少なくとも1980年代まで、ルーマニア生まれの鬼才、セルジウ・チェリビダッケは、大いなる「謎」に包まれた指揮者でした。
とにかく正規盤のレコードが僅かしか存在せず、メディアへの露出も極端にセーブされ、たまにFM放送で流れるミュンヘンでの録音だけが、唯一の手掛かりという有様だったのです。
それだけに、たまにチェリビダッケが来日したりすると、大きな騒ぎになりました。
1977年と78年の単身来日(読売日本交響楽団を指揮)、1980年ロンドン交響楽団との来日公演、そして手兵ミュンヒェン・フィルとの1986年と1990年の来日公演。
当時はチケットを求めて長い行列ができ、運良く聴けた聴衆は実演を「伝説化」しました。
立ち会えなかった多くの音楽ファンは、ますますチェリの音楽はいかなるものか懊悩し、ある者は禁断の非正規盤を求め、またある者はエアチェックテープを何度も聴き直したのです。
ところが、です…。
1989年、不俱戴天の仇でチェリとはまさにコインの裏表であった帝王カラヤンが没すると、それまでミュンヒェンだのシュトゥットガルトにイジケて引きこもっていたチェリの態度が一変。
新たな巨匠探しに奔走していたソニーと、ビデオ・ディスクの制作に積極的に取り組んだり、戦後、フルトヴェングラーの後任選びで決裂していたベルリン・フィルに電撃復帰してみせたり、1992年、1993年、日本に手兵とやってきて、ブルックナーやベートーヴェンを披露したりと、まことに食えない、というか、逆に言えば堪らなく魅力的な人だったと思います。
希代の偏屈者にやっと昼の光が当たりだした1996年、彼は84年の生涯に幕を閉じます。
ところが、そこからさらに大どんでん返しが起こるのです。
何と彼の遺族が、商業レコードを極端に忌避した故人のポリシーとは反対に、彼の放送録音などを一気に商品として販売することを許可したのです。音楽ファンは大喜び!
そして2011年秋、私たちにとって宝物のような演奏の数々が待望のボックスセット化されます。
第1集がドイツ・オーストリアの交響曲集、第2集がブルックナーの交響曲集。第3集がフランス・ロシア名曲集、第4集が宗教音楽・序曲集。計48枚。
どれも素晴らしいのですが、今日はまず第2集のブルックナーからご紹介しましょう。
Disc1
● ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(1888/89 ノヴァーク版)
録音時期:1987年3月19,20日
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
Disc2
● ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(ハース版)
録音時期:1988年10月16日
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
Disc3, 4
● ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ハース版)
録音時期:1993年2月12,14,16日
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
Disc5
● ブルックナー:交響曲第6番イ長調(ハース版)
録音時期:1991年11月29日
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
Disc6, 7
● ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
録音時期:1994年9月10日
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
● ブルックナー:テ・デウム(1883/84 ペータース)
マーガレット・プイラス(ソプラノ)
クリステル・ボルヒェルス(コントラルト)
クラエス・H.アーンシェ(テナー)
カール・ヘルム(バス)
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
ミュンヘン・バッハ合唱団員
エルマー・シュローター(オルガン)
録音時期:1982年7月1日
録音場所:マリアンネンプラッツ、ルカ教会(テ・デウム)
Disc8, 9
● ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1890 ノヴァーク版)
録音時期:1993年9月12,13日
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
Disc10, 11
● ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
● ブルックナー:交響曲第9番 リハーサルより
録音時期:1995年9月10日(第9番)、1995年9月4-7日(リハーサル)
録音場所:ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
Disc12
● ブルックナー:ミサ曲第3番ヘ短調
マーガレット・プライス(ソプラノ)
ドリス・ゾッフェル(アルト)
ペーター・シュトラーカ(テナー)
マティアス・ヘレ(バス)
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
セルジウ・チェリビダッケ(指揮)
アントン・ブルックナー(1824 – 1896)は、オーストリアが生んだ偉大なる交響曲作曲家で、生涯に9曲+習作2曲(0番と00番)のシンフォニーを遺しています。
どれも型にはまらない独特の世界を築いており、巨大な楽器編成が生むオルガンのような和声、土俗的なリズム、ブロック化された楽節、しつこいくらいの反復に隠された数学的構造。
他の作曲家の交響曲とは明らかに異質であり、それでいて神の声のように美しく響くのです。
ところでチェリビダッケは、この異質さをさらに極限まで歪ませ、ありえないくらい遅いテンポ、自己流のデフォルメされたデュナーミク、そして驚くほど繊細な和声の美しさで感心させます。
第8交響曲第4楽章コーダの途方もないスケール、第4交響曲第4楽章コーダの神秘的な足取り、そして第7交響曲第2楽章アダージォの震えるような弦の美しさ、繊細さ。
こんな演奏を実演で聴いてしまったら、感動して身動きが取れなくなることでしょう。
彼の師でもあったフルトヴェングラーは、ブルックナーの演奏においてはかなりテンポを煽り、まるでベートーヴェンを演奏するように鋭角的なダイナミックスで勝負していましたが、ここで聴く限り、チェリのアプローチはその真逆。
それでも、ブルックナーに対する表現語法は両者、近いのではないのか、という気がします。
20世紀末、窮屈なくらい厳格なギュンター・ヴァントのブルックナーが絶大な人気を博し、チェリのスタイルはやや邪道と言いますか、正統ではないような評価を受けてしまいましたが、彼が尊崇する「禅」のような澄みきった世界にいるブルックナーもまた、真理かもしれません。