バッハの鍵盤曲の名手と言えば、昔からグールドの呼び声が高いですね。
何と言っても、彼のキャリアのスタートでもあり、白鳥の歌でもあった、2枚のゴルトベルク変奏曲の超弩級の名盤の評価は圧倒的。
そして、風変わりなアーティキュレーションで聴く者をあっと言わせた「平均律クラヴィーア曲集」も、同曲の一、二を争う名盤です。
その他にも、彼はとてもとてもたくさんのバッハの名盤を遺しており、彼と同世代のピアニストたち、あとに続くピアニストたちは、少なくともバッハ演奏におけるテスタメントを作り上げたグールドの亡霊と戦い続けなければならない宿命を負ってしまったような気がします。
ところが、ハンガリーから突如、彗星の如く現れたひとりのお洒落な若者。
彼は先人の名声などどこ吹く風と、多くのバッハの鍵盤曲を弾きまくり、そのリリックで爽やかなそよ風のような演奏で忽ち、大きな評判を得ました。
若者の名は、アンドラーシュ・シフ。
彼は世界的コンクールでついに1位を取らないままデビューしていましたが、同郷のコチシュ、ラーンキとともに期待され、早くからデッカと契約します。今回ご紹介するのは、1982年から91年に収録した一連のバッハの名演奏です。
Disc 1
・インヴェンションとシンフォニア BWV.772~801
・4つのデュエット BWV.802-805
・半音階的幻想曲とフーガ BWV.903
Disc 2
・イギリス組曲第1~3番 BWV.806-808
Disc 3
・イギリス組曲第4~6番 BWV.809-811
Disc 4
・フランス組曲第1~4番 BWV.812-815
DIsc 5
・フランス組曲第5~6番 BWV.816-817
・イタリア協奏曲 BWV.971
・パルティータ(フランス序曲)BWV.831
Disc 6
・パルティータ第1,2,6番 BWV.825,826,830
Disc 7
・パルティータ第3,4,5番 BWV.827,828,829
Disc 8
・平均律クラヴィーア曲集第1巻第1~12番 BWV.846-857
Disc 9
・平均律クラヴィーア曲集第1巻第13~24番 BWV.858-869
Disc 10
・平均律クラヴィーア曲集第2巻第1~13番 BWV.870-882
Disc 11
・平均律クラヴィーア曲集第2巻第14~24番 BWV.883-893
Disc 12
・ゴルトベルク変奏曲 BVW.988
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
まことに素晴らしい名盤です。
おそらくベーゼンドルファーだと思うのですが、スケール豊かに鳴り響く部分と、シフの特長である珠を転がすような美しいタッチの妙が素晴らしい。
平均律とかゴルトベルクも当然、高い完成度なのですが、今回改めてじっくり聴き直してみると、個人的にはDisc 1~7 が圧倒的に面白い。
イタリア協奏曲の3楽章の愉悦に満ちたパッション、雄弁な左手と歌う右手との交錯。フランス組曲での終始、軽快なスピード感、そして遅い部分の独白的な間の取り方。
パルティータ第2番も、他のピアニストはやけに深刻に始めるのにシフは穏やか、かつ淡々たる歩みで、スウィングを仕掛けるアルゲリッチとはまるで違った雰囲気。と思わせておきながら、ギアチェンジして独特のアーティキュレーションで攻めます。
ネット上ではこうしたシフの弾き方を「軽い」と断罪する向きもあるのですが、私は肩肘張らず、このシフの若々しいバッハを素直に堪能したいと思います。