ジュリーニ ブラームス 交響曲全集(新全集)02

ウィーン・フィルの魅力たっぷりの「第3」

ヨハネス・ブラームス:
交響曲第3番 ヘ長調 作品90
ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1990年5月 ウィーン

 

名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と収録したブラームス交響曲全集の2回目。今回は作曲者の晩年の傑作、「第3交響曲」と「第4交響曲」を採り上げます。

まずは「第3交響曲」。

再生ボタンを押した瞬間、何と素晴らしい音楽だろう!と思わせる豊かな響きが部屋の中に広がります。ゆったり目のテンポでありながら遅すぎず、美しい弦の響きが高音に低音にカンタービレを利かせながらブラームスの心情を歌いあげ、もはやノスタルジックと言ってもいいような音楽をつくりあげます。

第1楽章は陶酔的・熱狂的な第1主題と、郷愁に溢れたメランコリックな第2主題が別世界のように交錯し、晩年のはっきりしない、しかし諦念に身を置こうとするブラームスの枯淡の境地がよく表れています。それにしても、フレーズごとのテンポルバートと旋律の顔の出し方が絶妙で、ジュリーニのブラームスに対する共感の深さを感じずにはおれません。また、ウィーン・フィルにしては良い意味で威圧的な迫力でぐいぐい押しており、奏者たちが指揮者とスウィングしているのを感じます。

第2楽章は展開部以降のロマンティックな音楽がすごい!間とテンポの緩急で神秘的な雰囲気を創造し、ウィーン・フィル最強のヴァイオリン部がこの世のものではないような響きを奏でます。ここは大変な聴きものといってよいでしょう。

そして有名な第3楽章。これがまた不思議なもので、テンポは至って普通。ありふれた常識的な解釈で進行します。中間部のホルンなんてややそっけないくらい。何を言いたいのかと言いますと、私たちは「第3交響曲」を聴く場合、この第3楽章が最大の聴きものであり、晩年のジュリーニの演奏には当然、陶酔的な歌いこみを期待してしまうわけですが、その期待は見事に裏切られます。十分に美しい音楽ではあるのですが…。

第4楽章はいいですね。チェロとホルンによる第2主題(ハ長調)からハ短調に移行するところの盛り上がりがドラマティックで非常にノリが良い。さらにここからコラール風な動機を何重にも重ねながら激しい音楽が構築されていき、まるで「第1交響曲」のような世界が広がります。最後はテンポを落しながら第1楽章第1主題を回顧的に振り返って静かに終わるのですが、堂々としていて、決して小ぢんまりしていないところが素晴らしい。

さて、全曲聴き終わって「はっ」と思ったのですが、この演奏の唯一の急所であった第3楽章のそっけなさが、実は意図したものではなかったか?という憶測。

つまり、この曲はちょっともやもやとした楽想や異端の構成もあり、第3楽章ばかりが目立って全体としては低評価だったりするのですが、スコアを見ると素晴らしい構成力と斬新な技巧が凝縮した傑作としかいいようがありません。

これは、ブルックナーの「第7交響曲」、モーツァルトの「K.550」でも同じようなことが言われますが、前の楽章が素晴らしすぎて、巨大すぎて、終楽章のスケールがどうしても足りなくなる。いわゆる頭でっかちの音楽に聴こえてしまう。

しかし、そこは演奏家の腕の見せ所でもあり、ここでのジュリーニは聴衆に媚びることなく、ブラームスの性格的な「明」と「暗」の交錯を4楽章の交響曲の形式の中でしっかり表現し、第3楽章をあえて他楽章と対等に流すことで、本来のブラームスの構成力の見事さを浮き彫りにした、と言ってよいでしょう。まことにあっぱれです。

 

ブラームス「第4」演奏史に残る名盤

ヨハネス・ブラームス:
交響曲第4番 ニ長調 作品98
悲劇的序曲 作品81

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1989年5月 ウィーン〈ライヴ・レコーディング〉

 

これはあくまで私の意見ですが、この演奏はブラームスの「第4交響曲」の数多ある演奏の中でも最高峰の完成度です。こんな凄まじい演奏が20世紀の終わりになって出現し、素晴らしい音質でとらえられたことには心から感謝したい。

