですし、メンデルスゾーンの「イタリア」は終楽章のリズムの扱いが面白い。反面、モーツァルトはどこか地に足が付いていないようで、マゼールの音楽性とのミスマッチを感じます。あとチャイコフスキーの「第4交響曲」は迫力満点なのに音質の限界から音が割れ気味なのが残念。

それよりも、レスピーギの「ローマの松」が面白い。この当時でも屈指の優秀録音で、ベルリン・フィルの鮮やかなサウンドが煌めくようにとらえられており、ラストは大きく盛り上がります。こういう曲を振らせると、マゼールは晩年に至るまでいつだって最高のパフォーマンスを聴かせてくれました。

何だかマゼールの後半生が全くダメだったような書き方になってしまったので、最後に円熟期のマゼールの名盤を1枚挙げておきましょう。1987年、カラヤンが自身の後継者を模索していた頃、野心に燃えるマゼールが全力でベルリン・フィルを振り、作り上げたワーグナー「指環」のオーケストラ編曲版です。編曲は自ら行っています。

これはもう凄いとしか言いようがありません。ベルリン・フィルの絶頂期のアンサンブルをギリギリと引き締め、「指環」の壮麗な世界をドラマティックに80分にまとめた、録音芸術の極致です。こんな演奏を常に聞かせてくれていたら、マゼールは20世紀最高の指揮者になっていただろうに。本当に悔やまれますが、実は我々の想像と違って、マゼールはそんなこと望んでいなかったのかもしれませんね。

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