伝説のフォーレ弾き ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン

フランス・レコード黄金期に咲いた一輪の花

あくまで個人的な意見ですが、ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré 1845年5月12日-1924年11月4日)と言いますと、セザール・フランク(César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck 1822年12月10日-1890年11月8日)と並んで、クラシック音楽家の中でもとりわけ地味な印象を与えます。

代表作「レクイエム」や小品の「パヴァーヌ」こそ有名ですが、ほぼ同時代を生きたドヴォルザークやグリーグ、マーラーらに比べると、口ずさみたくなるようなメロディ、沸き立つような熱狂で聴き手を魅了するタイプではない。

彼の音楽はいつも静謐で優し気。まるで秋涼の月夜の晩にひっそり姿を現す花のよう。そしてどこか気難しい。

例えば、そんなフォーレのピアノ曲だけでプログラムを組むアーティストがいたとしたら、私はすごい勇気だなと拍手を送るかもしれません。

とは言え、かつてレコードの世界においては、この究極の渋さを持つフォーレのピアノ曲や室内楽曲のLPが、ファンの間で非常に珍重されていた時代がありました。

フランスのデュクレテ・トムソンというレーベルをご存知でしょうか?フランスのアーティストによるフランス音楽の名盤を、当時としては画期的に素晴らしい録音技術で生み出していったレーベルです。

カラヤンやホロヴィッツみたいなメジャーなアーティストこそいませんが、アンゲルブレシュト、リリー・クラウス、ドヴィ・エルリといった往年の(渋い!)名演奏家らによる演奏を収めた珠玉のレコードは、まさに「蒐集」の面白さを極限まで感じさせる逸品でした。今日でも、当時のレコードはオークション市場で大変な高値で取引されています。

そんなデュクレテ・トムソンでよく採り上げられていたのがフォーレのピアノ曲や室内楽。

弾いていたのは、ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン(Germaine Thyssens-Valentin 1902年7月27日-1987年7月7日)という女流ピアニストで、結婚後、27年間も演奏活動を退いていたという、異色の経歴の持ち主です。

彼女は生粋のフランス人ではなく、オランダのマーストリヒト生まれ。お父さんはオランダ人で、お母さんがフランス人です。しかし、不幸なことに彼女が5歳の時に父親は亡くなってしまいました。

失意の彼女でしたが、そんな時に出会ったのがピアノ。ジャルメーヌの母親は娘にピアノのレッスンを施し、期待に応えた彼女はめきめき実力を伸ばし、何と8歳にしてモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を弾いてデビューします。

その後、彼女はベルギーのリエージュ王立音楽院でピアノやチェンバロなどをしっかり学び、1914年にパリ音楽院に入学(当時の音楽院の院長はフォーレ!)。院では、名教師・イシドール・フィリップや大ピアニスト、マルグリット・ロンに師事し、17歳の時、ピアノと音楽史で一等賞を獲得したのを置き土産に、華々しく卒業します。

師の一人、マルグリット・ロンの切手

これでいよいよ彼女が輝かしい大ピアニストとしての人生を歩み出すと誰もが思っていたところですが、22歳の時、ポール・ヴァランタンと結婚。出産と同時に、一切の音楽活動を中止し、育児に専念するようになります。

さらにそこからが長かった。彼女の復帰は何と1951年、48歳の時。27年のブランクは、ホロヴィッツの12年の倍、グールドの18年をはるかに上回ります。その間、彼女は5人の子宝に恵まれ、妻として母としての役割をしっかりと果しています。

そして、ステージに再登場した彼女は、自身の姓と夫の姓をハイフンで繋いでジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンと名乗り、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏しました。そう、彼女のデビュー曲です。よほどこの曲に思い入れがあったんでしょうね。

復帰演奏が大変な評判となり、ザルツブルク音楽祭にも出演する誉を得た彼女は、以後積極的なレコーディング活動に乗り出しますが、レパートリーの大半がフォーレ。以前ご紹介した名エンジニア、アンドレ・シャルランにも声をかけられ、彼のレーベルとデュクレテ・トムソンから偉大な録音の数々が誕生していきます。

