日本人に愛された等身大の名指揮者
2020年はチェコの名指揮者、ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann 1920年9月29日-1995年9月2日)の生誕100年の年にあたります。筆者にとってマエストロ・ノイマンは、子供時代から青年時代に頻繁にテレビで見かけ、またCDもリアルタイムで購入していたので、生きていたら100歳だった、というのは意外な感じもします。
ところで、ノイマンの他のチェコの指揮者と言えば、まずラファエル・クーベリックがいて、若干マイナーながらヴァーツラフ・ターリヒ、カレル・アンチェル、ヴァーツラフ・スメターチェク、イルジー・ビエロフラーヴェクといったように、魅力的な顔ぶれがズラリと並びます。
特徴的なのは、お隣ハンガリー出身の指揮者が、アルトゥール・ニキシュ、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、フリッツ・ライナー、イシュトヴァン・ケルテス、フェレンツ・フリッチャイ、アンタル・ドラティ、ゲオルク・ショルティといったように、比較的若い頃から西欧の音楽都市やアメリカに拠点を構え、国際的な活躍をしたのに対し、彼らはあくまでチェコを本拠地と考え、活躍していたところです。
ただし、アンチェルやクーベリックのように、政治的迫害や対立により、チェコを去らねばならなかったケースもあります。それでも、普通なら自分を追った国には二度と帰らない決意をする人もいる(カザルスとか)中、晩年に民主化したチェコに電撃復帰したクーベリックの行動には、チェコ人の身体に流れる強い愛国心を感じずにはいられません。
これについては、以前当ブログにも書かせて頂きました。
本日ご紹介するノイマンも、彼の人生そのものがまさにチェコ音楽とともにあったと言って差し支えない人です。
若き日のノイマンは、プラハ音楽院でヴィオラを学びました。1945年にチェコ・フィルに入団しますが、同時に音楽院の仲間と弦楽四重奏団を結成しています。それが、わが国で大変な人気を博したスメタナ四重奏団と言いますから、ノイマンが奏者としてもいかに有能であったか分かります。
ただし、彼はソリストではなく、指揮者になりたいという野望を持っていました。そして、そんな彼に指揮の手ほどきをしたのは、チェコ楽壇を代表する大物、ヴァーツラフ・ターリヒであったのです。
後にノイマンが聴かせてくれた、あの手作りの温かさ、素朴さに満ち溢れた音楽づくりは、まさにターリヒ直伝のものと言えるでしょう。イロハを学んだ彼は、1948年にチェコ・フィルの常任指揮者に就任。そして拠点を東ドイツに移すと、名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督として、大活躍をします。この時代に遺したブルックナーとマーラーの交響曲録音は、再発掘された時に素晴らしい名盤として大絶賛されました。
しかし、ここで事件が起きます。ノイマンが東ドイツに行く際、チェコ・フィルのポストを譲っていたカレル・アンチェルが「チェコ事件(ソ連の軍事介入)」のあおりでアメリカに亡命してしまったのです。
チェコ・フィルは急遽、ノイマンを召喚。彼も、ソ連の介入に同調する東ドイツ政府と激しく対立していたところだったので、ライプツィヒのポストを辞し、チェコに戻ります。
すると、ノイマンとチェコ・フィルは抜群の相性で早々に蜜月時代を迎え、以後何と22年間の長きにわたり、首席指揮者とその手兵の関係が継続するに至るのでした。ノイマンはチェコ国民からも大変尊敬され、同国のオンドジェヨフ天文台で発見された小惑星にヴァーツラフ・ノイマンの名前が与えられたほどです。
ちなみにわが国では、先程のスメタナ弦楽四重奏団もそうですが、スプラフォン・レーベルがチェコの音楽家たちと積極的なレコーディング活動を行っていたため、中でも看板ブランドとしてノイマン&チェコ・フィルは大変な人気を博しました。大袈裟ではなく、商業誌ではカラヤン&ベルリン・フィルと同格のような扱いを受けていた時期もあるほどです。
特に、ドヴォルザークの交響曲やスメタナの「わが祖国」の新譜が出る時などは、発売前から決定盤の扱いを受けるほどでした。これは当時のレコード芸術を読んでいる方ならば、分かる感覚だと思います。
ドヴォルザークの「新世界」は、本当にチェコの音楽家にしかできない音楽に聴こえます。オーケストラの音がとても柔らかくて、激しいフォルテでも突き刺さるような音にはならない。ドイツ系の指揮者にありがちなスローテンポ、激しいアッチェレランドなどは行わずに、本当に悠然と演奏します。
上の第1楽章第3主題。フルートで始まる有名なメロディですが、続くヴァイオリンの滴るような呼応が本当に美しく、さらにトゥッティ後の再度ヴァイオリン、ピッコロの響きなどは、まるでこの世のものでないように聴こえます。
そして「家路」として知られる第2楽章ラルゴ。
イングリッシュ・ホルンの素朴な響きにも恍惚としますが、楽譜を見ながらこの演奏を聴くと、本当に「上手いな~」と思います。次のフレーズへの移行がすごく滑らかで、かつ同じ音型でも1度目と2度目で微妙に長さが違ったりする。でも、恣意的に伸ばしたりは決してしていない。楽譜全体を見ながらこの演奏を聴けば、本当にこういう感心の繰り返しになると思います。
ところで3楽章には私が大好きなフレーズがあります。
トリオ第1主題。農夫の上機嫌な歌のようなふし。ここは短いながらすごい聴かせどころで、あれだけ冷たいと言われたジョージ・セルでさえ、万感の想いを込めて演奏していたほどです。しかるにノイマンとチェコ・フィルはといえば期待に違わず、特にフルートはじめ木管が震えるほど美しい、さすがの出来になっています。
そして続くトリオ第2主題。私はそこに入る直前の経過句を聴いてびっくりしました。まるでマーラーの「第9交響曲」のように各楽器の動きの妙が聴こえて来るのです。こんな演奏は他ではあまり耳にしたことがありません。さらに、主題が入ってきても伴奏部の弦の動きが強調され、まさにこの交響曲の近代音楽を先取るような先進的技巧が明らかにされるなど、改めて指揮者もオケもこの曲のことをよく知り尽くしているな、と感心しました。
最後は第4楽章。冒頭がいのちと言って良いような音楽で、トランペットがへぼだと心からがっかりするのですが、さすがチェコ・フィル。輝かしいばかりの響きで期待以上です。そしてクライマックス、ホルンに呼応して弦が主題を高らかに歌い上げるところはティンパニも強烈で、最後は音楽が青空に消え入るように終わります。ほんとうに素晴らしい演奏!
ちなみにノイマンには、1993年 初演百年記念コンサート・ライヴというさらに円熟した演奏もあります。基本線は同じですが、オーケストラがより叙情的に響く箇所もあり、ぜひ両方聴いて頂きたいところです。
これまで見てきたとおり、ノイマンの演奏は彼が慕った兄貴分のクーベリックのような熱さには欠けますが、精妙な仕上げと感情のコントロールが行き届いた、しかし愛国心に満ちた清涼な音楽は唯一無二のもので、ブログを書きながら改めてその存在の偉大さに気付かされたところです。
あと、今回は触れられませんでしたが、彼が晩年に遺したマーラーの「第9交響曲」の独特な虚無感、達観した音楽は、レコーディングがとらえた奇跡と言ってもよく、ぜひ多くの方に聴いて頂きたいと思います。