5月の試聴室 ハンス・クナッパーツブッシュ

クナッパーツブッシュは本当にすごいのか?

今月の試聴室は、20世紀の巨人指揮者、ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch 1888年3月12日-1965年10月25日)について書いてみたいと思います。

クナ(クナッパーツブッシュの愛称)については、吉田秀和さんの「世界の指揮者」で知り、宇野功芳さんの「名演奏のクラシック」で強い興味を抱きました。

吉田さんの本を読んだ段階では、フルトヴェングラーに匹敵することを匂わせる記述や「パルジファル」についての賛辞が連なっていたので、彼はきっとドイツの偉い指揮者なんだなという印象でしたが、宇野さんの本を読んで以来、規格外のスケールの演奏、そしてキャラクターが特徴のトンデモ指揮者という刷り込みが出来あがってしまいました。

たしかに、彼について書かれた書物などを読むと、豪快なエピソード目白押しです。ちょっとネットで彼のことを検索してみれば、笑ってしまうような記事にたくさん出会います。

あと、クナは大変な録音嫌いであったため、正規録音が少ない指揮者です。まあ、ステレオ録音に間に合っただけでも後世の私たちにとっては幸運でありましたが、フルトヴェングラーやワルターに比べるとあまりにセッション録りが少ない。

代わりに、これまでヨーロッパで行われた彼の膨大な公演記録が怪しげなルートで発売されてきました。特に、私が中高生であった1980~90年代には、レコード芸術の広告欄にクナのライブ録音が繰り返し掲載され、オーソライズではないものの、かなりの枚数が売れたと聞いています。

しかも、きわめて劣悪な音質の中から、あり得ないほどデフォルメされた巨大な音楽が響きわたることがマニアの間で絶大な支持を集め、フルトヴェングラーやカラヤンなんて比較にならないという言説もまかり通るようになりました。それを後押ししていたのが、先述の宇野功芳さんだったわけです。

宇野さんの扇動的なPRのおかげで、ハイドンの「驚愕」、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ベートーヴェンの「第8交響曲」、ブラームスの「交響曲第3番」などは、いわゆる名盤ガイドには載らないものの、これらの曲の代表的名盤として知られるようになりました。オーソライズ盤のワーグナーの「ワルキューレ第1幕」と「パルジファル」、ブルックナーの「交響曲第8番」「ウィーンの休日」などはなおさらです。

しかし、今もってクナッパーツブッシュの録音を聴いてみると、必ずしも素晴らしい演奏ばかりとは言えない。もの凄いスケールに圧倒されることは事実ですが、フルトヴェングラーやワルターのレコードを聴いた時の、あの情感的な表現に魂が震えるような感動が伝わってこない。あくまで個人的な意見ですが、そんな感じがするのです。

ブルックナーの「第8」であれば、チェリビダッケのあの弛緩の一歩手前のテンポで精巧に組み立てられた細部の表現、間の恐ろしさの方が数段素晴らしいですし、「第4」、「第5」も版の問題(シャルク版)はあるにせよ、聴いていて面白くない。「トリスタンとイゾルデ」も1950年盤が最近発掘されましたが、フルトヴェングラーやクライバーの奔流のような演奏に比べれば、普通。

しかし、一方で「トリスタン」については非常に手堅いという印象を受けました。要所を締めつつ、長丁場で歌手たちがへばらないように、そしてオーケストラ主導の交響詩のような演奏にならないように、いかにも劇場指揮者らしく睨みの利いたまとめ方になっています。そう、これは商業録音ではなく、ヨーロッパの劇場公演の日常を収めたものなのです。

クナの手堅さは、カイルベルトやホルスト・シュタイン、ペーター・シュナイダーらにも引き継がれているドイツの伝統的な劇場指揮者のスタイルの嚆矢と言ってよいかもしれません。クナの凄さはそこにあるのであって、日本人に刷り込まれた「バケモノ指揮者」は、彼のあくまで一面的な余興の部分が大袈裟にクローズアップされただけと言えるのではないでしょうか。

