LP時代の名盤 ヘボウとのベートーヴェン
20世紀前半を代表する指揮者と言われ、息子に天才指揮者・カルロスを持つエーリヒ・クライバー。
彼と同時代には、厳格で荒々しいトスカニーニ、ロマンティックなメンゲルベルク、叙情的で歌にみちたヴァルター、客観的でスケールの大きいクレンペラー、そして奔流のように起伏の激しいドラマを聴かせるフルトヴェングラーなど、個性的な天才がひしめいていたわけですが、その中にあってクライバーは、上品で格調の高い音楽づくりを特長としました。
そして彼の演奏スタイルは、他の巨匠たちの解釈がともすると過去のものとなりつつある中にあって、現代の演奏としても十分に通用するような普遍性、客観的な佇まいを持っているように思えます。
これには音質的なアドヴァンテージも大いに寄与していることでしょう。トスカニーニは、最近でこそ素晴らしい復刻が出てきましたが、かつては「RCA-8Hスタジオのデッドな音響」と揶揄される酷い音質で正統な評価を得られていませんでした。フルトヴェングラーやメンゲルベルクもしかりですね。
クライバーもステレオは「フィガロの結婚」くらいですが、当時最高の技術水準を誇るデッカ・レーベルによって記録された、モノラル期の爽快で細部をとらえきった録音は他を大きく突き放します。このボックスに収められたものの大半も、そうしたデッカの技術力の高さの恩恵を受けています。
ただそれ以上に、クライバーの演奏にはロマン主義に堕さない客観性があり、そこに我々は「古びない音楽」を感じ取るのかもしれません。
録音を極端に嫌った息子、カルロスに生前振ってほしかった曲は何ですか?という音楽ファンへのアンケートで、いつも1位か2位に挙がるベートーヴェンの「英雄」交響曲。しかし、お父さんの方はと言うと、コンセルトヘボウ管弦楽団とウィーン・フィルという天下の2大オケを相手に名盤を遺しています。
私がいつも感心するのは、コンセルトヘボウ盤のほう。1950年の録音です。これは、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの1952年盤と並んで、モノラル期のスタジオ録音としては演奏・音質ともに最高の部類に数えていいものです。
テンポはやや速めで、楽譜に書いてあることを正確に表現しています。それでも、第1楽章を筆頭に音楽は激しく、情熱を帯びており、こういう演奏を成し遂げた当時のコンセルトヘボウ管弦楽団の尋常でない技術力には驚嘆します。
葬送行進曲は聴きどころ満載。冒頭こそフルトヴェングラーみたいに溜めず、粛々と進行しますが、中間部の輝かしさ、オーケストレイションが透けて見えるような明晰さには惚れ惚れします。続くフーガの厳粛さと曲想転換のすばやさ、「最後の審判のファンファーレ」をトランペットがグロテスクに強奏するところなども面白いことこのうえなしです。
スケルツォ楽章は管楽器と弦楽器の調和が見事で、速い箇所も一糸乱れず弾き切ります。第4楽章の変奏曲とフーガも、指揮者の交通整理能力がダメだとどうしようもなくなりますが、さすがクライバー。各楽器のバランスや音量を厳格に統制しながら、かつ管楽器の先導で始まる場面転換をドラマティックに演出することに成功しており、これぞ当代きっての名指揮者だなあ、と感心してしまいます。
指揮者のみごとな棒さばきが光る一枚ですが、それにしても、コンセルトヘボウの巧すぎるくらい上手いテクニックといったらどうでしょう!管楽器はよく鳴りますし、魅惑的な音色ですし、技巧的に難しい箇所も「どうだ!」と言わんばかりにキメてきます。それを支える弦もまた、合奏能力が異常に高く、艶やかな音の潤いを持っていて素晴らしい。
続く1枚は「運命」。これは息子の演奏にそっくりと巷間よく言われますが、個人的にはピリオド・アプローチの演奏に近しさを感じます。すなわち、エーリヒの方がテンポが速く、デュナーミクの幅が大きく、ザッハリヒに進行します。冒頭の休止の間、ホルンのアーティキュレーションなどが顕著ですね。ベーレンライター校訂版もアーノンクールもまだ登場していなかった時代に、これだけ現代的な解釈を実現させた見識と能力には脱帽です、
面白かったのは、第3楽章と第4楽章の間のppで動くブリッジの部分。ここは、フルトヴェングラーとかカラヤンはやたらと音量を抑え、4楽章に入る瞬間、かっこよくクレシェンドで綺麗に浮揚するのが常道なのですが、クライバーはそんなことはしません。むしろ直前のヴァイオリンのボウイングが特徴的で、際立つほど艶めかしい音を発し、聴き手を惹きつけるのです。その後の第4楽章も非常に柔らかい音楽になっており、ずっとけたたましい音響が鳴り響き、正直疲れるような類の「運命」とは違う世界を構成しています。
なお、このボックスには他に、ウィーン・フィルハーモニーと共演した「英雄」、「第9」、コンセルトヘボウとの「田園」、「第7」なども入っています。フルトヴェングラーのあの物々しい衝撃はありませんが、どれも立派で、オーケストラの魅力が十二分に引き出され、聴いていてとても愉しいという印象が持てるでしょう。
息子カルロス・クライバーの同曲演奏盤と比較してみるのも、一興かもしれません。