フルトヴェングラー ザ・グレートEMIレコーディングス(4)

オペラ指揮者 フルトヴェングラー

(BOX全体の収録内容については こちら をクリック)

※以下、ボックス中 オペラ収録部分のみ

Disc 08-Disc 09


・ベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』全曲
マルタ・メードル(ソプラノ)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(テノール)
ゴットロープ・フリック(バス)
オットー・エーデルマン(バス)
アルフレート・ペル(バリトン)
セーナ・ユリナッチ(ソプラノ)
ルドルフ・ショック(テノール)
アルウィン・ヘンドリックス(テノール)
フランツ・ビェルバッハ(バス)
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1953年10月、ウィーン、ムジークフェラインザール

Disc 16-Disc 19


・ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』全曲
イゾルデ:キルステン・フラグスタート
トリスタン:ルートヴィッヒ・ズートハウス
ブランゲーネ:ブランシュ・シーボム
マルケ王:ヨーゼフ・グラインドル
クルヴェナール:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
メロート:エドガー・エヴァンス
牧童:ルドルフ・ショック
水夫:ルドルフ・ショック
舵手:ローデリック・デイヴィーズ
合唱:コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団(合唱指揮:ダグラス・ロビンソン)
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
録音:1952年6月、ロンドン、キングズウェイ・ホール

 

フルトヴェングラーもまた、ドイツを代表するオペラ指揮者でありました。決して年中ベートーヴェンやブラームスの交響曲を振っていたわけではありません。

特にヒトラー治世下のバイロイト祝祭劇場におけるワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」は非常に有名な録音ですし、戦後は同じ作曲家の大作「ニーベルングの指環」のライブ録音も遺しています(これにはいろいろな屈折した経緯がありますが)。

長大で、ソナタ形式ではない歌劇という代物を相手にしたら、さすがのフルトヴェングラーも「落ちる」のではないか?と懸念を抱く方もいらっしゃるかもしれませんが、個人的には彼のオペラは素晴らしいと思っています。

そのうちぜひ採り上げようと思っているのですが、フルトヴェングラーの代表的なオペラ・ライブ録音ばかり集めたファン垂涎のBOXが出ています。モーツァルトの「フィガロ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」の3大オペラ、ひょっとしてはステレオでは?と騒がれた「魔弾の射手」、スカラ座での「指環」、そして先程の「マイスタージンガー」など、盛りだくさんのラインナップ。

これらの録音を聴いてみると、フルトヴェングラーのテンションが凄まじく、オーケストラを煽りに煽り、それでいて大河のようなロマン的な流れを生み出しています。非常に主観的な感想ですが、どのオペラも長大なソナタ形式のように扱われていると言ったら良いかもしれません。

一方で、EMIボックスに収録されている「フィデリオ」と「トリスタン」はと言うと、さすがに上記ライブのような荒れ狂う演奏ではありませんが、同曲異演と比べて比類のない深みに到達しています。当然、スタジオ録音なのでアンサンブルは整っており、かつ入念な作り込みが行われているので、単にフルトヴェングラーだから、という理由でなく、この2曲の代表的名盤に数えて差支えないと思います。

まず、フィデリオ。

嬉しいのは何といっても、往年の名歌手を配役に揃えているところです。

EMIとの衝突で出演が見込めなくなった大歌手、キルステン・フラグスタートに代わり、晩年のフルトヴェングラー指揮のオペラで主役級を張るようになったマルタ・メードル。戦後最強のヘルデン・テノールと称されたヴォルフガング・ヴィントガッセン。他にも、オットー・エーデルマン、アルフレート・ペル、セーナ・ユリナッチ、ルドルフ・ショックといった戦後ヨーロッパの歌劇場を代表する、錚々たる顔ぶれが脇を固めています。

また、ウィーン・フィルハーモニーのアンサンブルが惚れ惚れするような音色の美しさと、整然としたアンサンブルで聴く者を圧倒し、それは序曲のホルンの響きからドイツ・ロマン派の森に誘われるようです(古典派の音楽ですが 笑)。

フルトヴェングラーの指揮も、この極めて扱いが難しい(ベートーヴェン好みの道徳的な内容で、かつシンフォニックな)音楽から、ドラマ性を引き出しながら、過度に激情的になることなく、むしろ客観的に音楽を進めていきます。フィナーレの合唱など、バーンスタインは煽りに煽ってものすごいスピードで突進していくのに、そういうことをやりそうなフルトヴェングラーは逆にテンポをゆったり目に、じわじわと盛り上げていくのが面白いです。

「トリスタンとイゾルデ」については今さら何を言うことがありましょう?

私がこのレコードの存在を知ったのは、中学生の頃。上の吉田秀和さんの名著「世界の指揮者」のフルトヴェングラーの章で、ほとんど激賞と言って良い氏のトリスタン評に接し、「これは絶対に聴かねばならない」と思うほど衝撃を受けたのです。

それから間もなく、なんば高島屋の最上階のレコード店(1988年当時)にどっしりと鎮座するLPを見つけ、私は狂喜しました。ところが、貧乏中学生にはとても買える値段ではなく、泣く泣く諦めたのを思い出します。

その際のトラウマか、私は20代の終わり頃までこの全曲盤を手にすることがありませんでした。ところが、驚異的なCDデフレが2000年以降に起こり、1000円台の廉価盤を見つけた際は、即座に購入。今までの反動か、何度も何度も聴きました。

不気味な炎のように明滅する「憧憬の動機」がドラマの要所要所に現れ、2人の愛の喜びを描く場面ではものすごい爆発力で音楽は燃え上がり、そうかと思えばコール・アングレがこの世のものではない、彼岸のような世界に通ずる音楽を奏でる…。とにかく、尋常ではないドラマが目の前で大きな渦を巻きながら展開していく、本当にすごい演奏と思いました。

長すぎて全曲は聴けないよ、という方は、ぜひこのディスク最大の聴きどころである第3幕の前奏曲をお聴きください。

こういう音楽を振らせて、フルトヴェングラーの右に出る者はいないでしょう。カタストロフィのような冒頭部から、不安定な心理的効果を与えるコール・アングレの長大なソロまで、聴き手は金縛りにあったように音楽に惹きつけられてしまいます。

そんな前奏曲に続き第3幕は、不世出のソプラノ、キルステン・フラグスタートの絶唱「愛の死」が聴けるわけですが、お叱りを承知で言えば、フラグスタートのイゾルデはアイルランドの可憐な公女を演じるには、やや貫禄がありすぎるように感じます。これがオペラ・ガラ・コンサートなら全然気にならないのですが、オペラの長丁場では少し気になります。

ただ、それでも「愛の死」は絶唱で、最後のhöchste Lust! のルバートは、圧倒的な印象を残します。「死」を無上のよろこびとする、危うい、しかしこの長大な物語の最高の解決がここで窮まります。

ところで、このディスクについてよく語られるエピソードで、盛りを過ぎたフラグスタートの声を補うために、当時気鋭のソプラノ歌手、シュヴァルツコップの別テイクを貼り付けて修正した、そしてそれが公にされ、激怒したフラグスタートが2度とEMIとは仕事をしないと絶縁宣言を突き付けたという話がありますが、裏を返せば、それくらいプライドの高い歌手の意地と、制作側の意気込みが衝突した、そしてそれを稀有の大指揮者・フルトヴェングラーが巨大な音楽性で包み込んだ、本当にいのちが吹き込きまれた録音と言えます。このエピソードの真相のようなものは、下記の著作に詳しく書かれており、他の興味深い記事もあわせて、一読をお勧めします。

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