ジュリーニ ブラームス 交響曲全集(新全集)01

あまりにも強烈で美しいブラームス

カルロ・マリア・ジュリーニ(1914年5月9日 – 2005年6月14日)ほどダンディを地で行く指揮者はいなかったと思います。

とにかくイタリア人らしい彫りの深い顔、スマートな体型、抜群のファッションセンスがカッコ良く、女性ファンだけでなく男性からも圧倒的な人気がありました。

ジュリーニのすごいところは、それだけのいでたちでいながら、全くカッコつけるような素振りがなかったところ。まさに貴族的な佇まいで、謙虚・無欲・真摯な姿勢は同業の音楽家たちから大きな尊敬を集めていました。

ルックスだけではありません。彼の創り出す音楽もまた、今世紀を代表する指揮者の名に恥じない素晴らしいものでした。幸い、彼の演奏は優秀なステレオ録音で遺されており、今日私たちは彼の偉大な音楽を優れた音質で楽しむことができます。

そんなジュリーニの音楽的特徴はどうだったかというと、とにかく優美でした。よく歌い、各楽器のバランスがしっかり保たれ、力むところがない。

上のモーツァルト演奏はそんな彼の特徴を最も良く表したものでしょう。余裕に満ちたテンポ、際立った品の良さ、なだらかなメロディラインのつなぎ方など、どこをとっても一流のシェフの腕前を見るような老獪さです。このような指揮テクニックをすでに40代において身につけていたというのは、本当にすごい。

最近上のようなボックスが出ましたが、ジュリーニの若かりし日の演奏は本当に良いですよ。今まであまり顧みられることがありませんでしたが、この時代の彼のベートーヴェンなんてフルトヴェングラーを彷彿とさせるような雄大なスケールで、特に「第9」がすごい。第1楽章の悠然とした潮の満ち引きのようなオーケストラ・コントロール、第2楽章の快速テンポかつ一切の間合いを入れない推進力、第3楽章の繊細で叙情的な音楽づくり。そしてフィナーレの力まない、合唱との調和が見事な演奏。

特にラストのAllegro ma non tantoからPrestissimoに至るまでのテンポの動かし方と抑制的な音量、バランス感覚はあまり聴かれないスタイルで、オケメンバーから合唱団、独唱者のすべてがジュリーニに全幅の信頼を寄せていたことが分かります。

このロンドン時代のセットは非常に聴いていて愉しく、いろいろと勉強になる部分も多いので、ご興味のあられる方はぜひ手を伸ばしてみてください。

ところで、これまで見てきたジュリーニの壮年期のスタイルは1980年代後半あたりを境に明らかに変化します。

同時代を生きたバーンスタインやチェリビダッケも同様の傾向を見せましたが、ジュリーニもまた遅いテンポを主体にするようになり、スケールはきわめて巨大なものになったのです。

ただ私は、1990年代以降の彼の演奏はあまり感心しません。モーツァルトの交響曲なんて細部の彫琢は見事しか言いようがないのですが、そのぶん推進力に乏しく、聴いていて消化不良な感じが残ります。

それよりも、1980年代後半のドイツ・グラモフォンで制作したブラームスとブルックナーの一連の交響曲録音の方をおすすめしたい。

・ブルックナー:交響曲 第9番 ニ短調

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991年4月 ウィーン

ブルックナーでは「第9交響曲」が、全盛期のウィーン・フィルハーモニーのアンサンブルの美しさを堪能できる比類ない名演。トゥッティの凄まじいスケール、遅いテンポ要求でも弛緩せず、極めて高い緊張力を維持できる演奏能力の高さは圧倒的で、これは指揮者ジュリーニとの幸福な出会いがもたらした最高の名演と言えるでしょう。

・ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1988年6月 ウィーン

さて、いよいよ本題のブラームスに入ります。まずは大物の「第1番」。

第1楽章からものすごい迫力です。しかし、カラヤンとベルリン・フィルのようにわざと低弦部にスレを生じさせたり、ティンパニを強打させたりして力を漲らせるようなことはしません。あくまで優美な表情。テンポの遅さが各楽器を生き生きと躍動させ、巨大なスケールを構築しています。特に、終結部の掛け合いは立派。

第2楽章から第3楽章にかけては、ウィーン・フィルの蠱惑的なアンサンブルにうっとりします。ヴァイオリン・ソロ(キュッヒルでしょうか?)の巧さもさることながら、木管のこの世ならぬ響きに魅了されない人はいないでしょう。

フィナーレは、序奏第2部以降が身震いするほど素晴らしい。フルートの瑞々しさ、金管群の力強さ。弦のさざ波。そして堂々たる第1主題への移行。まさにオーケストラの魅力満載で、テンポをあざとく動かさなくてもこれだけロマンティックに雄大に演奏できるのか、と感心してしまいます。

さらにこの曲のクライマックス。序奏第2部の旋律が金管によって高らかに再現されるところは、教会のオルガンのような清らかな和声が鳴り響き、この箇所がコラール風であることを実感させてくれます。そしてそのままダイナミックに主和音を四連打し、曲は見事に終わりますが、その構成力たるやお見事です。

・ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991年4月 ウィーン

これは本当に佳い演奏。第1楽章は極端な遅さも耳に付きますが、とにかく力感と推進力がまるでない。ただし、生気のないつまらない演奏と言うわけではなくて、通常では考えられないようなバランスで楽器が鳴ったり、リズムの踏みしめが異様に強烈だったりして、聴き手は驚きの連続です。例えば第2主題、チェロとヴィオラの有名なメロディがありますが、この箇所の音の鳴り方が非常に生々しい。それでも、この第2主題が強烈な印象を遺すことで、リズムの下支えとなる第1主題と絡みながら曲を形成する独特な構図がより明瞭に立ち現れて来ます。

多くの演奏家が速いテンポで軽快に進めたり、はたまたフルトヴェングラーのように変幻自在にテンポを動かすことで劇性を高める例もありますが、このジュリーニの音運びはまさに彼のボスであったオットー・クレンペラーの流儀。頑としたテンポに百花繚乱の音色の表情づけ、細部の彫琢のきめ細かさは、ひたすら音楽に献身する姿勢そのものです。

オットー・クレンペラー

第2楽章はその独自性がさらに異彩を放ち、マーラーの第9交響曲のような彼岸の音楽を形成します。もうこれ以上の美しさはないのではないか、しかしこれは過ぎ去った美しい記憶の回顧かもしれない、と言う趣が全編に漂っています。第3楽章もさりげなく演奏することはなく、しみじみと噛みしめるようにカンタービレを効かせるところが本当に素晴らしい。

フィナーレも悠然たる進行。ただコーダでここぞとばかりにテンポアップし、ティンパニを効果的に一撃打ち込んで「第1交響曲」の終結部のように締めるのはさすが。ものすごい迫力で、一聴されることをお勧めします。

あまりに面白いので、解説が長くなりました。「第3交響曲」、並びにこの全集の白眉にして個人的には歴史的な名演に位置付けている「第4交響曲」について、次章では触れて参りましょう。

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