マーラー・コンプリート・エディション 05

いよいよ大物3作 EMIが誇る最高の名盤で

曲目等は以前の記事をご参照ください。

マーラー・コンプリート・エディション

テンシュテットの凄さが炸裂する「千人の交響曲」

グスタフ・マーラー

4回にわたって採り上げてきた「マーラー・コンプリート・エディション」の記事もいよいよ今回で最終回。最後を飾るにふさわしく、5回目の今回は「第8番・千人の交響曲」、「大地の歌」、「第9交響曲」の3曲を採り上げます。

ところで、このボックスを制作しているのは、歴史と伝統あるEMIレーベル(現在はワーナー)。そのブランドにふさわしく、これらの曲にはEMIが誇る天下の名盤がそれぞれ与えられました。

まず、交響曲第8番「千人の交響曲」は、クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による1986年の録音。

演奏はまさに期待通りと言いますか、テンシュテットのパワー全開。第1部「現れたまえ、創造の主、聖霊よ」の冒頭のコーラスから圧倒的で、自信に満ちた声が威風堂々とホールに響きわたり、まるで1910年のマーラー指揮による初演の興奮が目の前に蘇るかのよう。

1916年のアメリカ初演のようす。実際に参加者は1000人を超える。

しかもこの演奏の凄いところは、ただただ感情に任せるのではなく、オーケストラと合唱、オルガンの響きのバランス・コントロールが巧みで、暴力的に鳴るところがほとんどないのです。テンシュテットと言えば燃え上がるような熱気が特徴ですが、マーラーのような複雑なスコアを破綻なく捌くだけあって、細かい部分の扱いが実に精緻。イメージと異なり、非常に卓越した客観性を持った指揮者だったのでしょう。

ためしに、第1部終曲の “Gloria, Patri Domino” を聴いてみてください。独唱者とオーケストラ、合唱、児童合唱が目まぐるしく絡み合い、壮大な宇宙を形成しますが、どのパートも全く乱れません。まさにテンシュテットの面目躍如というべき指揮ぶりで、縦横無尽のソプラノ独唱とともに、大いに賞賛されるべき演奏だと思います。

ゲーテの「ファウスト第二部~最後の場~」を題材にした第2部も非常に素晴らしい!それにしても何と良い曲でしょうか。マーラーはオペラは書きませんでしたが、ここで描かれる自然の素晴らしさ、神への賛歌、贖罪、そして救済のドラマはあまりにも感動的で、歌詞を辿りながら心が打ち震えます。

そして、ここでのテンシュテットの指揮! マエストロはフィナーレに向けてグイグイ盛り上げていくものの、遅い部分ではしっかり歌いながら夢みるようなサウンドを作り上げ、マーラーの意図した音楽を忠実に再現していきます。特に下記の有名な動機が金管によって現れる時の感動!

指揮とオケだけではありません。フェリシティ・ロットやリチャード・ヴァーサルといった歌手たちの超絶的な歌唱もこの演奏の価値を一層高め、まさに「千人の交響曲」の決定盤と言うべき名演奏を成し遂げています。

 

続いては「大地の歌」。オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏です。

かつてこのディスクは、ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1952年盤とともに、「大地の歌」の天下の名盤として人気を二分していました。ワルター盤が甘美で切ないのに対して、クレンペラー盤は孤高の音楽。昔のレコード・ガイドブックを読むと、大体そのような評価でした。

しかし、私個人の意見を申しますと、クレンペラー盤も十分に甘美。逆にワルター盤は、後のバーンスタイン指揮ウィーン・フィル盤やカラヤン指揮ベルリン・フィル盤に比べると、はるかにきりっと引き締まった演奏を行っています。

こういうのは、音楽評論家の意見があまりに強力だった昭和時代の弊害でしょう。ぶっきらぼうな解釈で知られ、モーツァルトでさえドイツなまりの重量級の演奏になってしまうクレンペラーだから、漢詩をテーマにした「大地の歌」を振らせれば当然、無常感漂う枯淡の演奏になるだろう、と思い込んでしまうのは、古い音楽ファンなら仕方がないことです。

でもここでのクレンペラーは、オーケストラから零れるような華やかさと彩度を引き出しており、愚鈍から最も遠い。そもそもこの時期のフィルハーモニア管弦楽団は、クレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤン、ジュリーニといった錚々たる指揮者たちから薫陶を受けていたので、魅力いっぱいなのは当然ではあるのですが、それにしても惚れ惚れするサウンドです。

聴きどころは第3楽章「青春について」。他の指揮者とアゴーギグが異なり、詩を書いた酒豪・李白よろしく、酔って上機嫌に自然に遊ぶ姿が目に浮かぶような演奏です。ここでテノール独唱を務める不世出の名歌手、フリッツ・ヴンダーリヒの飄々とした歌いぶりも花を添えます。

フリッツ・ヴンダーリヒ

一方、メゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒも負けてはいません。この人も、大指揮者らと数十年にわたりマーラー録音を行っており、特に「大地の歌」は得意中の得意でしたが、クレンペラーのどっしりしたテンポをバックに安定した完璧な歌唱を繰り広げています。とりわけ終楽章の「告別」の冠絶した美しさは何と喩えたらよいでしょうか。この世ならざるオーケストラの響きを包み込むように、彼女の母性溢れる声が地球の永遠の生命に人間の希望を託します。素晴らしい音楽!