アンゲルブレシュト ドビュッシー名演集

「夜想曲」。一聴してすごくデリケートな音楽、演奏ですよね。一言で言うと夢幻的。秋の木漏れ日と弱まった暖かさを感じるような雰囲気に満ちています。しかし、決してムード的に流れることはなく、彼女は音楽の確固たる展開(三部形式)を打ち出しています。しかも、ここぞという時の打鍵は男顔負けに強烈なのも非常に印象的です。

「バルカローレ」は本当に磨き抜かれた音響美の世界。高音がキラキラと零れ落ちるようで、テンポの緩急、デュナーミクの変化がまさにかくあるべきという絶妙さで聴こえてきます。

「前奏曲集」は晦渋と評されることも多いですが、彼女の描きだす世界はメルヒェンティックですらあります。ジャルメーヌがアルフレッド・コルトーや師・マルグリット・ロンと同じパリの空気を吸い、かつ勤勉であったことを物語るような、得も言われぬ気品と幻想的な妖しさを持ったピアノの音色、そして卓越した技術です。

室内楽の素晴らしさはさらに筆舌に尽くしがたい。フランス国立放送管弦楽団四重奏団をパートナーに、彼女はフォーレの和声の美しさ、流動感、感興を余すところなく再現しています。ピアノ五重奏曲第1番の第3楽章なんて、とろけるようなユニゾンの響きと生命感の奔流に聴き手が呑み込まれそうです。

フォーレなんて分からないよ、という方にこそぜひ聴いてもらいたい、お休みをステイホームでのんびり充実して過ごして頂くにはぴったりのBOXと言えましょう。

Disc 01
フォーレ
夜想曲集
録音:1956年1月13,18-19日&2月13日

Disc 02
フォーレ
バルカローレ集
録音:1956年5月25&28-29日
組曲「ドリー」Op. 56
ピアノ:アンリエット・ピュイグ=ロジェ
録音:1960年代

Disc 03
フランク
前奏曲, コーラルとフーガ M. 21
前奏曲, アリアと終曲 ホ長調
録音:1954年

ドビュッシー
白と黒で L. 134
英雄の子守歌
マズルカ
録音:1956年6月29-30日

Disc 04
モーツァルト
ピアノ協奏曲第23番 イ長調 KV 488
管弦楽:カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
指揮:ベルンハルト・パウムガルトナー
録音:1953年

フォーレ
主題と変奏 嬰ハ短調 Op. 73
録音:1955年4月19日
ピアノ四重奏曲第1番 ハ短調 Op. 15
ヴァイオリン:ジャック・デュモン
ヴィオラ:マルク・シャルル
チェロ:ロベール・ザール
録音:1960年代

Disc 05
フォーレ
3つの無言歌 Op. 17
マズルカ Op. 32
録音:1958年
9つの前奏曲 Op. 103
録音:1960年代
8 つの小品 Op. 84
録音:1959年7&9月
ピアノとチェロのためのアンダンテ Op.75
ピアノとチェロのための子守歌 Op.16
チェロ:ロベール・ザール
録音:1960年代

Disc 06
フォーレ
ピアノ五重奏曲第1番 ニ短調 Op. 89
ピアノ五重奏曲第2番 ハ短調 Op. 115
ORTF四重奏団(フランス国立放送管弦楽団四重奏団)
第1ヴァイオリン:ジャック・デュモン
第2ヴァイオリン:ルイ・ペルルミュテール
ヴィオラ:マルク・シャルル
チェロ:ロベール・ザール
録音:1960年代

Disc 07
フォーレ
4つのワルツ・カプリス
6つの即興曲
録音:1959年7&9月
ピアノとチェロのためのエレジー Op.24
チェロ:ロベール・ザール
録音:1960年代

以上、ピアノ:ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA