一世を風靡した古楽器のモーツァルト
ブリュッヘン&18世紀オーケストラ/モーツァルト・レコーディングス
Disc 01
● ヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調 K.207
● ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
● ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219『トルコ風』
トーマス・ツェートマイヤー(ヴァイオリン&指揮)
録音:2000年9月・ユトレヒト(K.218&K.219)、2002年6月・クリチバ(K.207)
Disc 02
● ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K.364
● ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
● ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調 K.211
トーマス・ツェートマイヤー(ヴァイオリン)
ルース・キリウス(ヴィオラ:K.364)
録音:2005年10月・ロッテルダム(K.364)、ユトレヒト(K.211&K.216)
Disc 03
『アロイジア・ウェーバーのためのアリア集』
● いえ、いえ、あなたにはできません K.419
● アルカンドロよ、わたしは告白する-どこから来るのかわたしにはわからない K.294
● わたしはあなたに明かしたい、ああ! K.418
● ああ、もし天に、恵み深い星たちよ K.538
● わが憧れの希望よ-あなたにはどれほどの苦しみかわかるまい K.416
● テッサーリアの民よ-わたしは求めはしません、永遠の神々よ K.316(K.300b)
● 私の感謝をお受け取り下さい、親切な後援者の皆様 K.383
シンディア・ジーデン(ソプラノ)
録音:1998年5月、9月、ユトレヒト・フレーデンブルフ音楽センター
Disc 04
『ホルンのための作品集』
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第8番アレグロ
● ホルン五重奏曲変ホ長調 K.407
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第7番アダージョ
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第2番メヌエット(アレグレット)
● 歌劇『ポントの王ミトリダーテ』 K.87よりアリア『あなたから遠く離れて』
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第3番アンダンテ
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第12番アレグロ
● ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447*
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第9番メヌエット
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第5番ラルゲット
● 音楽の冗談 K.522
● ホルンのための12の二重奏曲 K.487より第4番ポロネーズ
トゥーニス・ファン・デァ・ズヴァールト(ナチュラルホルン)
エルヴィン・ヴィーリンガ(ナチュラルホルン)
マルク・デストリュベ(ヴァイオリン)
スタース・スヴィールストラ(ヴァイオリン&ヴィオラ)
エミリオ・モレーノ(ヴィオラ)
アルベルト・ブリュッヘン(チェロ)
ロベルト・フラネンベルク(コントラバス)
クラロン・マクファデン(ソプラノ:アリア)
録音:2006年6月~2008年7月、ブレシア、フェーネンダール、マドリード
Disc 05
● クラリネット協奏曲イ長調 K.622
● 歌劇『皇帝ティートの慈悲』 K.621より序曲
● 歌劇『皇帝ティートの慈悲』 K.621よりアリア『私は行くが、君は平和に』
● 歌劇『皇帝ティートの慈悲』 K.621よりアリア『夢に見し花嫁姿』
● 2つのクラリネットと3つのバセット・ホルンのためのアダージョ 変ロ長調 K.411
エリック・ホープリッチ(クラリネット&バセット・ホルン)
ジョイス・ディドナート(メゾ・ソプラノ)
録音::2001年2月(K.622)、11月(アリア)、12月(K.411)、1986年6月(序曲)
Disc 06-Disc 07
● 交響曲第39番変ホ長調 K.543
● 交響曲第40番ト短調 K.550
● 交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
録音:2010年3月4日、ロッテルダム、デ・ドゥーレン
Disc 08
● フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477
● 2つのクラリネットと3つのバセット・ホルンのためのアダージョ 変ロ長調 K.411
● レクィエム ニ短調 K.626
モーナ・ユルスルー(ソプラノ)
ヴィルケ・テ・ブルンメルストルテ(アルト)
ゼーハー・ヴァンデルステイネ(テノール)
イェレ・ドレイエル(バス)
ユーヘイン・リヴェン・ダベラルド(グレゴリオ聖歌指揮)
オランダ室内合唱団
録音:1998年3月20日、東京芸術劇場
Bonus Disc
● 歌劇『後宮からの逃走』 K.384(ハイライト)
レネケ・ルイテン(ソプラノ)
シンディア・シーデン(ソプラノ)
アンデシュ・ダーリン(テノール)
マルセル・ビークマン(テノール)
ミヒャエル・テーフス(バス)
カペラ・アムステルダム
録音:2011年11月9日、フリッツ・フィリップス音楽センター
以上:管弦楽 18世紀オーケストラ
指揮 フランス・ブリュッヘン
1980年代、クラシック音楽界では空前の古楽器ブームが起きました。
古株のニコラウス・アーノンクールを筆頭に、ジョン・エリオット・ガーディナー、クリストファー・ホグウッド、トレヴァー・ピノック、フランス・ブリュッヘン、シギスヴァルト・クイケン等々、各国の優秀な音楽家が仲間たちを率い、世界各国で斬新な演奏を繰り広げたのです。
ヴィヴラートをかけない、無機質な弦の響き。壮麗な金管楽器。素朴な木管楽器。バチのように鋭く響く打楽器。私たちが聴いたサウンドは、これまで常識であったカラヤンやベーム、バーンスタインの作り出す豊饒な管弦楽の音響とはまるで違うものでした。
中でも世間に衝撃を与えたのはフランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラの演奏です。彼らが発売したモーツァルトの交響曲とベートーヴェンの「英雄」のCDは、こぢんまりした小編成のオーケストラでありながら、激しいパッションと表現意欲を剥き出しにし、「古楽器なんて眉唾物だ」と半信半疑であった音楽ファンを完全に黙らせてしまったのです。
そもそも、このブリュッヘンという指揮者はどういう人なのでしょうか?
