ドイツ正統派の巨匠と異端の息子
ゼルキンと言うピアニストは二人います。
ひとりは20世紀全般にかけて活躍した巨匠、ルドルフ・ゼルキン(1903年3月28日 – 1991年5月8日)。もうひとりは、20世紀後半、前衛的な若手アーティストの旗手として鳴らしたピーター・ゼルキン(1947年7月24日 – 2020年2月1日)。言うまでもなく、ふたりは親子です。
ちなみに、ピーターの母方の祖父(ルドルフの義父)は、20世紀最高のヴァイオリニストの一人、アドルフ・ブッシュ(1891年8月8日 – 1952年6月9日)。そしてアドルフの兄は20世紀を代表する指揮者、フリッツ・ブッシュ(1890年3月13日 – 1951年9月14日)。アドルフの弟は、共にブッシュ弦楽四重奏団を組織して栄華を極めたチェリスト、ヘルマン・ブッシュ (1897年6月24日 – 1975年6月3日)。
ピーターは、そんなもの凄い音楽家の血筋に生まれてしまいました。そのプレッシャーはいかばかりだったでしょう。
名指揮者カルロス・クライバーが自力でスーパースターに登りつめたにもかかわらず、偉大なる父、エーリヒ・クライバーの影に終生怯え続けたことから考えても、家系の重圧は周囲の想像以上だったと思われます。
しかも、ピーターはミドルネームに祖父と同じ「アドルフ」と付けられ、師匠にアルトゥール・シュナーベルの息子、カール・ウルリッヒ・シュナーベル、そしてホルショフスキと言ったビッグネームをあてがわれ、果てはクリーヴランド管弦楽団やフィラデルフィア管弦楽団と20歳そこそこで共演しなければならず…。まあ、それらを難なくこなした彼も凄いですが……。
ただやはりというべきか、ピーターはプレッシャーから心を壊し、一時音楽界からドロップアウトしています。
彼はメキシコの田舎に引き籠もり、家族とともに音楽から離れた生活を過ごしたと言います。ところが、平穏な日常のさなか、偶然ラジオから流れてきたバッハの音楽を聴いて彼の心はハッとゆり動き、再び音楽に向かい合うことを決心します。
そしてアメリカに戻ったピーターは、父親とはまるで異なるレパートリーを引っ提げて登場し、聴衆を驚かせました。彼が取り組んだのはバリバリの現代音楽。ヒッピー風の風貌にカジュアルなファッションに身を包み、自分と心を一にする仲間たちと「タッシ」というアンサンブルを結成し、衝撃的なメシアンの演奏を世に問うたのです。
メシアンは、ピーターにとってライフワークというべき作曲家で、卓越したテクニックもさることながら、東洋思想への深い造詣も作曲者と共有し、メシアンの中にある愛や神のとらえ方、自然の素朴さへのまなざし、時間の観念などをことごとく理解し、演奏の中で表現していました。
テクニシャンが山のようにいる現代においても、ピーターの演奏の凄絶さは圧倒的です。メシアンの音楽特有の東洋的な激しいリズム、透き通ったピュアな音色の輝きをここまで完璧に表現しているピアニストはそうそういるものではありません。生で聴く機会があれば聴いておきたかったなあ、と悔やまれます。
さて、そんなピーターも50代以降、再度己の音楽に対する姿勢を変化させます。まず見た目が堅実な弁護士のように変化し、レパートリーも父親が得意だったバッハやベートーヴェンにシフトするようになります。
グラーフ製フォルテピアノを使ってみたり、ものすごい快速テンポで弾きまくるなど、さすが暴れん坊だなとニヤリとしてしまいますが、音の響きに対する配慮はすこぶる神経質です。時にキラキラとした光が舞い降りてくるような美音が力強い低音と対比的に現れるところなど、聴いていてぞくっとしてしまいます。
しかし、グールドのように意図して奇態な解釈で通すわけではなく、あくまで楽譜上のベートーヴェンのメッセージを真摯に再現しようという意志に貫かれており、安心して聴いていられる演奏と言えます。
それにしても、サラブレットの継承⇒失意⇒自己の再発見という過程を経て、父親に逆行するジャンルで己を磨き、いろいろな経験を経て、結果的にドイツ音楽をより高い境地から表現することに到達したのは、まさにドイツ語で言うところの「アウフヘーベン」です。壮絶な人生であっても涼しい顔で己のやりたいように乗り切り、人並み外れた努力でアウフヘーベンを実現したピーター・ゼルキンには、まこと賞賛の言葉しかありません。
ただ残念なことに、ピーターは2020年の2月に72歳で亡くなってしまいました。奇しくも、ソニーから彼の生涯にわたる録音BOXが発売される直前だったのに、です。
すでに死の床にあった彼は、このBOXが企画されることを知り、当初、自分の気に入らない演奏は外してほしいと要望していたそうです。しかし、それら不肖の録音たちを聴き直してその考えは改め、また担当者の熱心な仕事ぶりに対する謝意から、一転、コメントの執筆さえ了承していました。結局、それは叶いませんでしたが、彼の人柄の良さを感じるエピソードです。
わが国では、ピーター・ゼルキンのことはなぜか多くの評論家に「黙殺」されていますが、せめてこのBOX発売を機に再評価の機運が高まれば、と期待しています。
最後にちょっと、ピーターの父親、ルドルフについて。
ルドルフはご存知のとおり、ドイツのいわゆる正統派ピアニストの系譜(何を持って正統派とするかは議論のあるところですが)に属し、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスをひたすら真面目に弾き続けました。こと晩年には達観したようなベートーヴェンを演奏し、音楽ファンを唸らせたのは記憶に新しいところです。
今聴けば、テクニックに凄みがあるわけではなく、むしろミスタッチが多い。おいおい大丈夫か、と思う箇所も散見されるほどです。しかし、時折聴かれる美しい響きには思わずハッとしますし、基本的なテンポはどっしりしている。32番のピアノソナタのラストの部分なんて、点描的な弾き方をする人も多いのに、彼はきっちり終結の形を作ります。しかも、その音色の美しさときたら!ホロヴィッツのトロイメライのように、何と夢幻的に響くこと!
ルドルフ・ゼルキンのBOXは、壮年期の膨大な記録を収めたものが息子ピーターの解説付きでソニーから出ていますが、私のお薦めは、上の演奏を含む晩年のドイツ・グラモフォンでの録音集成の方です。アバドと制作した神品のようなモーツァルトの協奏曲録音、そして偉大なベートーヴェン演奏が本当に涙が出るほど素晴らしい。
ただ余裕がある方は、気力技術共に充実した壮年期のソニーのBOXも聴いてほしいですね。吉田秀和氏も推薦したモーツァルトの「K.595」(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演)など、聴きどころ満載です。
改めて、ピーター・ゼルキン氏のご冥福をお祈りいたします。