2015年、ベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督にロシア人の若き俊英、キリル・ペトレンコが選出され、世間をあっと言わせました。
ベルリン・フィルのシェフというのは、それだけ音楽ファンの強い関心事でもあります。
しかし、前任のラトルからペトレンコという流れは、音楽界がいかに若い才能の飛躍を求め、またベルリンという町が、保守より革新の気風に富んでいるかを暗に示しています。
※日本ではティーレマンとかバレンボイムのように、ベルリン・フィルのシェフ選考のたびにドイツ・ロマン主義の流れをくんだ「巨匠」を期待する向きがありますが。今後、ペトレンコがどのような可能性を、この伝統的なオーケストラとともに切り拓いていくか、大いに注目していきたいものです。
さて、やや古い話になりますが、1990年におけるシェフ選考も、世間の大きな注目を集めました。
その時の前任者は、クラシック音楽界に長年にわたって君臨したヘルベルト・フォン・カラヤン。
彼は前年の1989年4月、同オケの芸術監督、終身指揮者を突如辞任し、7月には急逝。
この事態を受け、当時の若い大物指揮者たちは(と言っても、今はほとんど鬼籍に入りましたが)、たったひとつしかない世界最強のポストを巡り、壮絶なアピール合戦を繰り広げ始めました。
当時の新譜リストを眺めてみても、当時の争いの激しさを窺い知ることができます。
特にベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナーの交響曲録音がひしめき合っていて、レコ芸の月評欄で有名指揮者どうしの対決になることなんか、ざらにありました。今からすれば、とても幸せな時代であったと思います。
結局。その争いに勝利したのはイタリア人のクラウディオ・アバド。
まあキャリアから言っても、カラヤン生前からかなり良いポジションに収まっていましたので予想通りの展開ではありましたが、アバドは現代音楽のスペシャリストとしての評価が高く、「ウィーン・モデルン」といった斬新な企画でも音楽ファンを唸らせていたので、ベルリンが選んだ理由の大きい部分は、アバドのこうした革新性にあったと見てもよいでしょう。
しかし、近代における指揮者とオーケストラの役割は、稼ぐということが至上命題であり、その意味では、残念ながら、現代音楽では大した稼ぎになりません。ベルリンっ子は喜んでも世界市場、特に大きな顧客である日本人が喜ぶような商品を生み出していくことが重要です。
そこで、このコンビが初めに発表したのが、ブラームスの交響曲全集でした。
彼らは、この新譜を手土産に、1992年、まんま同じ曲を引っ提げて来日したのを覚えています。
※これは、録音後に同じ曲をステージにかけるカラヤンの手法とほとんど同じですね。
ちなみに、来日公演は評論家の宇野功芳さんにはこっぴどく叩かれましたが、世間的には好評。
また、丹念に仕上げられたCDの方も、その解釈が吉田秀和先生から絶賛されています。
DISC1
・大学祝典序曲 Op.80(録音:1987年9月、フィルハーモニー、ベルリン)
・運命の女神の歌 Op.89(録音:1990年11月、フィルハーモニー、ベルリン)
・交響曲第1番ハ短調 Op.68(録音:1990年11月、フィルハーモニー、ベルリン)
DISC2
・アルト・ラプソディ Op.53(録音:1988年9月、フィルハーモニー、ベルリン)
・交響曲第2番ニ長調 Op.73(録音:1988年9月、フィルハーモニー、ベルリン)
DISC3
・悲劇的序曲 Op.81(録音:1989年9月、フィルハーモニー、ベルリン)
・運命の歌 Op.54(録音:1989年9月、フィルハーモニー、ベルリン)
・交響曲第3番へ長調 Op.90(録音:1989年9月、フィルハーモニー、ベルリン)
DISC4
・ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a(録音:1990年11月、フィルハーモニー、ベルリン)
・哀悼の歌(悲歌) Op.82(録音:1990年11月、フィルハーモニー、ベルリン)
・交響曲第4番へ長調 Op.98(録音:1991年9月、シャウシュピールハウス、ベルリン)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
マルヤーナ・リポヴシェク(アルト:Op.53)
ベルリン放送合唱団(Op.89,82)
エルンスト・ゼンフ合唱団(Op.53,54)