第1楽章から遅い。本当に遅い。冒頭の詠嘆の動機なんてまるでフルトヴェングラーのよう。

それ以降の表現も、「第1交響曲」で聴かせたような優美でエレガントな雰囲気ではなく、フルトヴェングラーの鬼気迫る演奏にひけをとらないドラマティックな展開。またジュリーニ以上に、ブラームスを自家薬籠中の物としているウィーン・フィルハーモニーの技術力・表現力は冠絶したものと言わざるを得ません。

特にコーダ。ここは当盤最大の聴きどころであり、本当にすごい。だんだんとクライマックスに向けてリタルダントしていき、トゥッティのffはまるで天地創造の轟音かというべき大爆発。文学的な表現を避けて申し上げても、ふたつの2分音符の緊張力の持続とティンパニの終結部までの激烈な叩き込みは凄まじい効果を発揮しています。ウィーン・フィルのこの箇所の演奏は、カルロス・クライバーやレナード・バーンスタインのディスクでも同様で、一種の流儀ともとらえられますが、中でもジュリーニ盤のものものしさは頭一つ抜けているように思えます。

第2楽章は再現部以降が非常に聴きごたえがします。弦楽合奏の見事さ、ウィーン・フィルハーモニーの魅力満点で、田園風景を思わせるような郷愁、ノーブルさがたまりません。

第3楽章はティンパニとトライアングルの華やかな競演、ここでもフルトヴェングラーのことを持ち出して申し訳ないのですが、あの戦中録音の激しいティンパニの強打をデジタル録音でとらえたらこういう感じになっていたかも、と思ってしまうくらい、すごい轟音です。かつてのジュリーニからは考えられないような荒ぶりようです。

そしてお待ちかねのフィナーレ。冒頭はしずしずと始まって、意外に大人しい感じがします。

ところが、譜例のフルート・ソロが出始めたあたりから雰囲気が一変。続いて第1主題が再び登場しますが、冒頭と違って思い切りルバートが入り、気合が込められ、悲劇色がこのうえなく高まります。コーダ(第31変奏)以降はもう地獄堕ちの場面と言って良いくらいの激しさで、ものすごく遅いテンポ。ティンパニの激烈な強打が最後の審判を下し、曲の最後は堂々と決まります。本当に素晴らしくて、最初に聴いた時はラジオの前(この演奏はライブ録音で、NHK-FMで放送されました)で呆然としました。当時会場にいた聴衆もきっと息を呑んだのではないでしょうか?

さて、これだけ見事なブラームスの交響曲全集なのですが、前のページでご紹介した全集ディスクは現在、品切れ状態になっています(2020.6現在)。

代わりに現在、これらブラームスの交響曲とブルックナーの第7、第8、第9交響曲を収めたボックスが発売されており、Amazonやタワーレコードで購入することができます。

ただし、私はあまりこのボックスを推奨いたしません。なぜなら、ブルックナーの第7と第8がブラームスほど成功していない気がするからです。ちょっと音響に浸りすぎているというか、クレーム覚悟で申し上げますと、ウィーン・フィルのあまりに美しいサウンドがブルックナーの音楽を邪魔しているように聴こえるのです。

第9に限っては、ジュリーニがブラームスの4番のような激しいノリで攻めているので、逆に天下の名盤となっているのですが、私はこのオーケストラのブルックナーは非常に当たりはずれがあると思っています。ベームの「ロマンティック」、カラヤンの「第8」あたりもどことなく違和感があるというか、本来のブルックナーと違う美しさが際立っています。

もしジュリーニのブルックナー「第7」「第8」を愉しまれたいなら、むしろベルリン・フィルとの記録の方をお勧めします。

ベルリン・フィルのコンサートマスター、安永徹さんがかつてインタビューで、演奏時に自分も他の奏者も感動して弾いていたと仰っていた演奏です。たしかに聴いてみると、オーケストラの主張ははるかに薄れており、ブルックナーに奉仕しようという指揮者とオーケストラの真摯な想いだけが満ち満ちています。

当然、ウィーン・フィルとのブルックナーも素晴らしい部分はたくさんありますので、これは好き好きになるのかもしれませんが、ちょっとマニアックなこれら2枚も、ぜひお聴きになって頂ければと思います。

 

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