バレンボイム ブルックナー交響曲全集

野心にみちた鬼才によるカッコいいブルックナー

ダニエル・バレンボイム(1942年11月15日 – )は、わが国では意外と評価が高くないアーティストです。

ただし、彼のキャリアは錚々たるもの。

7歳でピアニストデビュー。まだ少年でありながら欧米各地をツアーし、12歳でかのフルトヴェングラーから天才と評価されるほど、その腕前は世界中から絶賛されるレベルに達します。

ところでバレンボイムの凄かったのは、クラシックの世界でよくあるように、子供の頃は神童と呼ばれた人がその後、壁にぶち当たって低迷するパターンが多いところ、彼は青年期になってもますますその才能をいかんなく発揮したところです。

彼は、強かにも10代で指揮法及び作曲技法を学びます。この体験が彼の素質に大きな影響を与え、いわゆる「弾き振り」の分野で確固たる地位を築き上げることにつながります。

バレンボイム/イギリス室内管弦楽団 モーツァルト:ピアノ協奏曲全集

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この全集はバレンボイムのピアノの類まれな才能を証明し、かつ指揮の見事さを世に知らしめることになります。彼は世界各地のオーケストラから招かれるようになり、1975年、パリ管弦楽団の音楽監督に就任しました。その一方、モーツァルトとベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を入れたり、初めの妻のジャクリーヌ・デュプレらと魅力的で巧みな室内楽の演奏を繰り広げるなど、超人的なタフさで2足の草鞋を全うし続けます。

ただその後、天才ピアニストの名声を確固たるものとし、指揮者としてもベルリン・フィルやウィーン・フィルと言ったトップクラスのオーケストラと関係を深めたあたりから、バレンボイムの勢いに翳りが見え始めます。

大御所カラヤンの後継として目され始め、アバド、マゼール、カルロス・クライバーらと純粋に指揮者としてのシビアな比較が行われ始めた途端、特に我が国では強烈な個性がない、もっと言えば掴みどころのないバレンボイムの音楽に厳しい言葉が投げかけられるようになったのです。

また、これもわが国独特の現象なのですが、若くして亡くなった妻・ジャクリーヌ・デュプレとの生前の関係がゴシップめいて取り上げられ、特に1998年の映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」でバレンボイムは妻を捨てた悪い奴、みたいな印象が急速に広まってしまいました。

そうした悪印象がある中で、イスラエルとパレスチナの紛争問題に様々な発言を行うバレンボイムの政治性にもアレルギーを示す音楽ファンは少なくなく、これらが有り余る才能を持ちながら、いまいち人気のないバレンボイムという評価に繋がったように思えます。

ところで、かく言う私はバレンボイムの大ファンです。彼のプライヴェートとか政治的スタンス抜きに、バレンボイムの演奏には昨今では聴かれないようなオールドスタイルの魅力がたっぷりと詰まっており、それを私は大いに楽しんでいます。

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ&協奏曲全集 ダニエル・バレンボイム 、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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ピアニスト・バレンボイムの魅力がいかんなく発揮されたのは、個人的には1980年代だったと思います。自信に満ち、若いのに老大家のような悠然とした歩み。それでいて音色は暖色で、テクニック的にも全く危ういところがありません。

60年代の彼には、天才ながら少し才走ったような部分がありましたが、例えば80年代のベートーヴェンには、まさに円熟と言うべき風格が漂っています。ソナタと弾き振りの協奏曲は、ぜひご一聴をお勧めします。

指揮者としては、1980年代後半から1990年代にかけ、数えきれないほどの名盤を生み出しました。ここではあまり話題に上りませんが、1990年代に完成したブルックナー交響曲全集についてご紹介しましょう。他の演奏と比べてあまりに異なるベクトルを志向しており、私は好んで聴いています。

●バレンボイム ブルックナー 交響曲全集
Disc 01
交響曲第1番ハ短調 WAB.101 (リンツ稿/ノヴァーク版)
交響的合唱曲『ヘルゴラント』WAB.71
Disc 02 交響曲第2番ハ短調 WAB.102 (キャラガン版)
Disc 03 交響曲第3番ニ短調『ワーグナー』 WAB.103 (エーザー版)
Disc 04 交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』 WAB.104 (ハース版)
Disc 05 交響曲第5番変ロ長調 WAB.105 (ノヴァーク版)
Disc 06 交響曲第6番イ長調 WAB.106 (ノヴァーク版)
Disc 07 交響曲第7番ホ長調 WAB.107 (ノヴァーク版)
Disc 08 交響曲第8番ハ短調 WAB.108 (ハース版)
Disc 09 交響曲第9番ニ短調 WAB.109 (ノヴァーク版)

指揮:ダニエル・バレンボイム
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:ベルリン放送合唱団男声合唱、エルンスト=ゼンフ合唱団(ヘルゴラント)

 

このブルックナーは、当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の能力を極限までに引き出しており、重厚かつアグレッシブなサウンドが終始鳴り響くという、素晴らしい魅力が詰まったものです。

その特長が最も現れているのが「8番」。快速テンポでどこまでもスマート。それでいて重心をどっしり構えており、一言で言えばとてつもなくカッコいい音楽に仕上がっています。この時代に賛美された(演奏当事者より批評家がカテゴライズした)、アルプスの田舎臭い朴訥さ、仰ぎ見るような神々しい威容と言ったブルックナーの演奏像を嘲笑うように、バレンボイムは己が信じるスタイルを突き進んでいて、ラストなんて大見得を切るように駆け抜けるのです。

「第9」も劇的。冒頭からベルリン・フィルの緊張感に満ちたブラスセクションの迫力に圧倒されます。2楽章も、ピッツィカートが入る前の短い警告音が印象的で、技巧的に緊密なこの楽章の展開の妙を初っ端から予感させたかと思うと、その後はあり得ないほど高度な技術と豊かな音色で細かな表情のフレーズに至るまで優美に歌い上げており、一部の隙もない。終楽章も変に悲愴になったり遅いテンポで宗教的な雰囲気を出すわけではなく、丁寧に悠然と大きなスケールで進行するところがバレンボイムらしく、至福の時間を堪能できます。

後期作品以外では、「第3」が面白いのではないでしょうか?

全体的に輪郭がはっきりしており、小さく纏まったりしません。第2楽章はスケールが大きく、思わず後期作品と錯覚してしまうほど。第3楽章も攻撃的なテンポで、クナッパーツブッシュの叙情的な演奏とは真逆の勇壮な演奏に仕上がっています。

フィナーレも堂々としており、ふだん小交響曲に扱われがちな「第3」をここまでアップコンバートしきったこのコンビの実力には感服してしまいます。

それにしても、この全集は全体にフルートとティンパニがべらぼうに巧いです。大曲ぞろいだけに、退屈する瞬間もしばしばですが、そのたびに蠱惑的なフルートと雷鳴のようなティンパニの轟きに意識を覚醒されるのも、この名全集の魅力と言って良いでしょう。

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