マーラー・コンプリート・エディション 02

「巨人」と「復活」と「若人」の名盤

曲目等は前回の記事をご参照ください。

マーラー・コンプリート・エディション

異端の演奏、ジュリーニの「巨人」

このボックスが素晴らしいのは、マーラー解釈がまだ手探りであった1950~1960年代の録音から、すでに古典として世間に定着した1990~2000年代の最新盤まで包括していることです。

そしてそれはすなわち、(過去には)トップレーベルであったEMIが保有する大物演奏家たちの歴史的名盤を一堂に集めたことを意味します。

まずは見ていきましょう。

交響曲第1番「巨人」はジュリーニ指揮シカゴ交響楽団の演奏です。

ジュリーニがマーラー?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、マエストロには「第9」と「大地の歌」の名盤があります。しかし、この「巨人」はあまり知られていないのではないでしょうか?

この録音は、ちょうどバーンスタインが1回目の偉業(マーラー交響曲全集録音)を達成した直後に制作されています。そして、デッカレーベルが同じシカゴ交響楽団を用いて、ショルティ指揮によるマーラー交響曲全集にチャレンジし始めた頃とも重なります。そんな時期に、このレコードは作られました。

おそらくEMIには、ジュリーニとシカゴ交響楽団でマーラー全集を制作しようという意図はなかったと思われます。全集に興味がなく、もともとは劇場指揮者であるのに、交響曲を振らせてみたらすごくいい演奏をする。そんなジュリーニの“旬”の演奏をとりあえず世に問うてみよう!そんな中の一枚であったのでは?と推測します。

上記のとおり、ジュリーニのシカゴ時代のEMI録音がまとめられていますが、曲目に一貫性がありません。まるで、ホロヴィッツやアルゲリッチのように、バリエーションに富んだ自由な選曲がなされています。しかし、演奏はどれも見事の一言に尽きます!

この「巨人」も実に素晴らしい。冒頭の管楽器から名手ぞろいのシカゴ交響楽団の実力を窺い知れます。さらに「さすらう若人」の旋律とともに入ってくる硬質の弦のキラキラした響き。第2楽章もそうですが、ライナー、ショルティに鍛えられた成果は至るところに感じます。それを引き出すジュリーニの手腕も見事と言って良いでしょう。

第3楽章は、音楽評論家の吉田秀和氏がこの演奏を聴いて「巨人」がベートーヴェンのパロディだと気付くことができた!と絶賛した部分です。私にはピンときませんでしたが、ただこの楽章の音の響き方は他の演奏とかなり違います。冒頭部の悠然とした歩み、そして長めの間を置いて「彼女の青い眼が」の引用旋律が現れる個所の叙情的な美しさ!他の演奏で聴くと、野卑で軽く聴こえがちですが、ジュリーニが振ると、どこかベルリオーズの「幻想交響曲」のように優雅で、かつ情景が浮かんでくるような詩情を持って響きます。

そしてフィナーレは圧巻。ここはシカゴ交響楽団の腕の見せ所と申しますか、ジュリーニの堂々たるテンポの中で壮麗な金管、瑞々しい木管のサウンドがホールを埋め尽くします。

全体を俯瞰しますと、もともと神経質で野心的なマーラーの若書きであるはずの「巨人」が、起伏の大きいまるでオペラのような音楽に再構築されており、そこに劇場指揮者ジュリーニの強かな冴えを感じました。

 

天下の名盤 DFDの「さすらう若人の歌」

続いてカップリングは定番の「さすらう若人の歌」です。ここでは何と、フルトヴェングラーと若き日のフィッシャー・ディースカウによる歴史的名盤が採用されました。

これは1952年6月、有名な「トリスタンとイゾルデ」のレコーディングの余りの時間に制作されたものです。前年のザルツブルク音楽祭の同演奏で評判となり、フルトヴェングラーは「この若者のおかげでマーラーの美しさを知った」と述べたとか。意外ですが、フルトヴェングラーは同時代人と比べてマーラーの演奏に積極的であったとされ、その巨匠がこの発言ですから、フィッシャー・ディースカウの実力は相当なものだったのでしょう。

実際聴いてみて、まず彼のドイツ語の発音が素晴らしいのが分かります。明瞭に聴きとれますし、fffで言葉が曖昧にならず、弱音でもきわめて精緻な発音が聴こえ、さすがリートの世界で一流に登り詰めた凄さを感じます。

歌いっぷりも素晴らしい。第3曲「僕の胸の中には燃える剣が」のように、まるでアルバン・ベルクの音楽ではないか、と思うくらい鋭く衝撃的な表現力が心を打ちます。対比的に第4曲「彼女の青い眼が」は本来、夢幻的な世界と孤独な暗闇との交替が聴かせどころだけに、まさにフルトヴェングラーの独壇場であるはずなのですが、ここでも主役は若者のフィッシャー・ディースカウ。自在に詩の意味と音符のつながりを再構築し、完璧に歌い上げています。

 

期待外れ?いやむしろ正統派のクレンペラー「復活」

そのフィッシャー・ディースカウを子供扱いし、自分こそがマーラーの解釈者だと構えていたオットー・クレンペラーの「復活」がこのボックスでは採用されています。

「復活」は古くから我が国でも人気があり、フィナーレの壮麗な盛り上がりから派手めな演奏が好まれてきましたが、クレンペラーのレコードはどちらかと言えば大人しめです。当時の録音のクオリティもあるかもしれませんが……。

むしろ全体的に淡々としています。ただゆっくりめのテンポなので、オーケストレーションの細かいところまでが明晰となり、ボヘミア的な美しさ、「巨人」の世界との関連性を感じ取ることができます。

私がお薦めなのは第3楽章。安寧な世界、しかしどこかアンチ・キリストの匂いがする危うさ。クレンペラーは実際にマーラーと師弟関係にあり、かつ同じユダヤ系でもありましたから、この独特な世界観は多くの指揮者があっさりとやり過ごすのですが、逆に確信に満ちた音楽を聴かせてくれます。

残念ながらフィナーレは盛り上がりに欠けますが、過度の熱狂なしにこの楽章の構成を窺い知りたい方には最高の演奏だと思います。とはいえ、やはり爆発的な熱狂を堪能したい方も多いことでしょう。そんな方には、同じ指揮者でこんなに違うのか!という名盤がありますので、お勧めしておきます。

クレンペラー指揮コンセルトヘボウ管弦楽団/伝説的アムステルダム・コンサート1947-1961

《Disc 6》1-5
マーラー 交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:ヨー・フィンセント
コントラルト:キャスリーン・フェリアー
合唱:トゥーンクンスト合唱団
管弦楽:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:オットー・クレンペラー
録音:1951年7月12日

 

クレンペラー壮年期の記録。まだ晩年のゆったりテンポではなく、ザッハリヒで速めの進行が基調です。聴きどころは終楽章で、昔ネットでは「火の玉フィナーレ」と称賛されていました。合唱がとにかく優秀で、この時は何かとトランス状態にでも陥っていたのでしょうか、感情が爆発したような演奏になっています。

一度お聴きになってみてはいかがでしょうか?

 

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