そして最後の「第9交響曲」。この曲には古くからこの曲最高の名盤と言われる、ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィルハーモニーによる演奏が選ばれました。

不思議なもので、ベルリン・フィルはマーラーの9番を得意とし、バルビローリ以外にもカラヤン(2種類)、バーンスタイン、アバド、ラトルと共演したディスクが、それぞれ最高の名盤の評価を受けています。特に、カラヤンとの1982年盤、バーンスタインとの一期一会の凄演は発売当時、大きな話題をさらい、かつ今日においても多くの人々から絶賛されています。

ところが、サー・ジョン・バルビローリ(1899年 – 1970年)がこの曲を振るまで、ベルリン・フィルハーモニーは決してマーラーを主要レパートリーにしていたわけではありませんでした。

意外ですが、マーラーと最も縁遠いイメージのあるフルトヴェングラーは、1920年代にマーラーをよく採り上げていた記録があります。ただし、その後は(ユダヤ人による芸術を嫌悪した)ナチス政権の圧力により、フルトヴェングラーをはじめ多くの指揮者がベルリンでのマーラー演奏を避けるようになってしまうのです。

そして戦後。このオーケストラを統率したのはカラヤンでした。このレパートリー広範な大指揮者は、なぜかマーラー演奏には慎重で、1950年代~60年代に採り上げたのは「さすらう若人の歌」と「大地の歌」のみ。器楽のみ交響曲には一切見向きしませんでした。なぜでしょうか?

その謎については様々なサイトでお詳しい方が言及しておられるのでここでは割愛するとして、カラヤンがベートーヴェンやブラームスの演奏に心血を注ぐ中、ベルリン・フィルに改めてマーラー演奏の流儀を吹き込んだのがバルビローリでした。彼は1949年にこのオーケストラと初共演していますが、それから徐々に蜜月の関係となり、1963年1月、ついに「9番」を演奏。この公演はベルリンっ子たちを熱狂させ、かつオーケストラのメンバーも感動させるほどの大成功を収めました。

サー・ジョン・バルビローリ

もうこれは語るまでもないエピソードですが、公演の感動冷めやらぬ中、楽団員全員の希望によりEMIでの「9番」のレコーディングが実現します。当時、バルビローリはEMIと、ベルリン・フィルはグラモフォンと専属契約を結んでいたので、EMIがベルリン・フィルを借りる形で録音が行われましたが、みんなの想いが成就したこともあり、それはそれは凄い演奏に仕上がりました。

第1楽章の冒頭から天上のような音楽が聴こえます。バーンスタイン盤に聴かれるような禍々しさは皆無です。それどころか、弦・菅ともにカラヤンに鍛えられた名手たちの素晴らしく洗練された音が響きわたり、至福の時間を得られます。

やがて音楽は展開部から激情が迸るように高揚しますが、バルビローリは数々のヤマ場(例えばウィンナワルツの引用や「ミソ・ラソ」の動機の様々な表情づけ、鐘の音等々)を客観的な余裕をもって、しかし蠱惑的に歌い上げ、聴き手を惹きつけて離しません。

非常に諧謔的な匂いのする第2楽章でも、バルビローリはまるで人生を謳歌するかのような愉しい雰囲気を醸し出します。それにしても後半のホルン奏者は巧いですね。他の管楽器奏者も印象的な音色で、消え入るように終わる終結部では各楽器の特長が一層際立ちます。

第3楽章は遅めの粘るテンポ。アバドやラトルの切れ味の鋭さに比べればイマイチな印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、ベルリン・フィルの重心の低い、引き摺るようなサウンドには感心します。そして、下のテーマのノスタルジックな響きに心打たれない人はいないのではないでしょうか?

最後の第4楽章は、まさにバルビローリの独壇場。出だしからルバートし、思い入れたっぷりに歌いこむ。潮のように押しては帰す、まるで「トリスタンとイゾルデ」の音楽。ホルンの立派な吹きぶりも音楽に威厳を与え、素晴らしい。こういう音楽を聴かされたのですから、当時の聴衆と楽員たちの感動も理解できます。

クライマックスを経た後、徐々に力を失ってpppへ収斂していく音楽の美しさも比類ないもの。

久しぶりに聴いてみて、圧倒的な素晴らしさに改めて言葉を失うような名演でした。

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