カルロス・クライバー DG録音全集(2)

クライバーの面目躍如、暗く激しいロマン派の交響曲

天才指揮者、カルロス・クライバーのグラモフォン録音を集めたボックスについての寄稿2回目。

今回は3枚目のシューベルトの交響曲録音について書かせて頂きます。

クライバーはご存じのとおり、大変レパートリーの狭い指揮者で、自分が信頼する曲に限って、何度も何度も繰り返し振っていました。

例えば、ハイドンでは「驚愕シンフォニー」。ベートーヴェンなら「4番」と「7番」の交響曲。ブラームスは「2番」と「4番」の交響曲。オペラではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、R・シュトラウスの「ばらの騎士」等々。

面白かったのは、モーツァルトで頻繁に採り上げていたのが「33番」と「36番リンツ」であったこと。音楽ファンはおそらく彼に、「ト短調」や「ジュピター」を振ってほしかったでしょうが、彼は頑ななまでにこの2曲に固執しました。

シューベルトもそうです。「未完成」をレコーディングしてくれたのは幸いでしたが、次の1曲は当然「グレイト」であってほしかった。しかし、カルロスが選んだのは初期の佳曲「3番」。全集を作る過程ならともかく、メジャーレーベルと契約している指揮者が、天下のウィーン・フィルを率いて、「3番」で勝負するというのは大きな衝撃を与えました。

しかし、さすがカルロス・クライバー。その出来栄えは我々の想像をはるかに超えて素晴らしいものでした。

この曲は、シューベルトが交響曲作曲家としてハイドンやモーツァルトの影響から脱し、自分のスタイルを打ち出した最初の曲と言われています。そして、若き天才に個性の確立を厳しく指導したのは、何とあのサリエリ!

最近、オンラインゲームの影響で人気がうなぎのぼりのサリエリですが、私ども40代以上には映画「アマデウス」のせいで、大悪人のイメージが染みついてしまっています。

しかし、彼は有能な教育者で、シューベルトの才能を見出し、個性を伸ばしながらじっくり育てました。そしてシューベルトは、師の期待に応え、彼の個性を十分に主張した交響曲を書き上げたのです。それがこの3番。

ここでのクライバーは、3番を若書きの佳曲ではなく、最後の9番につながる大交響曲としてスケール豊かに表現しています。

憂いに満ちた弦楽器の音色、夢幻的な木管楽器の掛け合いは、さすがウィーン・フィルというべき魅力に満ちており、クライバーの快速テンポと滑るように滑らかなアーティキュレーションとあいまって、この曲の充実した完成度を提示してくれます。転調の表現もお見事。

続いて、カップリングの「未完成」は、クライバーの数ある名盤の中でも最高の出来栄えと言って良いかもしれません。

あまりに凄すぎて、夢見心地の3番に比べると、ややしんどくもあります。それくらい、激しく、情念の塊のような演奏。

冒頭、地の底から聞こえる轟音のように弦がうごめきます。そして間髪おかず、ヴァイオリンが16分音符を刻み始めるのですが、このテンポがすこぶる速く、リズムも微妙に揺れています。

さらに第2主題に切り替える直前のホルンの1拍目をやや長くとり、有名な第2主題をより効果的に際立たせる手腕はお見事!

その後もウィーン・フィルの美しい響きをこれでもかと聴かせつつ、例えば第1主題の再現で繰り返しのたびにスピードを上げるなど、随所にクライバーらしい緻密な仕掛けを施しています。

そして第1楽章のラスト。このディスクについて語られる時、必ず触れられる箇所なのですが、旧スコアは下図のとおり、デクレシェンドで処理するよう指示しています。

ところが、クライバーはここをアクセント(>)で処理しているのです。

最近の研究や、新しく出たベーレンライター版ではクライバーと同じ(>)説をとっていて、これはシューベルトの悪筆を根拠とするものですが、確かに印象は変わります。

ただし、私はムラヴィンスキーのような、闇の世界に沈潜していくようなデクレシェンドの方が好きかな。ここは人の好みそれぞれかと思います。

第2楽章も素晴らしい。

以前私はフルトヴェングラーの「未完成」のことを書いた時、シューリヒト指揮ウィーン・フィルのディスクを引き合いに出して絶賛しましたが、同じオーケストラでありながら、技術力の進歩には目を見張るものがあります。

ただし、シューリヒト時代のウィーン・フィルが醸し出す独特のロマンティックな雰囲気を期待すると裏切られます。あの演奏はあまりにも特殊、見てはいけない世界のような、危うい美しさが漂っていました。

ここでのクライバーは、基本速いテンポで、あざとい処理もせずに淡々と進めていきます。しかし、何もしていないようでデュナーミクの扱いが常人の及ばない領域に達していて、もうすごいとしか言いようがない。

主旋律よりも、第1主題と第2主題が入れ替わる直前の楽器の歌わせ方やテンポルバートのかけ方が絶妙で、それによって主旋律のダイナミクスがより効果的に聴こえてきます。もともとこの楽章は調が目まぐるしく、しかも不安定に推移しますから、やり切ったウィーン・フィルはさすが。

ブルーノ・ワルターやカラヤンの演奏に比べると、あまりに苛烈で深刻なので、何度も聴くのは疲れますが、シューベルト演奏の代表的なものとして後世に伝わっていくことでしょう。

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