クナッパーツブッシュについては最近、ターラやアウディーテなどから優れたBOXが発売されているので、また折に触れて書いていきたいと思いますが、今日はかつての評論家さんの評価を一切無視して、私の好きなレコードについていくつかご紹介したいと思います。

ブルックナー 交響曲第3番 クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(タワーレコード・オンラインに移動します)

ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワーグナー」(1890年改訂版)
指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1954年4月1~3日、ウィーン、ムジークフェラインザール(Decca原盤)

クナッパーツブッシュは、エディション(版)の問題が多いブルックナーの交響曲演奏において、悪評高い弟子のシャルク版を好んで用いました。理由は分かりませんが、ハース版やノヴァーク版を勝手な校訂と見做し、弟子のちょっかいはあるとは言え、より初版に近いシャルクやレーヴェのエディションを尊重したのではないでしょうか。

まあ、そうした議論はともかく、ここでは演奏があまりに素晴らしい。フルトヴェングラーやワルターの演奏と同じく、胸を切なくさせるような美しさに満ちています。それには、当時のウィーン・フィルハーモニーの黄金のサウンドも寄与しているのでしょう。神秘的で透明な肌触りの弦、震えるほど瑞々しい木管、柔らかく溶け込むような金管。一度聴いたら忘れられないほどピュアな音響です。

クナッパーツブッシュの指揮も変にテンポを煽り立てるわけでなく、ごくごくオーソドックスに音楽を進めていきます。初期のブルックナーの音楽の素朴さ、自然の音の模倣、和声の扱いを慎重に誠実に取り扱い、最後は壮大なスケールで締め括ります。音質はモノラルですが、弱音の美しさ、ホールに消えゆく残響のとらえ方、楽器の瑞々しさ、どれもが最高です。

ブラームス:悲劇的序曲op.81
指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
管弦楽:シュトゥットガルト放送交響楽団
1963年11月15日、シュトゥットガルト(ライヴ)

クナッパーツブッシュの豪快なスケールを楽しめる演奏です。それにしても、細部の彫琢な見事なこと!クナはテンポを緩めつつも、細かい音の動き、強弱に対して細心の注意を払い、着実な足取りで進めます。不思議なのは、とりわけあざとい表現があるわけでもないのに、聴かせどころの山あり谷あり、非常にドラマティックな演奏に仕上がっていることです。入手困難盤ですが、劇場で鍛えたマエストロの指揮の秘術を知るには絶好の一枚と言えるでしょう。

1.リヒャルト・シュトラウス:交響詩『死と変容』
録音:1958年11月9日、ムジークフェライン大ホール(ライヴ)

2.リヒャルト・シュトラウス:『アルプス交響曲』
録音:1952年4月20日、ムジークフェライン大ホール(ライヴ)

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ

1950年代のウィーン・フィル黄金期の公演の様子を収めたCDです。1952年と言えば、フルトヴェングラーやクレンペラー、エーリヒ・クライバー、クレメンス・クラウスといった名だたる巨匠たちが入れ代わり立ち代わりこのオケを振っていた時代。ベームやカラヤンなんて、まだ中堅どころです。そんな時代のライヴを聴けるなんて奇跡ではないでしょうか。

まずは音質が素晴らしい。この音源のリマスターを行ったのは、悪名高きオトマール・アイヒンガーとゴットフリート・クラウスのはずですが、いつもの極端なイコライズは見られず、ごくごく自然な音響です。そう、フルトヴェングラーが晩年にEMIに行ったベートーヴェン録音の音質を想像されるとよいと思います。楽器の音に艶があり、ホールトーンも十分感じられます。

そして肝心の演奏は非の打ちどころなし。低音の迫力がものすごく、壮麗な金管とともにまるでワーグナーの楽劇のような音楽を奏でています。Stille vor dem Sturm のもの凄いエネルギーの放射、日没から終曲・夜に至る郷愁と深い沈潜はクナッパーツブッシュの卓越した表現力をまざまざと見せつける個所です。

以上、3点。他にも1951年、バイロイト祝祭劇場での「神々の黄昏」の公演記録、有名な1962年の「パルジファル」実況録音など、ご紹介したいところですが、これらはボックスの回でじっくりお話ししたいと思います。

 

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