資料によると彼は1934年、オランダのアムステルダムで生まれました。いきなり指揮者として世に出たわけではなく、元々はリコーダー奏者として名を挙げ、数々のレコードを世に送り出しています。特に「涙のパヴァーヌ」と銘打ったアルバムは、これまで「学校の楽器」であったリコーダーの地位を一流の楽器にまで飛躍的に向上させた名盤です。
その後、彼は純然たる古楽器であるフルート・トラヴェルソも巧みにこなすようになり、そこからクイケン兄弟やアーノンクールといった、古楽の先鋭たちと交誼を結ぶようになります。そして彼らが指揮者として名を成すのと同時に、ブリュッヘンもまた18世紀オーケストラという古楽器オーケストラを組織し、世界中に斬新な演奏を広めていきました。
そんなブリュッヘンの演奏の素晴らしいのは、ピリオド楽器を用いながら、どことなく往年の巨匠風な佇まいを持っているところです。あくまで個人的な主観ですが、壮年期のカール・ベームの演奏スタイルに似ています。
厳格なテンポでありながら音楽に活力があり、各楽器の魅力を引き出すのがとても上手い。
ためしにツェートマイヤーとの「ヴァイオリン協奏曲」を聴いてみてください。往年のウエストミンスターの室内合奏盤に匹敵するような抗し難い魅力に満ちています。「クラリネット協奏曲」も「これぞモーツァルト!」と叫びたくなるような愉悦と微笑みにあふれ、かつほの暗い翳りも漂わせる素晴らしい名演奏です。
アロイジアへの恋心を綴った貴重なアリア集を収録
面白いのは『アロイジア・ウェーバーのためのアリア集』というタイトルのDisc 03。
アロイジア・ウェーバーは、若きモーツァルトが武者修行の旅の途中、マンハイムで知り合ったウェーバー家の次女です。まさに青年モーツァルトの「運命の人」ともいうべき女性で、彼女にぞっこんだったモーツァルトは求愛の歌ともとれる作品を彼女に捧げています。
アロイジアは、モーツァルトより4歳下の17歳。教養が高く、ソプラノ歌手の卵として周りから期待される女性でした。そして、彼女はモーツァルトの書いたコンサート・アリア「アルカンドロよ、わたしは告白する-どこから来るのかわたしにはわからない K.294」を聴衆の前で歌います。天才の幸福な気持ちはいかほどだったでしょう!
しかし、実際にはアロイジアはモーツァルトに興味はなく、彼の恋が実ることはありませんでした。そのうえ、彼は行き先のパリで職を得ることができず、最愛の母まで失う悲劇に見舞われ、まさに踏んだり蹴ったりの有様。そしてこれらの出来事が、その後のモーツァルトの人生に大きな影を落とします。
パリで失敗、戻ってきたザルツブルクでも大司教から追い出され、散々だったモーツァルトですが、そんな彼を迎え入れたのは、意外にもウィーンの地でした。上流階級にぼちぼち擁護者も現れ、宮廷お抱えではなくフリーの音楽家として自立を目指すようになったモーツァルト。
ここで彼が意外な行動に出ます。ウィーンでの住みかとして、何とウェーバー家の下宿に転がり込んだのです。
一説によると、彼はまだアロイジアに未練たらたらだったらしい。しかし、そんな彼の最後の賭けもむなしく、アロイジアは画家のランゲと結婚してしまいます。
※ちなみに、有名な下の肖像画はランゲの筆によるそう。描かれたモーツァルトもですが、かつて嫁を狙っていた男の肖像画を描いたランゲの心境はどうだったのか、興味深いところです。
失意に失意を重ねるモーツァルトでしたが、そんな彼に近づいてきたのは、アロイジアの妹・コンスタンツェ。歌手としての実績も乏しく、姉に比べると平凡な容姿でしたが、モーツァルトは周りの反対を押し切って彼女と結婚します。
一般的にコンスタンツェは超の字がつく悪妻とされ、モーツァルトも彼女をアロイジアの代替くらいにしか思っていなかったという酷い説もありますが、最近の研究から察するに二人の結婚は幸せなもので、モーツァルトの作品が一気に深みを増したのはコンスタンツェの存在あってのものと私は思っています。
話がコンスタンツェの方に逸れましたが、とにかくモーツァルトが情熱的に恋焦がれたアロイジア。彼女との出会い、片思い、失恋、未練に至る過程、そして「パリ交響曲」を書いた1778年から、「フィガロの結婚」、後期3大交響曲を書き上げる1788年までの作曲家としての成長を辿ることができるのが、ここに収められた7つの歌曲です。
音楽としての充実もさることながら、これだけの難曲を歌ったとされるアロイジアの技術の高さは相当なものだったと想像できます。特にK.419は、「魔笛」の「夜の女王のアリア」に匹敵するほどの技術的要求があり、18世紀にこのような曲を歌いこなしたとされるアロイジアの能力には脱帽です。当然、このCDの歌手、シンディア・ジーデンの心癒される見事な歌唱にも拍手を送りたい。
ちなみに、ボーナス・ディスクとして、「後宮からの逃走 K.384」が収められているのも心憎い。この作品にはヒロインとしてコンスタンツェという女性が登場するのですが、モーツァルトは生前、この役にいまや義姉となったアロイジアを起用したそうです。その時は、モーツァルトと二人でおでかけをするほどに変化していたアロイジア。コンスタンツェの心境はいかがなものだったでしょうか?
当初、ブリュッヘンの凄さを知ることができるボックスとして購入しましたが、同時にモーツァルトと彼が愛した女性の物語を見るようで、メーカーの見識の高さには恐れ入りました。