ドビュッシー直伝のアンゲルブレシュトの名演
皆さんはデジレ=エミール・アンゲルブレシュト( 1880 – 1965)をご存知ですか?
この名前は、今や「知る人ぞ知る」になってしまいましたが、コアな音楽ファンの間では大変高名なフランスの名指揮者であります(レコードも高値)。
また彼は、同時代を生きたドビュッシーとはたいへん縁が深く、「聖セバスティアンの殉教」の初演では合唱指揮者を務めているほど。
希代の偏屈者・ドビュッシーもアンゲルブレシュトのことを高く評価していたようです。
このボックスは、そんなアンゲルブレシュトの晩年のドビュッシーを集めたものです。
Disc1-3
■歌劇「ペレアスとメリザンド」(全曲)
ジャック・ジャンセン(ペレアス)、ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド)、
ソランジュ・ミシェル(ジュヌヴィエーヴ)、フランソワーズ・オジュア(イニョンド)、
ミシェル・ルー(ゴロー)、アンドレ・ヴェッシエール(アルケル)、
マルセル・ヴィニュロン(医者)
フランス国立放送合唱団(ジャンヌ・ボードリー=ゴダール/合唱指揮)
録音:1962年3月13日、シャンゼリゼ劇場、ドビュッシー生誕100年記念フェスティヴァル
Disc4
「聖セバスチャンの殉教」
エーテル・シュスマン(ソプラノ)、クリスティアーヌ・ゲイロー(双子)、
ソランジュ・ミシェル(双子)、アンドレ・ファルコン(語り)
フランス国立放送合唱団(ジャンヌ・ボードリー=ゴダール/合唱指揮)
録音:1960年2月23日(ライヴ録音)
Disc5
「選ばれし乙女」
古澤淑子(ソプラノ)、フレッダ・ベッティ(語り)
フランス国立放送合唱団(ジャン=ポール・クルデール/合唱指揮)
フランス国立管弦楽団
録音:1957年12月14日
スコットランド行進曲
録音:1958年11月20日
牧神の午後への前奏曲
録音:1962年1月23日
Disc6
「海」
フランス国立放送合唱団(ジャン=ポール・クルデール/合唱指揮)
録音:1962年1月23日
「3つの夜想曲」
フランス国立放送合唱団(ジャン=ポール・クルデール/合唱指揮)
録音:1963年12月17日
指揮:デジレ・エミール・アンゲルブレシュト
管弦楽:フランス国立放送管弦楽団
彼の演奏を聴いていてまず思うのは、フランスの色香が非常に強いこと。
当時のステレオ黎明期の音像がぼやけた、レンジの狭い録音のせいもありましょうが、管楽器や低弦部などが非常に濃厚に、雰囲気豊かに鳴り響きます。
まずはドビュッシーのペレアスですが、この曲はまさに彼の十八番のような作品で、私が知っているだけでも3種類の録音が遺されています。
ひとつは、1951年にイギリスのフィルハーモニア管弦楽団との放送音源。
最近テスタメント社が発掘するまで、存在すら知られていなかった名盤です。
次に、バークレー社から出ていたフランス国立放送管弦楽団との共演版。
世紀のペレアス歌い、カミーユ・モラーヌの素晴らしい歌唱が聴けますが、現在のところ、現役盤のCDはないようです。復刻が待たれます。
そして、今回紹介するNaive盤こそ、座右に置いておきたい魅惑的なディスクです。
かつて、ディスク・モンテーニュという会社から発売され、1988年のレコード・アカデミー賞まで獲得した名盤なのですが、その後急に市場から消えてしまい、長らく再発を待たれていました。
これは、1962年のドビュッシー生誕100年を祝うコンサートの実況録音で、幸いなことに明瞭なステレオで収録されています。
ペレアス役は、モラーヌと双璧と評されたジャック・ジャンセン。
蠱惑的なミシュリーヌ・グランシェ、苦悩の重さを滲ませるル・ルー。
配役のすべてが素晴らしく、かつフランス語の美しさが本当に際立っています。
オーケストラも、例えばカラヤン指揮ベルリン・フィルのように弱音の表現に拘泥せず、ダイナミック、かつ濃厚にドビュッシーの色合いを醸し出しています。
このオペラは苦手で…という方は、まずこの演奏から入ってみられるとよろしいでしょう。
そして、このBOXにはペレアスの他にも珠玉の名演たちが収められています。
まず、「聖セバスチャンの殉教」。
ピアニストの青柳いづみこさんが、ドビュッシーは若い頃から当時の文士たちと交友を持ち、神秘思想やオカルティズムにはまり込んでいた、という趣旨の記述をされていますが、この作品も崇高な宗教観とかではなく、怪しげな背徳の香りがプンプンしています。
もともと、聖セバスチャンの殉教のシーンはルネサンス期あたりから官能的に描かれ、わが国でも三島由紀夫が共鳴して、自分で仮装して写真を撮っていたりします。
木管のぼわーっとした響きと弦の泣き咽ぶようなヴィヴラートが絡んで醸し出す和声、そして歌手の雄弁なフランス語。
この怪しげな魅力に憑りつかれたら、中毒のように何度も聴き返してしまいます。
「選ばれし乙女」は、マリア・ユーイングとアバドのCDも素晴らしかったですが、ここではなんと、日本人の古澤淑子さんが歌われています。
古澤さんは大正5年の生まれ。昭和12年に渡仏してパリ音楽院で学び、その後、第2次世界大戦に遭遇して大変な苦労をされながらも、ヨーロッパで長年活動。日本でも数多くのフランス歌曲を紹介して、フランス学術文化勲章を授与されましたが、2001年に惜しまれて逝去。経歴だけ見てもすごい方です。
ここでの彼女のフランス語は完璧で、繊細なテキストを理解して見事に歌い上げていますが、今日でもドビュッシーの声楽は難しいのに、この時代でこの完成度は驚異です。
ほか、ドビュッシーのオーケストラ曲が4曲。
フルネやらデュトワに親しんでいる耳からすれば、何とも剛毅なオケの音色で、どことなく刷り込まれているフランス人指揮者=優美とは明らかに異なります。
「海」のラストなどは、バルトークのように熱く盛大に盛り上がっていく快演で、実演で聴いていた聴衆の驚いたような反応も聴いていて面白いです。
アンゲルブレシュト作曲のレクイエムについて
最後に。
アンゲルブレシュトは、実は作曲家でもありました。
なかなかその作品を聴こうとしても機会が少ないのですが、最近になって、シャルランの復刻シリーズの一環として、彼のレクイエムが再発されました。
※シャルランは、同名の伝説の録音技師が立ち上げたレーベル。当時のマスターテープは、税関職員の不手際ですべて廃棄されたと言われ、ファンは嘆息しましたが、近年漸く、サブマスターからの復刻が実現しました。その中にフルネ指揮のアンゲルブレシュト:レクイエムが含まれます。
この曲など、レクイエムと思えないほど凄まじくエネルギッシュで線が太い。
アンゲルブレシュトの音楽というものがはっきりと見えてきたので面白かったです。
それにしても、フランスのレコードというのは趣味的で面白いものが多いですね。
まだまだお宝は眠っていると思うので、もっともっと復刻されることを望みます。