ブルーノ・ワルター EMI録音集(4)

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貴重な30年代のワーグナー演奏の記録

このブログではブルーノ・ワルターのEMIボックスについて紹介していますが、今回は4回目。

ワルターの、そして戦前の貴重なワーグナー録音をご紹介します。

ワーグナー:
・楽劇『ワルキューレ』第1幕
・楽劇『ワルキューレ』第2幕第3場、第5場

ロッテ・レーマン(S:ジークリンデ)
ラウリッツ・メルヒオール(T:ジークムント)
エマニュエル・リスト(B:フンディング)、他

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: ブルーノ・ワルター

1935年6月20~22日、ウィーン、楽友協会ホール

後日ご紹介するマーラーもありますが、私的にはこのワルキューレこそ、当ボックスの要となる演奏だと思っています。何と1935年の録音!

30年代当時、EMIはワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全曲を歴史上初めて録音しようとしていました。SP時代にそんな大それたことを!と思われるかもしれませんが、30年代は急速に録音技術が向上し、またレコード市場も世界中に拡大しつつありましたので、ライバル会社を蹴落とすためにも、たとえ無謀と言われようが、EMIがそのプロジェクトに賭けようとした意気込みは理解できます。

そもそも、1931年に英コロムビアと英グラモフォンという強力な2社が合併してできたEMIです。財力・技術・人材は十分に有しており、イケる自信はあったのでしょう。この指環の他にも、野心的なプロジェクトを続々と成功させています。

例えば、カザルスのバッハ無伴奏全集、シュナーベルのベートーヴェン・ソナタ全集、クライスラーの協奏曲録音など。

そして、「ニーベルングの指環」です。その指揮者に選ばれたのはブルーノ・ワルターでした。管弦楽はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。まさに当時の花形の競演です。

1935年に「ワルキューレ」第1幕の録音が完了。予想に違わぬ素晴らしい出来。さあこれで歴史的な偉業は無事に進むであろう、と誰もが思いました。

しかし、現実は皮肉なもので、ナチスの台頭により、ユダヤ人であったワルターは執拗な嫌がらせを受け、ドイツだけでなく、オーストリアからも去らなければならなくなります。かくして、この戦前の素晴らしいプロジェクトは泣く泣く頓挫してしまいました。

ところが、EMIの挫折はまだまだこれでは終わりません。

戦後、同社は再び「ニーベルングの指環」全曲録音を企画し、指揮者にフルトヴェングラーを選びます。管弦楽はワルターの時と同じウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。何だかEMIの執念のようなものを感じますね。

しかし、ご存じのとおりフルトヴェングラーは1954年に急逝してしまい、録音されたのは「ワルキューレ」だけ。またもや頓挫してしまいました。

そうこうしているうちに、同じイギリスのデッカが若き俊英、ゲオルク・ショルティにウィーン・フィルを預け、史上初の「指環」全曲録音を成し遂げてしまいます。1965年のことでした(※このことについては以前書きましたので、ここでは省略させて頂きます)。

その後、カール・ベーム指揮によるバイロイト祝祭劇場での実況録音盤(フィリップス)、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーによる精緻極まりないスタジオ録音盤(グラモフォン)、さらにはピエール・ブーレーズによるバイロイト祝祭劇場公演の映像盤(ユニテル)までリリースされ、一方、世界初を企てたEMIは何と80年代まで「指環」に全く手を出せない状態が続きます(※フルトヴェングラーによるライブ録音は除きます)。

EMIがようやく「指環」全曲のセッション録音を成し遂げたのは1991年。指揮者はハイティンク、オーケストラはバイエルン放送交響楽団という、大変渋い陣容によるものでした。歌手に実力者を揃え、ハイティンクの堅実な棒の下、すこぶる手堅い名演が展開されていますが、ショルティの時のようにセンセーショナルな話題になることはありませんでした。かえすがえす、EMIにとっては、ワルターの「指環」を逃したのは最大の痛恨事だったと思います。

しかし、現代に生きる我々としては、ワルターの「ワルキューレ」が第1幕だけでも遺された奇跡を喜ぶべきかもしれません。

それにしてもこれはすごい演奏、録音です。

まず演奏。クナッパーツブッシュともフルトヴェングラーとも全く違います。また、我々がイメージする晩年の穏健なワルターとも違います。

冒頭から通常の倍くらいのテンポではじめ、低弦のうねりがものすごいです。こんなに激しい演奏をする人だったろうか?と首を傾げてしまうくらい、ここでのワルターはオーケストラを煽り、ドラマティックな表現を強調します。ところどころ現れる各種動機もよく歌い、聴き手の気分を盛り上げていきます。歌手も素晴らしく、レーマンの品格があり、可憐なジークリンデ。そして伝説の歌手、メルヒオールの英雄的なジークムントの歌唱には圧倒されてしまいます。現代でも十分通用する演奏、いや、ワルキューレの代表盤に数えてもおかしくない演奏です。

録音も1930年代とは思えませんね。オケの音色、歌手の発音をしっかりととらえ、空間的広がりを過不足なく感じさせてくれます。

ところで、このワルターのワルキューレ。当ボックスだけでなく、優良な板起こしによって他レーベルからも発売されています。

まずは、ナクソス盤。重心が低く、ひょっとしたら古めかしく聴こえる録音かもしれません。ただ針音などはなく、聴きやすく処理されているので、鑑賞されるうえで大きな問題はありません。

面白いのはこの盤、ワルターが収録しなかった第2幕を、ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー指揮/ベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏で補っています。有名なワルキューレの騎行で始まる第3幕は収められていないので、ちょっと首を傾げる補足ではあるのですが、まあワルター時代の他の巨匠の演奏を聴けるわけですから、よしとしましょう。

次は、オーパス蔵の復刻です。このレーベルは、針音や盛大なノイズをそのまま収録することを厭わないスタイルで、それによってレコードの中に刻まれた音の密度をそのまま伝えることをポリシーにしています。

結果、このワルターの復刻は大成功です。吉田秀和先生も「世界の指揮者」で述べておられますが、ワルターがバス声部を非常に強調する指揮者であることを如実に示します。冒頭の数小節だけでも、本家版とナクソス盤とは全く別物に聴こえるくらいです。

ノイジーなのが玉に瑕ですが、私はこのオーパス蔵盤がベストの音質だと思います。しかし、ボックスを買われた方は、その音質で十分満足のいくものですから、買い替える必要はないでしょう。

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